Chapter Ⅲ 雪月の誓い

 てくてくと王宮の廊下を歩いて二階へ上がると、全面窓の廊下が左右に広がっていた。これは展望型の渡り通路か……右には王宮前大通りの全景、左にはアスタリア高原が見える。アスタリア高原は暗くて何も見えないけど、王宮前大通りの方は店の光が幻想的に輝いていた。


(おっと……寄り道しないで早く行こう)


 展望型の渡り通路を通り過ぎると、すぐに王宮内にあるテラスへ到着した。テラスは四方八方壁に囲まれており、その中に植木や花壇や噴水などがある。上を見ると宝石をちりばめたような星と淡く灯す大きな月がこちらを睨んでいる。そして昨日の雪でテラスは一面銀世界が広がり、そこに淡い月光がテラスの銀世界に差し込んで幻影的な景色になっていた。


「銀世界の箱庭みたいだな……」と呟く。まるでライネスから借りて読んだ童話みたいに連想させる光景だ。


「来たわね、レオくん」


 先に到着していたアーシェが噴水の縁に座りながら、俺の名前を呼んだ。パーティー会場で着ていたドレスを身に纏ったままの姿だった。そんな薄手のドレスだけで寒くないのだろうか? 夜の気温低下と残雪が残って冷え込んでいるのに……。


「あぁ……それにしても寒くないのか? そんな薄手のドレスで」


「えぇ……大丈夫よ。私、寒さには強い方なの」


 へ、へぇ……彼女は寒さに強いのか……。ふ、ふへぇ……すごいなぁ……俺はここに居るだけで凍え死にそうなのに……本当にすごいや。


「そ、それで……話と言うのは?」


 余談はこのぐらいにして早速本題をアーシェに問うた。こんな寒い中で長時間話し合うのは勘弁願いたい。と言うか、なんで室内じゃないんだろう? こんな寒い中、外で話し合う理由でもあるのか?


「えぇ……一つ、聞きたい事があるの」


 まっすぐな目で俺を見つめるアーシェ。聞きたい事って一体なんだ?


「その前にこれを持って――」


 アーシェの背中から二本の剣を取り出して、その一本を俺の前に地面に滑らせて渡した。その剣は凡そ三尺(約九〇センチ)で、所属している討伐隊の騎士でも使う一般的な剣だった。


「えっ……剣? なんで? 何に使うの?」


「――それはもちろん、私と決闘するために使うのよ」


「――ファイ? 決闘!? な、なんで?」


 決闘って――あれでしょ? 名誉の騎士が侮辱された時にやるときでしょ!? って俺って決闘されるような侮辱な事したっけ!?


「それは……で、出会った時に――き、キスして……襲ったでしょッ!?」


 赤面しながら怒鳴るアーシェさん。き、キスって……アレは流れ的に見逃してくれたんじゃなかったのかッ!?


「お、襲っていないわ! と言うか、あれは話の流れ的に見逃してくれたんじゃなかったの!?」


「あ、あの時は……レイシアが来たから、その――決闘出来なかったのよ! あの子、決闘って聞けばチャクラムぶん回して制御できなくなるのよッ!」


 レイシアって決闘って聞くと、チャクラムをぶん回すって――歩く凶器じゃねぇーか! でもまあ、あそこで決闘しなくてよかったかも……。だってその話が本当なら、俺今頃あの裏路地でミンチになっていたかもしれない。と言うか、あんな狭い路地でチャクラムぶん回せるのか……と疑問に思うけど。


「へ、へぇ……な、なるほどぉねぇ……そ、それよりも! アレは君が滑ったところを俺が助けたんだ! き、キスはじ、事故だったんだ! そう、運命の悪戯なんだ!」


 どうにか説明して、彼女の誤解を解いてもらわなければ……。でも、今の説明だと、噓っぱちじゃね?と後から思った。とにかく俺は襲っていない。キスは事故だった。そう伝えなければ……。


(うぅ……初恋の人に俺のファーストキスが襲われたって思われるなんて、なんか複雑な気持ちだなぁ……。キスできたのはよかったけど)


「じこ……? ふざけないで! 私が滑った時に私を襲おうとしていたじゃない!」


「ちが……あれは君を怪我しないように庇っただけだ!」


 俺は必死に説明するが、アーシェははぁ……と溜息を溢した。


「――埒が明かないわ。決闘でどっちが正しいか……決めましょう」


 え、全然聞いていないの!? 説明しているのに!? ファイ!?


