第25話
「フィー……大丈夫?」
アルドのいる研究室兼牢屋から出ると、ルカはそう言ってフィオラを気遣った。その言葉が、かつての片割れと重なる。
「ここで大丈夫、と言って、お前は信じてくれるのか?」
「フィーがそう望むなら」
静かに、そして真摯にルカは言う。だからフィオラも、本音をこぼせた。
「だいじょうぶだ……とは言えないから、手を、握ってくれないか」
今はただ、誰かの体温が恋しかった。いつでも傍にあった片割れのように。
ルカは一瞬の間を置いて、膝をつき、フィオラを抱きしめた。
「……手を、と言ったと思うんだが」
「俺が、フィーを抱きしめたかったんだ」
優しい声音が染み入るようで、フィオラはそれ以上の反論を口にできなかった。
「……変わらないな、と思ったんだ」
「?」
「『善い魔法使い』も、『悪い魔法使い』も。『これは魔法使いだ』というかんかくだけがあって――何も、ちがいはないんだと」
「違わないけど、違うよ」
「……何がだ」
「『善い魔法使い』は『やろうと思えばできるのにそうしない』魔法使いだろう?」
当たり前のように言われる。魔法使いでもないのに何を、と思ってもいいところだったのに――その言葉はすとん、と胸に入ってきた。いつかのルカの言葉と同じように。
「あ……」
「フィー?」
どこかの家で、ルカとそんな話をした記憶がちらつく。
今のフィオラは知らない、だが、知っている。記憶はこの体が覚えている。
「私は……そういった話を、お前とした、か?」
「……! 記憶が……!?」
「いや……そんな、気がした」
フィオラの言葉に、けれどルカは落胆を表には出さなかった。
「潜入捜査のときに、少し」とだけ答える。
「『呪い』が解けないと記憶は戻らないものだと思っていたけど……そうじゃないのかな」
「夢のかたちで、おそらく私の記憶だろうものも見た。記憶がなくなっているというより、ふうじられているような感じなんじゃないだろうか。……すいそくだが」
「なるほど……それなら頭の中には『在る』ってことだから、きっかけがあって蘇ることもあるか……」
思案気にルカが目を伏せる。
そろそろ落ち着いてきたのと、冷静に考えると結構人に見られると恥ずかしい体勢なのでは、という気持ちがむくむくと湧いてきて、身じろぎする。それをどう思ったのか、ルカはさらにぎゅっと抱きしめてきた。
「る、ルカ……」
「うん?」
「もう、おちついたから。だいじょうぶだから、その……」
離れてもらえないだろうか、と言うべきところなのはわかっているのに、続きが喉の奥から出てこない。……体温を、心地いい、と感じる自分が確かにいるのが原因なのだろうが。
「俺はもう少しこうしていたいな。……フィー、子ども体温なんだね。いや、今は子どもの姿だから当たり前だけど」
だから、ルカのその言葉に、それ以上言い募ることができなかった。代わりに別の言葉を舌に乗せる。
「……ルカもたいおんが高くないか?」
「騎士は平熱が高めの人間が多いよ。筋肉量が関係しているとか聞いたことがあるけど」
そんな他愛ない会話をしながら、心地よさに身をゆだねる。
とろりとした眠気までもが忍び寄ってきて、フィオラはそれを払うために若干慌てて口を開いた。
「ルカは、アルドを私がほばくした現場にいたんだろう?」
「うん」
「ほんとうに、私は『またともだちになってくれるか』という問いに……うなずいたのか?」
アルドの言葉を嘘だと思っていたわけではなかった。ただ、他の人――ルカから聞けたのなら、それをうまく呑み込めるような気がしたのだ。
「――うん。『もちろんだ』って。……俺には、表情は見えなかったから、どんな気持ちで言ったかは、やっぱりわからないけど」
「いや……じゅうぶんだ」
どんな気持ちを抱えての言葉だろうと、『悪い魔法使い』が普通の魔法使いに戻ったら『ともだちになりたい』と言ったのに、了承を返したのだ。自分は。
それだけの心を、親しみを、培ったのだ。
「さっきの、もういちど言ってくれないか」
「? さっきの?」
「『善い魔法使い』も、『悪い魔法使い』も、何もちがわないと私は思ったけれど――お前は、そうじゃないと言ってくれた」
「……『善い魔法使い』は『やろうと思えばできるのにそうしない』魔法使いだろう。もちろん、フィーも」
「――ああ。……ああ……そうだな」
この、彼の信頼を、裏切りたくないと思った。
絶対に、『悪い魔法使い』にだけはならないと――そう、思った瞬間。
フィオラの頭の中に声が響いて、フィオラは意識を失った。
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