第8話

『ああ、死なせるつもりはなかったのに。もっと『痛み』を搾取する予定だったのに。歯向かってくるから、うっかり殺してしまったわ。まあでも――まだもう一人いるから、よかった』



 血だまりに沈んだフィオレを、愕然と見つめていた。ひたひたと、その体から流れ出す赤がフィオラの元へと迫って、同じ色に染まっていく。

 痛みに苦しんでいる時でさえ片割れを気遣う優しさに満ちていた瞳は、空虚なガラス玉のように虚空を映している。

 その体は傷だらけで、血まみれで、それはきっと自分も同じだろうけれど、ひとつだけ。致命傷を得てしまったことだけが違っていて。

 それを為した――フィオレを殺した、かけがえのない片割れを殺した人物は、それに対して代替のきくものを壊してしまったかのように口にしていて。

 目の前が真っ赤に染まっているのは、現実の赤か、それとも――。



『ころしてやる……』



 うなり声のようなそれが、誰の口から出たのか、わからなかった。

 ただ、目の前の、フィオレの仇が弾かれたようにこちらを見たから、自分の口から出たのだとわかった。



『殺して、やる……!』



 違う人間になったかのように、今までわからなかったことが――世界に満ちる魔力の存在、その使い方が、わかる。

 自分は『魔法使い』になったのだ、と理解する。してしまった。

 フィオレを殺した――自分の片割れを永久に喪わせた目の前の魔法使いと、同じものになったのだと。


 ずっとそうしてきたかのように、魔力をあやつる。自分たちを攫い、魔法の『代償』のために苦痛を課してきた相手に向けてそれを放つ。

 体の自由を奪われたことで驚愕に歪んだ顔を目にしながら、何もかもをめちゃめちゃにしてやりたい衝動と、この『悪い魔法使い』を殺してもフィオレはかえってこないのだという現実をわかってしまっているいやに冷静な思考に引きちぎられそうになりながら――最後に浮かんだのは、フィオレの声で。



『フィー、フィー。大好きだよ』



 生まれた時から一緒にいた片割れは、きっとフィオラがどんなことをしても受け容れてくれただろうけれど。

 きっとどこか、かなしい瞳をしただろうことも――ずっとずっと一緒にいたから、わからないことなんて何もない二人だったから、わかってしまって。


 致死の一撃になるはずだったそれは、寸前に編み直されて、意識を奪うだけに終わる。

 糸の切れた人形のように崩れ落ちた『悪い魔法使い』の方は、もう見なかった。



(……殺して、やりたかった)



 歯を、食い縛る。

 血だまりの中、這いずるようにフィオレに近づく。



(殺してやりたかったよ、おまえを殺したやつを)



 伸ばした指先に触れたまぶたは、もう冷たくて。

 閉じさせたその下の瞳は、もう何も映さない。



(そうしておまえのあとを追いたかった。でもきっとおまえは、それを望まないから)



 力を振り絞って立ち上がる。ふらふらと、魔法によって見えなくされていた扉へと向かう。



(私だけでも生きろと、おまえは言ったから)



 絶えず痛みを伝えてくる体よりも、心が痛かった。


 ――もういつぶりに感じるかもわからない外の空気も、星の瞬く空も。


 もうふたりではなくなったのだと、傍らにいつでもいてくれた存在はいないのだと、突きつけてくるようで。



(生きるよ。……きっとずっと、この喪失は埋まらないとしても)





 ――そうして、喪失に立ちすくんで、涙をこぼすばかりだったフィオラの元に。



『魔法使いとしての誕生おめでとう、フィオラ・クローチェ。……は残念だったね?』



 現れたのだ。あの、すべての根源――ディゼット・ヴァレーリオが。



(『悪い魔法使い』にだけはならない。だけど、一矢報いたい。フィオレを奪った『悪い魔法使い』を生み出した、あの男に)



 それだけが――それだけが、フィオラの生きている意味だった。



(……ほんとうに?)



 浮かんだ疑問は水に溶けるように消えていって、残ったのは強く、強く願い、誓ったことだけ。



(次、遭ったら――差し違えてでも)


(一矢報いてみせる)



 それ、だけ。



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