第3話



(どこだ、ここは……)



 まったく知らない場所で目を覚ましたフィオラは、身体を起こして辺りを見回した。

 意識を失う前のことを思い出して一瞬身構えたものの、辺りに危険を感じなかったので、まず自分の身体の具合を確かめる。



(どこにも異常はない、か……?)



 特に不調は感じない。正確には、全身あちこちにケガがあるのを知覚したが、『暴発』による身体の時間の巻き戻りという現象としては正しい状態のため意識から外している。

 とりあえず、身体が小さくなったばかりのため戸惑いはあるが、記憶の混濁などはない――はずだ、と判断する。



(それで、ここはどこなんだ。……リト=メルセラの姿はないようだが)



 ぐるりと見回した室内は、見慣れない様式だった。

 確か、雪深い地域はこのような様式のところがあると何かで見たことがあった。



(雪……)



 『雪』で思い出すのは、珍しくシュターメイア王国に雪が降った日に、弱った姿を見せた親友――ルカのことだ。

 リト=メルセラがどこかルカを彷彿とさせる色彩を持っていたのもあって、思考はすぐにそちらへと向いた。


 ここがどこかはわからないが、すぐにシュターメイアに帰れるような場所でも、すぐに解放される状況でもないだろう。

 浚われたというか、拐かされたというか、そういう状況なわけだが、以前にも似たようなことがあった。そのときのルカを考えれば、フィオラの身に起こったことを把握したら、すぐになんらかの行動をとるだろう――そう予測できてしまうのがいいことなのか悪いことなのかはわからないが。



(だが……どういうことだ? 宿舎に入れたということは『悪い魔法使い』ではないはずだが、『悪い魔法使い』ではない人物にこんなことをされる心当たりがない……)



 そもそもが面識のない相手だ。なぜフィオラを攫ったのか、さっぱりわからない。



(リト=メルセラ本人に聞くしかないが、本人の姿も見えない状況ではな……)



 とりあえず、なぜか拘束もされていないし、連れてこられた場所を確かめることにする。


 そう広くはない部屋だった。先に確認したとおり、雪深い地域に見られる様式で作られている。

 当たり前といえば当たり前かもしれないが、窓も開かなければ、部屋に唯一の扉も開かなかった。

 寝かされていたのは仕立ての良いベッドだったが、そこにかかっていた上掛けの刺繍を見て、やはりここはシュターメイア王国周辺ではなさそうだと判断する。シュターメイア王国周辺では見ない意匠だったからだ。


 他には小さな机と、身支度用らしき大きめの鏡がある。

 机の上には何もなかったので、鏡を覗き込んだ。



(……?)



 そこに映った自分の姿に違和感を抱いて、フィオラは目を瞬いた。

 改めてじっと見つめて、気付く。



(――そうか、目だ。瞳の色が、変わっている……?)



 まるでルカのような――リト=メルセラのような、薄い氷のような青になっていた。

 ぱちぱちと瞬いても異常は感じないが、一度気付くと違和感を無視できない。なんとなく落ち着かない気持ちになっていたところに、扉の開く音が耳に届く。

 戸口に立っていたのは、当然リト=メルセラで――。



「……警戒してる、猫?」



 反射的――というか当然に警戒して振り向いたら、そんな言葉がぽつりと返ってきたので、フィオラは気が抜けそうになるのを堪えなければならなかった。



「……それは、私のことか?」


「君以外に、ここにいる?」


「…………」



 いない。いないが、なぜ猫に例えたのか。


 解せない気持ちになったものの、フィオラをこんな状況に陥らせた本人が姿を見せたのには違いない。

 訊いて答えが返るかはわからないが、とりあえず疑問をぶつけてみることにした。



「ここはどこだ」


「もう滅びた国だよ」


「……なぜ私をここに連れてきた」


「言っただろう。僕の目的のためだ」


「……その、目的とは何だ」


「それは少し込み入った話になる。ここで話すのは適当じゃない」


「…………」



 意識を失う前にも聞いたような言葉が返ってきて、フィオラは眉根を寄せる。答えがないよりはマシという程度の、のらくらとはぐらかされているような返答だ。

 だが、それは早合点だったらしい。



「来なよ。幸い時間はある――かはわからないけど、事情を話すくらいの猶予はある。話すのに適した場所へ移動しよう」



 そう言って踵を返したかと思うと、さっさと扉の外へと戻ってしまった。

 慌ててフィオラが扉のところまで行くと、その背は廊下の角を曲がるところで、フィオラがついてくるのを微塵も疑っていないような足取りだった。

 この部屋は廊下の突き当たりにあるようだし、廊下の窓は部屋のものと同じように開かないのだろうが、浚ってきた相手への対応としてどうなのだろうか。



(いや……こういうものなのか?)



 何せ浚われたと経験が豊富なわけではないのでわからない。わかってしまってもどうかと思うが。


 とりあえず、他にしようもないので後をついていくことにしたのだが、何せ大人と子どもだ。歩幅が違いすぎる。その上――。



(くっ……走るのは無理か)



 |以前〈・・〉と同じで、肉体が巻き戻ると共に、その頃に負った傷も戻っている。足に負っているケガの影響で、走るのは難しそうだった。



(この建物の中が入り組んでいなければいいが……)



 もうリト=メルセラの背は角の向こうに消えてしまった。その先が入り組んでいて、行き先がわからなくなってしまったら困る。彼が勝手に先に行ってしまっただけだが、逃走を図ろうとしたと思われて不利益を被っても困る。

 困るが、魔法が使えない以上ケガも治せないので、自分にできるだけの早さで廊下を進む。



「声ぐらいかけなよ」


「!?」



 角にさしかかろうとしたところで、そこから出てきた人影に、ひょいと抱え上げられた。



「リト=メルセラ……!」


「リトでいいよ。ケガをしてたのなら、言えば治すくらいしたのに」


「…………」



 ふつう、自分を浚った当人にそんなことは言えないだろうと思ったが、とりあえず黙っておく。

 その沈黙をどう捉えたのか、リト=メルセラ――リトは、「まあ向こうでゆっくり治そう。僕、そんなに治癒魔法得意じゃないんだよね」と言って、フィオラを抱えたまま歩き出した。


 どことなく既視感を覚えつつ、何が相手を刺激するかわからないので、されるがままに運ばれながら。



(こういうとき、浚われた側としては抵抗するのが正しいのか……?)



 そんなことを真剣に考えてしまうフィオラだった。


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