お礼といつか話したかったこと



 買い物からの帰り道、きゃっきゃっとさんざめきながら子どもたちが走っていくのを見た。

 その中に双子の子どもがいるのを見て、束の間思い出が思考を満たす。



(フィオレがいれば、毎日が楽しかったな……あんなふうに無邪気に笑っていた)



 『フィー』と、呼び合うだけで不安も何もかも吹き飛んだ。

 あの頃、片割れがフィオラのすべてだった。


 と、『ディゼット・ヴァレーリオ』によって記憶をなくしていたときに、ルカに呼び名で気を遣わせてしまったことを思い出す。



(……いい機会かもしれないな)



 自室に荷を置いたフィオラは、手土産だけ持って、騎士団の宿舎のルカの部屋へと向かった。





「フィー? ……え、夢?」


「開口一番何を言ってるんだ」


「だって、フィーがこっちに来るなんて……。執務室ならまだしも初めてじゃないか?」


「そうだったか? ……一度くらいは来たことがあるだろう」


「確かに何かあった時のためにって俺の部屋の場所を教えた時に来たことはあるけど……そのときだけだよ?」


「私は自分の領域でない場所には近づかない主義なんだ」



 騎士団は実力と見目と将来性を兼ね備えている人間が多いため、不用意に近づいて変な嫉妬を買いたくないというのもなくはない。フィオラは普段男の姿で過ごしているが、なんと男に男が近づいただけでも嫉妬する性質の人間というのは結構いるのだ。女性に限らず、男にも。

 一番の友人を自称するルカと過ごす中でそれを思い知ったので、フィオラは極力私的な場には近づかないようにしていたのである。



「そんなフィーがどうしてここに? ――あ、その前にどうぞ入って。立ち話もなんだし、お茶……はあったかな。何かできるだけのおもてなしはするから」


「気を遣わなくていい。……が、お茶の用意もないなんて、お前普段何を飲んで生きてるんだ?」


「えーと……水?」



 その言葉に、フィオラは呆れた。

 確かに魔法使い宿舎も騎士団宿舎も、魔法のおかげで水には困らない環境だが、それにしたって。



「お前、人にはあれだけ食事やら気を遣ってくるのに、自分の方は疎かなんじゃないだろうな?」


「食事はちゃんと摂ってるよ。体を動かす資本だし、騎士はいつでも動けないといけないから。でも飲み物は嗜好品だから」



 嗜好品といえば嗜好品なのかもしれないが、もっとなにかましなものがあるだろう。……食にあまり興味ないフィオラではすぐには思いつかないが。


 そんな会話をする間に、ルカの先導で部屋に入る。

 一度見たことがあるが、必要最低限のものはそろっているものの、それ以外趣味のものがうかがえない部屋だ。きちんと片づけされているので余計に物が少なく見える。


 椅子を勧められて腰を落ち着けると、ルカは戸棚をあっちこっち探し回り、なんとか茶葉を発見した。そして宿舎に住む全員に支給される湯沸かし魔道具で湯を沸かし、お茶を淹れてくれた。



(手馴れてはいるのにな……)



 執務室を訪れるときも、副官のジード・ガレッディ副騎士団長がいないときはルカがお茶を淹れてくれる時が多い。手馴れているのも当たり前なのだが、それなら自分の為にも淹れればいいだろうに。……しかしよく考えると、騎士団長や副騎士団長がお茶を淹れる方がおかしいのかもしれない。


 ともあれ、ルカの淹れたお茶を前に、ようやくフィオラはここに来た目的を果たすことにした。



「まずは、これだ。いろいろと迷惑をかけた礼というか……そういうものだから遠慮せず受け取ってほしい」


「? お礼だったらこの間もらったはずだけど。一緒にお出かけ券とか執務室に来てくれる券とか」


「それはお前の希望でだっただろう。あれだけだとさすがにどうかと思ったんだ」


「あれで十分と言うか、あれが一番俺が嬉しいものだったんだけど……でも、ありがとう。開けてもいい?」



 問われて、頷く。渡した包みをルカが丁重な手つきで開いた。



「これ……」


「お前、この間、いつもしていたピアスが壊れたと言っていただろう。似たような雰囲気のものがあったから、それにした」



 ルカは出身国の風習だとかで、片耳にピアスをしている。しかし先日、そのピアスが壊れてしまったらしいのだ。新しいの探さなきゃな、と言っていたものの、式典出席で不在にしたりフィオラの件で協力してくれていたりした分、やはり忙しいらしく、なかなか買いに行けないと零していたので、それなら、と思ったのだ。


 ルカはピアスを手に取り、じっくりと眺めた後、花開くように笑った。



「フィー、ありがとう。すごく嬉しい」



 美形の満面の笑みは何度見ても眩いな、と思いながらフィオラは「どういたしまして」と応える。



「それで、『まずは』って言ってたけど、まだ何か?」



 首を傾げるルカに、フィオラは一口お茶を飲んでから口を開く。



「――記憶をなくしていたとき、私は『フィー』という呼び名に戸惑っただろう?」


「? うん」


「それについて、どうせだから説明しておこうかと思ってな。……私が『悪い魔法使い』に幼い頃攫われたのは話しただろう。そのとき、攫われたのは私だけじゃなかった。私は双子だったんだが、その片割れも共に攫われた」


「…………」



 ルカは一瞬何かを言いかけて、口を噤んだ。『今、共にいない』ということの意味を敏感に察したのかもしれなかった。



「その……『悪い魔法使い』の元でどういう目に遭ったかは以前話したな。そこで私は片割れを失った。失ったことが契機になって『魔法使い』になったのだと思う。……それで、その片割れとお互いを呼ぶ呼び名が『フィー』だったんだ。だから、記憶のない私は、お前が私を『フィー』と呼ぶのに戸惑った」


「……お互いを呼ぶ呼び名ってことは、その……双子の彼? 彼女? も『フィー』が愛称になる名前だった?」


「彼、だ。片割れは『フィオレ』と言った。……子どもの口だと『ふぃーれ』になるし、私の名前も『ふぃーら』になるからな。自然と呼びやすいように呼ぶようになった」



 少しだけ、笑みを浮かべる。

 会って間もない頃のルカも、フィオラの名前を堪能に呼べなかった。それが幼い頃の記憶に被ったから、『フィー』でいいと言ってしまったのかもしれなかった。



「そんな大事な呼び名だったなんて……言ってくれれば、俺だって呼び名を直すくらいしたのに」


「そんなに深刻に考えなくていい。……ここに来たばかりのころの私には深刻な話だったが、今の私には懐かしいだけだ。むしろ、その呼び名をまだ口にする人がいるということが有難い」



 忘れずに、済む。それは前向きとは、少し違うのだろうけれど、フィオラにとっては大事なことだった。



「それなら、今まで通りに呼ぶけど……本当に大丈夫?」


「大丈夫だ」


「……うん、わかった。改めて、よろしく、『フィー』」


「よろしく、ルカ」



 微笑みあう。

 片割れのことをルカに話すことができたことに、ほっとする。一生、誰にも話せないままでいるのかと、少し思っていたのだ。



(大丈夫だ。私はきちんと前に進めている。――進むことが怖かった、私じゃなくなっている)



 それは多分に、この目の前の友人のおかげなのだろう。


 思いを込めて、「ありがとう」と囁いた。ルカは少し目を丸くしていたけれど、先の件の改めての礼かと思ったのか、「どういたしまして」と返してくれたのだった。

 

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