第2話 僕のヒロインは君だけだ。

「お前、また町田さんの『乳』ばっか見てるだろ?」


「はっ⁉︎」


突然前方から飛んできた卑猥な言葉に、僕の思考は一瞬で停止した。慌てて前を向けば、悪友の高砂が眼鏡の奥に見える目を細めて、ニッといやらしい笑みを浮かべている。


「な、な、何言ってんだよ! そんなとこ見るわけないだろ!」


「ほんとか? お前しょっちゅう町田さんのこと見てるから、てっきり巨乳フェチかと思ってたぜ」


馬鹿なこと言うなよ、と顔を赤くした僕は相手の頭を思いっきりはたいた。それでも懲りない高砂は、「いてっ」とわざとらしく言った後、その下心たっぷりの視線をチラリと窓際の席へと向ける。


「にしても高二であの胸の大きさは反則だよな。うん。俺が審判なら間違いなくレッドカードだ」


「……」


何が反則なのかまったくわからないが、高砂はまるでスポーツ評論家のような口ぶりで、勝手に僕の好きな人を汚していく。僕が審判なら、君の頭がまずレッドカードだ。


「ただな岩本、自分の立場はわきまえないといけない」


急に声のトーンを下げてきた相手は、今度は哲学者のような難しい表情を僕に向けてくる。


「いいか? 俺たちみたいなクラスの中でもド平民、ましてや下の下のイモムシみたいな存在が、町田さんみたいな十二単を身に纏った清楚な姫君とよろしくできると思うか?」


これが世界の真理です、みたいな立派な顔して言ってるけど、言ってる内容ぜんぜん立派じゃないからね? それよりまず、君が立場をわきまえてもらっていい?


目を細め、そんな批判を詰め込んだ厳しい視線を送るも、相手は真剣に聞いてもらっていると勘違いしているのか、くだらない演説は勝手に続く。


「気持ちはわかる、よーくわかる! 好奇心も性欲も多感な俺たち高校男児にとって、校内ナンバーワンのクールビューティと噂されている町田さんに好意を寄せることは。でもな岩本、友人として先に言っといてやる。事故る前にやめろ」


そう言って力強くアドバイスをくれた友人に僕も心の中で物申す。君は事故れ。今日事故れ、と。


「だ、だいたい誰も町田さんのことを好きだなんて言ってないだろ! 勝手に変な想像するのやめろよ」


内心激しく怒りに震えながらも、痛いところをぐさくざと無慈悲なランサーで貫かれた僕は、ぎこちない口調で言葉を返す。そんな僕を見て、高砂はわざとらしく大きなため息をついた。


「お前な、もうちょっと自分の気持ちに素直になれよ。現世で町田さんと関わることがなくても、せめて自分の正直な気持ちとは関われよ」


君は自分の意見に正直すぎるだろ。というより、さらっと僕の人生終わらせたよね?

現世って何だよ、現世って。


「だから違うって」と僕は、好きな人を当てられた奴が照れ隠しに使う典型的な台詞と身振りで反発した。


それが災いしたのか、「ほーら見ろ、当たりだ」と相手はまるでアイスキャンデーがもう一本当たった時と同じレベルのリアクションで僕を指差す。そこまで安っぽくないからね、この気持ち!


「だから違うって……」とまた同じ台詞を吐いていじけてしまった僕は、そのまま視線を高砂から逸らした。そして、吸い寄せられるように自然と焦点は窓際のあの席へ。


前から3つ目、後ろから数えると4つ目の席に、今日もお美しい方が座っている。


そのお方こそ、僕が13年も片思いしている町田まちだしず


黒髪美人、清楚系美人、上品系美人……などなど、そんな言葉はすべて彼女のために神が創り出したと言っても過言ではない。「具体的にどんな人?」と聞かれたら、昨今流行りの黒髮美人系アニメキャラを1.5倍増しで可愛くした女の子と思ってくれたらいい。そう断言して、間違いない。

 

それほどまでにお美しい町田さんは、もちろんモテる。モテまくる。


食堂の日替わり定食以上に日替わりで男子たちから告白されているほど。そして告白した男たちはみな玉砕。陽キャラ、陰キャラ、ときには中性キャラまで、バラエティ豊かな男たちは誰もが例外なくお断りされて今日も体育館の裏で涙を流しているのが実情。


彼女の前ではある意味、どんな男子たちも残酷なほどにみな平等なのだ。


ちなみに彼女は笑わないことでも有名で、それゆえにクールビューティーという映画スターさながらのセカンドネームも持っている。

 

そんなことを思いながら頬杖をついた時、再び前方から卑猥な視線を感じた。


「やっぱ見てんじゃん。乳」


「だから見てないって! もうそろそろその部分から離れろよ」

 

下品な悪友とは違い、僕は下ネタおよびそれに関わる言葉なんて絶対に口にしない。言うのは心の中だけだ。だから正直にいえば……五割は見ている、乳。

 

そんな煩悩が頭をかすめ、僕は慌てて頭を振った。すると再び高砂が口を開く。


「はあ……でも残念だよな。あんなにナイスバディで可愛い女の子が同じクラスにいるってのに、俺やお前はただ見てるだけで終わりなんだぜ? これじゃあ生殺しもいいところだ」

 

やれやれ、彼は大げさに両手を挙げた。ちなみにさっきから彼はやたらと態度の大きなことを言っているけれど、全部小声だ。彼も僕と一緒で、二人以上から視線を感じると呼吸困難に陥るほど度胸はない。

 

僕はそんな彼を冷めた目で見つめながら、心の中では静かに勝ち誇っていた。実は僕には、高砂には言っていないある秘密がある。これは僕とあの町田さんだけが知ってる大きな秘密。そう、それは……

 

幼馴染み。

 

実は僕と町田さんは幼稚園の頃から知っている幼馴染みなのだ。ラブコメしかり、ありとあらゆる恋愛物語で、必勝パターンとも呼べるほどの立場を獲得している人間。それが、この僕なのだ。

 

なのに何で喋らないのかって疑問に思った人がいるとすれば……鋭いっ!

 

実は今でこそ町田さんどころか他の女子とも喋れず、学校では自分と同じようにジメジメと湿った一部の男子としか話せない僕だけれども、かつてはあの町田さんと遊んでいた時期がある。


小学4年生の頃までは、家の近くの公園で一緒に遊んでいたのだ。しかも、二人っきりで。

 

信じられないだろ? 


今では僕だって信じられない。


もしも青い猫型ロボットがいるなら、僕の魂と身体を永久に小学4年生の頃に閉じ込めることができる道具がほしい。思春期なんて迎えなくていいから、10歳のまま永遠に時間を止めてほしい。

 

いまだにそんな馬鹿げたことを夜な夜な寝る前に渇望してしまうほど、当時の僕は最高かつ最強に恵まれた環境にいた。


が、そんな幸せな世界はある日突然終わってしまう……

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