第4話 その名は、RIO。

ここはライブ会場ですか? と言いたくなるほどの盛り上がりを見せる教室に、僕は思わず目を瞑る。


どうせ誰が来たところで、クラスで掃除用モップとどっこいどっこいの存在感しかない自分に、帰国子女クラスの女の子が関わることなんてないのだ。


あったところで、「ごめん、今日の掃除当番変わって」と本当にモップを握らされてしまうのが関の山。


同じ立場であるはずの高砂が、なぜ一緒になって盛り上がっているのかわからないけれど、僕はこのままフェードアウトしよう。


そんなことを思い瞼を閉じたままうんうんと頷いていると、突然教室が静寂に包まれた。あれだけ盛り上がっていたウェルカムムードが、一瞬にして消え失せたのだ。


え?


違和感を感じた僕は、閉じていた瞼を恐る恐る開けていく。すると視界の前方、教卓の横に立つひとりの女子生徒の姿が視界に入った。


艶やかで緩やかにカーブしているモカブラウンの髪の毛。


モデルのような美しいプロポーション。


他の生徒とは明らかに違うオーラを放つその転校生の顔を見た瞬間、思わず喉の奥で呼吸が止まった。


な、な、な……


僕は目を見開いたまま、そのありえない光景を凝視した。


もはや青天の霹靂、なんてレベルではない。

あまりの衝撃に、瞬き一つすることができないのだ。


な、なんでここに……


ゴクリと唾を飲み込む僕の前では、同じく衝撃を受けた高砂が我を忘れて中腰で立っている。


いや、彼だけじゃない。ここにいる全員が、あまりの衝撃に言葉一つ発することができずにいた。


「RIOだ……」


誰かがぼそりと呟いた。


囁くように呟かれたその声が、静寂の中で波紋のように教室の空気を揺らしていく。


その言葉を聞いた僕は、自分が見ているものが幻でも幽霊でも夢でもなく、ちゃんと目の前に実在するものだと初めて知った。


RIO。


おそらく自分と同世代の人間ならば、いや、今の日本に生きている人であれば、誰もが一度は彼女の顔を見たことがあるだろう。


テレビや雑誌、そして時には、映画館のスクリーンの中で。


そう。何を隠そう、彼女は元『女優』なのだ。


RIOは幼少期からその卓越した演技力と見た目の可愛さで子役として活躍し、ドラマや映画、CMなど数々の名演技でお茶の間を楽しませてくれた。


それどころか、RIOの実力はついには世界まで届き、中学校で渡米した彼女は、何と映画界のメッカであるハリウッドでも出演するという偉業を果たしてしまう。


僕も彼女が出演していた映画はいくつか見たことがあるのだが、自分と同い年の人間がスクリーンの向こう、世界で活躍しているのだと思うたびに何度も鳥肌が立った。


そして、そんな輝かしいスポットライトを浴びている人間がいる傍で、教室の隅で蛍光灯の光さえまともに当たらない自分の存在にも鳥肌が立ったことを今でも覚えている。


それほどまでに活躍していたRIOだったが、彼女は中学卒業と同時に謎の『引退宣言』をして、世間の目から姿を消してしまったのだ。


これからさらに輝かしい未来が約束されていたはずの名女優の突然の引退。


これを世間はオイルショックやリーマンショックに並ぶ、『RIOショック』として連日のようにニュースや新聞で嘆き悲しんでいた。


もちろん僕も……その一人だ。


そんなことを走馬灯のようなスピードで考えていた僕だったが、未だ目の前で起こっていることが信じられない。


そして何より、もう一つ気づいてしまった『ある事実』が、さらに僕の頭の中を混乱させていく。


似ているのだ。


僕の好きな町田さんと、RIOの顔が。


アーモンドのような形をした綺麗な目に長い睫毛。すっと通った小さな鼻に、ぷるんと潤い100%の唇。そして、ふっくらと膨らんだ制服の胸元……


髪型、雰囲気は違うし、RIOはメイクもバッチリとしているのでおそらく他の生徒はまだ気づいていないと思うが、一つひとつ顔のパーツを紐解いていくと、恐ろしいぐらいに町田さんと似ているのだ。


たしかに僕がRIOのファンになったのは、何となく町田さんに似ているなと感じていたからだけど、これはもう似ているとかそんなレベルではない。


おそらくすっぴんは、瓜二つのはずだ!


ゴクリと唾を飲み込んだ僕は、そっと首を動かして窓際に座っている町田さんをチラリと見た。


さすがクールビューティと称されるだけあって転校生の登場にも興味がないのか、町田さんはいつもと変わらぬ表情で窓の外を眺めていた。


やっぱ似てる……ってか、似過ぎだよね? まさかドッペルゲンガー??


