第6話 人生初の完全包囲

完全包囲、という言葉がある。


僕はこの言葉を漫画や小説、あるいは映画で見たり聞いたりしたことはあったけれど、まさか自分が身をもって体験する日がくるなんて夢にも思っていなかった。


ホームルームが終わった休み時間。チャイムの音が鳴り響くと同時に、僕はS級犯罪者が警察に取り囲まれるがごとく、クラスメイトたちに囲まれていた。


そのほとんどが……


いや、見渡す限りオール男子だ。


「おい岩本、これは一体どういうことだ?」


普段は僕と一緒でクラスの輪からはみ出しているはずの高砂が、なぜかこの時ばかりはクラス代表みたいな顔と態度で聞いてきた。君の方こそ、一体どうした?


そんな疑問を喉の奥に感じながらも、僕は声にすることもなくただゴクリと唾を飲み込む。


この殺気立った雰囲気、誰がどう見たってこれから始まろうとしているのは、クラスメイトたちとの楽しいお茶会なんかじゃない。どちらかと言うと、無茶会だ。


「なっ……なんのこひょ?」


ケンタッキーよりもチキン野郎の僕は、さっそく第一声から舌を噛む。そんな僕をさらに追い詰めてくるかのように、高砂は我こそが正義と言わんばかりの鋭い口調で言い放つ。


「お前がそんな白々しくて薄情なやつだとは思わなかったよ。俺たちが聞きたいことは一つ……わかるだろ?」


彼の言葉に、周りにいる殺気立ったオスたちがウンウンと大きく頷く。そして彼らの視線はチラリと教室の後方へと向けられた。


「…………」


あえて後ろを見なくてもわかるほど、教室の後ろの席は熱狂と歓喜の渦に包まれていた。


その中心にいるのはもちろん、莉緒さんだ。


僕は再びゴクリと唾を飲み込むと、元友人の顔を見る。


「いいか岩本。これはもう事件じゃなくて戦争だ。どうしてお前が元ハリウッドスターのRIOさんと顔見知りなんだ?」


いっぺん死ぬか? みたいな口調で高砂は言ってきた。それを合図に、周りにいるクラスメイトたちからも様々な声があがる。


「なんでこんな陰キャラのやつが……」


「ありえないだろ」


「大金でも貢いだんじゃねーか?」


「他のクラスの分際でいきがってんじゃねーよ」


え? 僕、同じクラスなんですけど? そこまで存在感なかった? 何なら大谷くん、いつも君の斜め前に座ってますよ?


ここにきて次々と発覚する僕の印象に対する新事実に、きりりと胃が悲鳴をあげる。これからは教室に入る度にさっきの莉緒さんみたいに自己紹介から始めた方がいいのかもしれない。


そんな関係のないことを考えて現実逃避を計ろうとしていた自分に、高砂は鋭い声で僕をこの世界へと縛り付ける。


「岩本、正直に言え。いくら貢いだらそんな関係になれるんだ?」


なぜかお金が前提になっていた。


しかも、悪を正すかのような口ぶりで話すわりには、思いっきり彼の願望が入っている。


もはや私欲も正義も他の欲望もごっちゃ混ぜになった彼に、僕は何を言っても無駄だと悟り小さくため息だけ吐き出す。すると、高砂がバン! と勢いよく僕の机に右手を置いた。


「早いとこ白状しろよっ! お前は一体どうやってRIOさんと知り合ったんだ!」


目が血走っていた。その迫力に慌てて視線を逸らすも、周りにいるオス達も同様、空腹の肉食動物たちが一匹のウサギを見るような目をしている。思わず、さあっと全身の血の気が引いていく。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 僕は無関係なんだって! 本当に何も知らないんだって!」


「何も知らないだと⁉︎ 何も知らない人間が、どうしてRIOさんの指先ソフトタッチをほっぺに享受できるんだよ!」


ダン! と再び両手を僕の机の上に叩きつけた高砂は、勢い余ってそのまま立ち上がる。


「みんなに謝れよ! 世界に謝れよ! それでもって、俺にそのほっぺを触らせろよっ!」


狂気の沙汰に陥った相手は、「きょえっー!」と謎の奇声を発しながら僕の左頬に向かって右手を伸ばしてきた。


妙に汗まみれになったその汚い手のひらを見た瞬間、未知のウィルスに感染してしまいそうな恐怖が僕の心を震わせる。


「や、やめろよ高砂! 僕は本当に莉緒さんとは無関係……」


有無を言わせない勢いで迫ってくる高砂に、僕は慌てて上半身を逸らすと、左頬を死守するかのように首を回した。力強く回したせいか、ゴキゴキと鈍い音と痛みを一瞬感じる。


「うぐっ」と苦しむような声を漏らして自爆してしまった僕の視線の先で、たまたま教室の後ろでクラスメイトたちと本当のお茶会を楽しんでいる莉緒さんと目が合ってしまった。