「……ちょっ、それは止めた方が……!」


「何、決闘から逃げだす気なの?」


「いえぇ……その――何と言いますか……ひ、姫様を怪我させるわけには――」


 い、いきなり決闘なんて――俺にはまだ心の準備が出来ていないし、彼女を怪我させるわけにはいかない。怪我でもさせたら、王族たちになんて言われるのか……。


「――見くびらないでッ! 炎の中、必死に洗脳者から逃げる君を助けた事……忘れたのかッ!!」


 アーシェの一喝に俺は一歩身を引いた。ものすごくカンカンに怒っているぅ……。


「わ、忘れていないよ! カッコよかったし、そのおかげで今日まで生きられましたし……」


「――なら、なんでそんな事言ったの? 侮辱でもしているのかしら?」


 ぎろりと俺を睨みつけるアーシェ。やばい……ちょっとビビった。


「し、していません! お、王族たちに決闘しているところを見られたら……」


「大丈夫よ。ここのテラスに通じる渡り廊下を封鎖しといたし――逃げたくても貴方と私はどの道ここから逃げられないって訳よ」


 に、逃げられないって……本気か!? ど、どうすればいいんだ……アーシェは早く決闘したいって体がうずうずしているし……。と、とりあえずアーシェに言いそびれた質問してみよう。


「じ、じゃあ、今日渡した招待状は決闘の為に渡したの!?」


「いいえ、あれは本当にキャンセル出たから参加できる人を探していたの。決闘は招待状を渡した後に思い付いた」


「へ、へぇ……そうなんですかぁ……」


「言いたい事はそれだけ?」と、睨みつけながらアーシェは厳かに言う。


(ひ、ひぃぃぃ……)と内心で叫んだ。もはや狩人の目だッ!


「さっきから質問ばかりしているけど、時間稼ぎしているの?」


 ぎくり……バレた。決闘したくないから時間稼ぎしている事がバレた……。


「もういいわ……こんなくだりしているなら最初に襲撃すればよかった」


 アーシェは剣の鞘を抜き、俺に目掛けて一撃を放つ。


 ヤバい……とアーシェから渡された剣を拾って、彼女の重い一撃を受け止めた。咄嗟にやったので鞘を抜く時間すらなかったので、鞘は粉々に砕け散った。


「ぐぅ……ッ!?」と苦い表情でアーシェを見つめた。


「あ、アーシェ……け、剣を収めください」


 アーシェに決闘を止めるように促した。アーシェを傷つけるわけにはいかない。王族や部下たちにこの事を知られたら、斬首刑に処されてしまうかもしれない。そしてもう彼女に会えなくなってしまう。折角彼女と再会できたのにこんな結末を迎えてしまってもいいのか? 

 そんなの……絶対に嫌だ。俺はアーシェが好きだ。恋煩いしているんだ。みんなから付き合う事なんて出来ないってバカにされてでも、俺は夢を諦めなかった。そして今こうやって近づいたって言うのに……こんな決闘で無にしてたまるかッ!


「今更命乞いとはね……それで決闘をやめると思っているつもりかしら?」


「違います……アーシェ様。俺は……貴方を傷つけたくないのです」


「ふざけないで! キスして襲った輩の戯言なんて聞きたくもないわッ!」


「キスして襲ってなどいません……本当に信じてください。俺は……貴方を助けただけだ」


「嘘だッ!!」


 アーシェの叫びが狭いテラスに木霊する。俺は思わず驚いてしまった。けど、怯まずにアーシェに説得を続けた。


「嘘じゃない! 本当に襲っていない!」


「じゃあ聞くけど、あのキスは何だって言うの!?」


 アーシェの質問に「そ、それは事故だ……」と重ねて言おうとしたが、俺の口は心に秘めた本音をアーシェにぶつけてしまった。



「そ、それは――――君の事が好きなんだ!!」




 建前と本音を逆に言ってしまい、暫くの間シンとした空気が流れた。この時の俺はまだこの事に気づいていなかった。


「はああっ!? な、ななななな……何言っているのぉぉぉッ!?」


 ボンッ……とアーシェは頬を真っ赤に染めながら動揺していた。


「えっ……俺何か――――――あっ!?」


 数秒前に言った台詞を思い出す――そして気づいた。今言ったのは自分の本音だという事に……。ま、間違えて好きって言っちゃった……いや、彼女に伝えたかった事だからいいんだけど、こ、このタイミングで言っちゃう!?


「い、いや……その、そ、それは……き、君に助けた時から――ッ」


 パシンと口を手で覆った。な、なにを言っているんだ……。


「決闘最中にふざけた事言わないで! す、好き……なんて軽々しく――」


 涙交じりに言うアーシェ。軽々しく――その言葉にカチンときた。ふざけるな……この言い方によっちゃ軽々しいかもしれないけど、俺は……俺は、君の事が本気で好きなんだ。そこら辺のチンピラのナンパみたいに言うな……!