ますます混乱状態になっていく僕の頭。ヤバい、このままだと発狂しそうだ。


そんな僕をさらに追い詰めるかのように、目の前にいるRIOが自己紹介を始めた。


「初めまして! 今日からこのクラスでお世話になる『町田まちだ莉緒りお』といいます。少しおっちょこちょいなところもありますが、どうぞこれからヨロシクお願いしまーす!」


明るく愛想のある可愛さ満点の声が教室を包み込んだ。そして、衝撃と動揺が僕の心を飲み込んだ。


町田……今たしかに『町田』って言ったよね??


僕は何度も目をパチクリとさせながら前方にいる映画界のヒロインと、窓際に座っている僕のヒロインとを見比べた。


さすがにここまできたら勘付く生徒も増えて、クラスメイトたちも僕と同じような動作を繰り返していた。


そこに、呑気な担任が最後の核ミサイルを撃ち込む。


「えーみなさんもご存知の通り、町田莉緒さんはこのクラスにいる町田さんの双子のお姉さんです。なのでみなさん、姉妹揃って仲良くしてあげて下さいねー」


担任の間の抜けた声とは裏腹に、教室の空気が一瞬にして凝縮した。


…………は?


僕は情けないほど口を半開きにした状態で固まった。


同じように目の前にいる高砂も、他のクラスメイトたちも、ネジが切れたかのようにピタリと固まっている。


ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って! それ、どゆこと?


双子の姉妹って、どういうこと?


みなさんご存知の通りって……僕ら何も存じてませんけど⁉︎


やっと意識を取り戻した僕は、心の中で盛大に叫んだ。いや、ちょっとだけ声に漏れていた。でもそんなことを気にする生徒なんて一人もいない。


「マジかよ!」


「町田さん、双子だったの⁉︎」


「フライデーじゃん、これ!」


「やべーどっちと付き合えばいいんだよ!」


ダン、と僕は最後に聞こえてきた余計な言葉を言った張本人の椅子を蹴った。驚いた高砂が僕の方をチラリと見てきた。


「それじゃあ町田莉緒さんの席はこの列の一番後ろで。そうそう、あの席ね」


あそこですか? と綺麗な指先を真っ直ぐに伸ばした彼女に、担任がうんうんと頷く。そして伸ばされた指先は、僕の列の一番後ろを指していた。


マジかよ……この列の後ろに……僕の後ろの後ろのそのまた二つ後ろに、あのRIOさんが座っちゃうの? 町田さんの双子のおねーさんが、顔のそっくりなおねーさんが、本当に座っちゃうの??


そんなことを考えるだけで、全身の毛穴から一気に汗が吹き出た。


というより僕、町田さんと幼なじみですが、初耳だよ? もしかしてクローンか何か??


次々と起こる現実味のない話しに、僕の頭は完全にショートしていた。これが漫画の世界なら、きっと今ごろ耳から煙が出ていただろう。あるいは、妄想が炸裂して鼻血か。


と、そんなバカなことを考えていると、RIOさんこと町田莉緒さんが、まるでレッドカーペットの上を歩くが如く優雅な足取りで歩き始めた。


クラスにいる誰もがその美しさと、衝撃的な人物の登場に目を奪われる。


一歩、また一歩と目の前から大スターがやってくる。


それだけで僕は、まるで新作映画の舞台挨拶の最前列に座っている気分だった。それと同時に、180度イメチェンした町田静さんを見ているようでもあった。


このクラスには、町田さんが二人いる……


ゴクリと飲み込んだ唾の音が、やけに耳の奥でうるさく響いた。


町田さんに双子のお姉さんがいたなんて、今の今まで知らなかったけれど、きっと世間様にはバレないようにずっと隠し通してきたのだろう。


なんたってハリウッドクラスの女優が住んでいるとわかれば、連日報道陣が駆け込んでくるに違いない。


でもまさか、幼なじみの僕にさえ10年以上も隠し通すことができるなんて、町田家のご先祖様って……忍者の一族か何かの?


そんなことを頭の片隅で考えながら、僕は夢見心地で華麗に歩く莉緒さんを見つめていた。


と、その時。


不意にその足音がパタリと止む。


「……」


足音が止んだのは、莉緒さんが自分の席に辿り着いたからではない。それどころか、まだまだ全然辿り着いてさえいない。


彼女は何故か、僕の真横で立ち止まったのだ。


あまりに突然の出来事に放心状態になってしまった僕は、口が半開きのまま彼女の顔を見上げてしまう。


すると莉緒さんは、その柔らかな唇で天使のような微笑みを浮かべた。


そして……


「ユッキー! 久しぶりだねっ」


「………………へ?」

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