それだけでも心臓が破裂したみたいに緊張してしまうのに、あろうことか、莉緒さんは僕に向かって小さく手を振るとニコリと笑ったのだ。


「……」


このまま首が360度回って死んだとしても今なら悔いはないかもしれない。


一瞬そんな馬鹿げた煩悩が頭にチラつくも、そんな思考はむさい男たちによってすぐに遮られてしまう。


「おいっ! 今のはどういうことだ! いくらだっ! いくらで手を振ってもらえるんだ⁉︎」


もはや金の亡者なのか性欲の亡者なのかわからなくなった高砂が、僕の襟元を掴みぐいっと顔を対面させる。


さっきよりも目が血走っているせいで、なんかヤバい薬でもやってんじゃないかと本気で焦った。


「だ、だから本当に知らナイ……」


激しく襟元を掴まれているせいで、うまく声が出ない上に息ができない。「ギブギブギブ!」と彼の腕を必死に叩くも、血迷っている相手はその手を緩めない。


「吐け! なんでお前みたいな奴とRIOさんが知り合いなんだ!」


窒息死寸前の僕は、この場を逃れるために走馬灯のようなスピードで過去の思い出を振り返る。


僕は町田さんとは幼なじみだったけど、莉緒さんとは関わりがなかったはずだ……


幼稚園の頃、

「ねーねー、しずは今から新婚さんごっこしたい! だからユキくんは……」


小学校入学時、

「ユキくんのランドセル姿かっこいい! しずのはどう? 可愛い?」


小学校三年生、

「ユキくん、今度一緒に図書館行かない? 私、どうしてもユキくんと見たい本があるんだ」


小学校卒業時、

「……」


中学校卒業時、

「…………」



やっぱ莉緒さんとの思い出はない……


って、小学校卒業時からの思い出ちょっと悲し過ぎない⁉︎


町田さんとの思い出っていうより、完全にただの沈黙だよ?


小説だったら三点リーダーでしか表現できないやつだよこれ⁉︎


そんな苦い思い出と、苦しくなっていく肺のせいで顔が青ざめていく僕を見て、元友人はやっと手を離した。


「さあ答えろ、どういうことだ?」


何故か僕よりも息を乱しながら、彼は悪魔に取り憑かれたような声で言ってくる。


「ど、どうもこうも……僕は本当に無関係なんだって!」

 

もはやこの状況でどう無関係だと言い訳をしたらいいのかはわからないが、実際に無関係なので僕は必死に言葉を続ける。


「だ、だいたい僕のことは高砂が一番知ってるだろ? よく考えてみてよ! 空気よりも軽くて存在感のない僕が、本当に莉緒さんと知り合いになんてなれると思う?」

 

高砂含めて睨みつけてくる男たちに向かって、僕は捨て身の説得を試みた。この際、僕のプライドや人権なんて気にしている場合ではない。


するとどうだろう。クラスの男たちは互いに顔を見合わせ、力強くウンウンと頷いているではないか。


僕が政治家になれば、すぐに日本は平和になるのではないかと思うほどの満場一致ぶりだった。


「……」


幸か不幸か、普段の僕の影の薄さと存在感のなさが決め手となり、この場は一旦お開きとなった。


「まあたしかに稲本が知り合いなわけないよな」とサラリと名前を間違えてきた大谷くんは、いつになったら僕のことを覚えてくれるのだろう?


そんな言葉に心がジクジクと痛みつつ、チャイムの音と共に自分の席へと戻っていくクラスメイトたちを見てほっと息を吐き出す。


前の席に座っている高砂は、「必ず真相を突き止めてやるからなっ」と探偵のような台詞を吐いてからやっとその顔を黒板の方へと向けた。


結局次の休み時間も、僕の周りには人だかりができていた。まるでクラスの中心的人物にランクアップしたような光景だが、もちろんあらぬ誤解と恨みで取り囲まれているだけだ。


しかもどこで噂を聞きつけてきたのかわからないが、他クラス他学年の男子たちまでやってくる始末。そのせいで、僕の周りだけ男子校状態だ。


が、それでも普段存在感がまったくないという自分のアイディンティの方がやはり優ってしまうのか、いつも女子たちに囲まれているイケメンの谷川くんよりも瞬間的に注目を浴びていた僕だったが、休み時間が訪れる度に自分の周りに集まってくる生徒(男子のみ)の数は急速に減っていった。


おそらく、僕に莉緒さんとの関わりが見出せなかったのもあるのだろう。


結局昼休みの時には、僕の近くにいたのは高砂と、どこからやってきたのか、僕らと同じ湿気った雰囲気を放つ他クラスの男子二人。


その二人でさえも、「ちっ、こいつらつまんねーの」と言わんばかりの表情を浮かべて、それ以降現れなくなった……ってか、誰だったんだよ。


無駄に精神を疲労させたばかりか、あらぬ誤解のせいで心が傷だらけになった僕は、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に、大きくため息を漏らして机の上に突っ伏した。


とりあえずこの調子でいけば、放課後にはいつも通り僕の存在はみなから忘れさられるだろう。そしていつものように、一人こっそりと家路につくことができるはずた。


本来ではあれば嘆き悲しむようなそんな状況が、今の僕にとってはありがたかった。


普段滅多に人から注目されない人間が有象無象の視線を浴びるというのは、岩の下に隠れているナメクジに塩をかぶせるぐらい危険なことなのだ。


僕はそんなことを思うとナメクジのようなのっそりとした動きで顔を上げて、先生が黒板に書き始めた内容をノートに写すためにシャーペンを握った。


……今日は早く帰って家で休もう。


ノンストップで6時間の授業を受けたんじゃないかと思うぐらいの疲労感で黒板を書き写していた僕は、心の中でぼそりと呟いた。


あらぬ誤解のせいでさっきは命の危機を感じることになってしまったが、今後僕と莉緒さんが関わることはもうないはずだ。


彼女もたぶん僕のことを誰かと勘違いしていたのだろう。


だから、きっと大丈夫……


のはず。

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