第3話 小5の僕にラリアット

それは僕たちが小学5年生になった時のこと。

 

小学5年生になった時、僕と町田さんは5年連続同じクラスになったことを互いに喜び合っていた。


だが、小学5年ともなれば男女関わらず性に目覚めてくる敏感なお年頃。


男子と女子が仲良くしていれば、それまでとは違った視線を送られてしまう微妙な時期。


例に埋もれず、僕と町田さんの関係はクラスメイトたちの冷やかしの対象になってしまった。


 

ーーお前ら、付き合ってんのかよ?


 

クラスに必ずなぜか一人はいるジャイアンみたいな悪ガキに目をつけらてしまった僕は、ある日教室でみなが見ている前でそんなことを言われてしまったのだ。ちょうど町田さんと日直が一緒になり、仲良く黒板を綺麗に掃除している時のことだった。

 

ニヤニヤと大悪党並びにその子分たちが憎たらしい視線を向けてくる中、隣を見ると顔を真っ赤に染めて俯く町田さんの姿。彼女がそんなに恥ずかしがっている姿を、僕はこの時初めて見た。そして改めて思った。やっぱ可愛いなぁ、と。

 

が、状況はそんな悠長に見惚れている場合ではない。「キース、キース!」と勝手に盛り上がり始めた教室の異様な雰囲気に、僕はまるで死刑台に立たされているかのような気持ちになってきた。若干11歳にして、初めて走馬灯が見えた瞬間だった。

 

これ以上、あらぬ誤解を持たれるわけにはいかない!


そんな恐怖に飲み込まれてしまった僕は、相変わらず俯いたままの町田さんを守ろうともせず、自己保身のために言ってしまったのだ。僕と彼女の今後の関係を、決定づけてしまう一言を。



『こ、こんなやつとキスできるわけないだろ!』



……これが僕と町田さんとの最後の思い出だ。


それ以降、彼女との交信は途絶えてしまう。 

 

そりゃそうだ。


僕はあの町田さんに向かって、あの『ミス地元の可愛い子で賞』に10年連続で選ばれた彼女に向かって、神への冒涜にも等しい罪を犯してしまったのだから!

 

この事件のせいで、それまで「ユーキくん!」「シーズちゃん!」と高校生カップル顔負けの名前呼びで結ばれていたはずの僕たちの関係は、その翌日から「町田」「岩本」と苗字で呼び合うようになり、中学校入学と同時に「さん」「くん」付けになってしまった。


これは決してお互い相手を尊重しあってさん付けくん付になったのではない。少なくとも僕は尊重どころか陶酔しているが、町田さんにとっては軽蔑すべき汚物のような対象になってしまったのが事実だろう。


もしもタイムワープしてあの時に戻れるなら、僕は小学五年生の僕にラリアットをかまして意識不明の重体にしてやりたいと今でも強く思う。


そいうえばシーズちゃ……いや、町田さんはあの一件以来あまり笑わなくなり、クールビューティという称号を得ていたような気も……


そんな過去の傷口に一人どっぷりと浸かっていると、再びハレンチな言葉が前方から飛んできた。


「おいすげーぞ岩本! 今町田さん、落としたシャーペン拾おうとしゃがみ込んだんだけど、あの乳が机の上で餅みたいに……」


懲りずに卑猥な言葉を続けようとする高砂の話しを鋭い睨みで遮ろうとした時、僕の援護をしてくれたのか、頭上からチャイムの音が盛大に鳴り始めた。高砂は言いたいことを言えず不満そうな顔をしているが、その顔はするのは君じゃなくて僕の方だからねっ! 頼むから、これ以上町田さんに汚らわしいイメージを植え付けないでくれ。


そんなことを胸の中で毒づきながら、「早く前向けよ」と言って彼をもとの姿勢に戻すと、その後ろ姿をキリッと睨む。高砂には何度か恋の相談をしようかと悩んだこともあるけれど、今日で確定、コイツになんて相談するもんか。こんや奴に相談しようものなら、下ネタのオンパレードで返ってくるに違いない。


はあ、と小さくため息をつくと、僕は頬杖をついて窓際の席の方をチラリと見た。そこには柔らかな陽光を浴びて、相変わらず美しい町田さんが座っている。


何か考え事でもしているのだろうか、彼女は少し憂いを帯びたような目で窓の外をじっと見つめていた。そんな悩ましげな姿も、また美しい……


危うくそのまま見惚れてしまいそうになり、僕は慌てて首を振って邪念を振り払った。これじゃあ高砂と一緒で自分もただの変態になってしまうではないか。


そんなことを思い、一人苦笑いを浮かべた時、教室の扉ががらがらと音を立てて開く。


「それじゃあホームルーム始めますねー」


担任の小林先生が、今日も間の抜けた声を出しながら現れた。ひょろっとした身体に、何のオシャレもトレードマークもない眼鏡。年齢は今年で26らしいのだが、残念ながらその見た目のせいで40は越えているように見える。


ちなみに生徒たちから呼ばれているあだ名は、『覇気のないエノキダケ』。


……って、エノキダケってもともと覇気あるの?


担任の顔を見つめながらそんなくだらないことを考えていると、いつもならヤル気のない声で授業を始める先生が、妙に改まった口調で口を開いた。


「えー今日はホームルームを始める前に、『転校生』の紹介をしたいと思います」



僕含めて教室中の誰もが、予想外の三文字に目を丸くした。転校生が来るなんて、まったくの初耳だったからだ。


さっそく良からぬ期待を胸に抱いたのか、高砂がエロさ全開の表情を浮かべて嬉しそうにこちらを見てきた。が、視界に毒なのですぐさま前に向ける。どうやらコイツの思考回路は、全てがエロベースで築かれているらしい。まだ女子なのかどうかも決まったわけじゃ……


「今回からこのクラスの新しい仲間になってくれる女の子は、留学経験もある帰国子女です。彼女が困っていたらみなさん助けてあげてくださいねー」


……なんだって?


高砂に向かって白けた視線を送っていた僕の目に一瞬生気が宿る。


転校生は女の子、そして帰国子女。


なんだこのドラマティックな展開は?


って、いやいや。僕には町田さんという輝かしい天使がいるので、誰がやってきたところで関係はない。断じて、ない。


早くも盛り始めた男子たちの喧騒を聞きながら、僕は逆に自分の心を鎮めるための大きく深呼吸をした。もちろん目の前にいる高砂は一人勝手に興奮状態に陥り過呼吸になっている。君や僕の場合、誰が転校してきたところで接点を持つことは不可能なので何も期待しなくて大丈夫だからね。


そんなことを胸中で呟き、僕はご愁傷様ですの意味も込めて彼の背中に向かって小さく両手を合わせた。まあ夢を見るぐらいタダなので、直接言葉にすることは控えておこう。


「それじゃあ中に入ってきてー」


教室の盛り上がりがピークに達したのを見計らうように、再び担任の声が僕らの耳に届いた。それと同時に、前方の扉がゆっくりと開いていく。


何故か手拍子を始める男子たち。


それを冷ややかな目で見る女子たち。


そしてそのどちらにも入れずあぶれ出た僕と高砂。


おっと、よく見れば彼も机の下で小さく手拍子をしているではないか。僕にはその姿が、おもちゃ屋でよく売ってるシンバルを叩く猿人形にしか見えないのが残念だ。



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