第5話 人生はダンゴムシからフライデーへ。
教室の空気が一瞬にして固まる。
いや、この世界そのものが固まってしまった。
そう思ってしまうほど、自分の視界に映るクラスメイトたちは、僕の方を向いたまま身動き一つ崩さない。
そして僕も何が起こったのかわからず、息も瞬きも止めたまま彼女の顔を凝視した。
ユッキー? ユッキーって何? 誰のこと? それとも新手の自己紹介??
パニックになった僕は、莉緒さんから視線を逸らすと急いで辺りを見回した。
これは夢だ。きっと幻だ。まずそもそも、クラスの中でも干し椎茸みたいに干からびてる僕に、莉緒さんみたいな輝かしい人間が話しかけてくるはずかない。だからきっと近くにいる誰かを……
辺りを見回し、僕は『ユッキー』というニックネームに該当しそうな名前を持つ人物を探す。
前の席から時計回りで大吾、真也、美里、ありさ、孝太郎……
って何でほとんど喋ったこともないのに僕はクラスメイトの名前を知ってるんだよ。
向こうは絶対知らないぞ、僕の名前。いや、存在も?
なんて一瞬関係ないことを考えて現実から意識を逸らすも、間違いなく莉緒さんは僕の真横で立ち止まり、この冴えない顔を見つめていた。
いやいやいや、ちょっと待って。これほんとにヤバいから。どういう状況か理解できないから。僕こんなの耐えられないから!
視線だけなら世界スイマーにもなれるんじゃないかってぐらい目を泳がせていると、目の前で僕のことを見下ろしていた莉緒さんがクスリと笑った。
あぁ、やめて。そんな町田さんとそっくりな顔で優しく微笑まないで……
そんなことを一人勝手に思い、心臓を破裂寸前まで膨らませている僕に、莉緒さんが再び口を開いた。
「さてはユッキー、私のこと忘れてるだろ」
ぷにっと、右頬に柔らかい感触が触れた。
えっ、と驚いた時には、視界の隅に自分の方へと伸ばされた莉緒さんの右腕。その先端、ピンと伸ばされた人差し指の先っぽがなんと僕の頬に触れていたのだ。
え……ぇええっっ⁉︎
驚きのあまり僕はぎょっと目を見開いた。
もちろんそれは周りにいるクラスメイトたちも同じで、高砂の奴なんて目を見開き過ぎて白目になっている。って、こっちはそれどころじゃないっ!
「ひ、ひや……そ、その……」
僕は何と言っていいかわからず、ただ情けない声だけを漏らす。全身の熱という熱が顔に集まり、顔面が焼けるように熱い。
心臓なんてすでに炸裂してしまったのか、もはや感覚さえもわからない。今僕の頬に莉緒さんの柔らかい指先が触れていると意識するだけで一瞬で昇天してしまいそうだ。
緊張と混乱のせいで「はひっ」と引きつった謎の声を出してしまった僕に、莉緒さんはクスクスと肩を震わせると、「また後でね」とだけ言い残し、再びレッドカーペットの上を歩いていくように後ろの席へと向かっていく。
静まり返った教室の中で、莉緒さんの足音と僕の張り裂けそうな心音だけが鼓膜を震わせていた。
ど、ど、どういうこと? なんで僕が……なんで僕が莉緒さんに話しかけられるんだ??
まるで魂が抜けたみたいに、僕は放心状態で固まっていた。ほんの数十秒にも満たないやり取りが、自分の頭の中を永遠に混乱させてくる。
僕はとりあえず落ち着きを取り戻そうと大きく息を吸った。肺が膨らめば膨らむほど、まだ激しく心臓が鼓動しているのをハッキリと感じてしまい、余計に息が詰まってしまう。
そんなことを感じながらもぎこちなく息を吐き出した時、ふと強烈な視線を感じて僕はハッと顔を上げた。
するとさっきまで窓の外の風景を眺めていたはずの町田さんが、見たことがないほどの鋭い目つきで僕のことを睨んでいるではないか!
ちょ、ちょ、ちょっと待って……なんで今度は町田さんに睨まれてるの? 僕……なんかやらかした?
立て続けに起こる予想外の展開に、僕は思わずゴクリと唾を飲み込む。僕が目を合わせたことに気付くと、町田さんはプイッと窓の方へと再び視線を向けてしまった。
好きな人が自分のことを意識してくれるのは嬉しいことかもしれないが、あの目つきはどう考えても喜ばしいことではない。まるで今にも射殺されそうな勢いだった。
これってもしかして……なんかヤバいことに巻き込まれてる?
莉緒さんの絡み、町田さんの睨み、そして、教室中の視線。今まで石の裏にいるダンゴムシよりも注目を浴びてこなかった自分が、ここにきてフライデー級のとんでもない注目を浴びている。
が、その注目はもちろん僕にとってただの拷問、もはや公開処刑の域だ。
「…………」
しんと静まり返った教室に、カチカチと時計の音だけが鳴り響く。
この時、僕は何となく思ってしまったのだ。
何かとてつもなく想像を絶することが、自分の人生に始まってしまったのだと……
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