「軽々しく言っていないッ! 俺は本気で言っているんだ! 邪竜洗脳者から助けてもらった時に君の眼差しがカッコよくて……好きになったんだ」


 アーシェに言い返すと同時に彼女を剣で押し返して、ゆっくりと立ち上がった。


「……ッ! ふ、ふざけるのも大概にしてッ! 決闘最中に……こ、告白なんて……そ、それに私を襲ったじゃないッ!」


 再びアーシェは攻撃を仕掛け、ガキン……と彼女の剣戟を食い止める。


「あれは襲っていない! 何度も言うが、君を怪我しないように助けたんだ」


「嘘だ……こんな話が通じない強姦魔なんて信じない!」


「うおおおっ」とアーシェは咆哮を轟かせ、攻撃を仕掛ける。それをガキン……と剣で受け止める。


(くそぉ……一体どうしたらアーシェを信じさせてもらえる?)


 ガキン……ガキン……とアーシェの剣戟を何度も剣で受け止める。その間に彼女をどうやって信じさせてもらえるか必死に考えた。


(一体、どうすればいい……? そ、そうだ……)


 そうじゃん……今は決闘の最中……、こいつに勝てばいいだけだ。剣で押し返して彼女から一定の距離を取った。


「はぁ……はぁ……さ、流石『不死のレオ』と呼ばれるほど、しぶといわね……」


 しぶといというか、まだ一度も負傷していないんですが。ま、まぁ……戦いに置いてのしぶといって言っているんでしょうね、うん。


「だけど……次の一撃で、貴方の話を噓っぱちという事を証明して見せる!」


「いいや、噓っぱちじゃないって事を証明してやる! 俺はやっていないってッ!! そして……俺は君の事が好きだぁぁぁッ!!」


「嘘だッ! この……痴漢魔ァァァッ!!」


 二人の雄叫びが狭いテラスに木霊する。そして二人の剣戟が交わった。


 ガキン……と、先ほどの雄叫びをかき消して、静寂な空気に包まれた。果たしてどっちが勝ったのか……。


 ――パキン……カランカラン……と剣が折れて地面に落下する音が響いた。一体どっちなんだ……? 俺は恐る恐る手に持つ剣を見る。折れているのか、それとも折れていないのか……。


「お、折れて――――ない……」


 ピシッと罅が入っているけど、折れていない……。あ、アーシェの剣は……?


「――――――」


 アーシェは無言で首を下げ、真っ二つに折れた剣を眺めた。


「……この勝負、俺の勝ちだな」


 アーシェに向けて厳かに伝えた。


「――そうね、私の負けね。そしてレオくんの主張も信じるわ」


「……ありがとうございます。アーシェ――――のわっ!?」


 くるりと体をアーシェの方へ向けようとした瞬間、つるりんと滑ってしまった。


「お、と、と、と、と、と……とぉぉぉッ!?」


 幸い片足だったので体のバランスを直して立て直そうとするが、片足でけんけんぱの如く先に進んでしまう。


「と……どばぁッ!!」


 そして噴水の縁に突っかかって、そのまま噴水の中に転落してしまった。


「ぶ、ぶぁっ……さばばばばばばばばばばばばばばばばば……ッ! しぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ……ッ!!」


 や、やべぇ……し、死ぬッ! 全身を冷たい水につかって、夜の気温低下と冷たい風に当たると言うトリプルコールドアタック……。さ、流石に凍え死ぬ……昨日の吹雪以上に! ほ、本当にやばばばばっ……。がたたた……と歯が痙攣しているし……。


「あ、あばばばっ……だばばばばばば……」


 近く見ていたアーシェに助けを乞う。そしてアーシェは噴水の縁の前まで近づく。


「――バカなの? 勝ったのにこんな無様な事しちゃって」


 嘲笑交じりに言うアーシェ。そして彼女は俺に向けて手を差し伸べた。


「ほら、早く出て。風邪引いちゃうわよ」


「お、おぼぼぼ……」


 彼女の差し伸べた手を掴み、ゆっくり立ち上がった。


「ありがと……のわっ!?」


 つるん……と、池の底に潜んでいた謎の滑りによって足を取られてしまった。な、なんでぇぇ滑るのぉぉぉぉぉッ!?


「ちょっ……!?」


 ドボン……と二人とも冷たい池の中に転倒してしまった。


「ぶはぁッ!? ど、どばばばばっ……さっばばばばばっ……な、なにしているのよぉぉぉ……」


「す、すいません……ちょっと滑っちゃって……」


「あぁ……も~~っ! ドレスがびしょ濡れ……そ、それにさばばばばばばばばばばばばばばばばばッ!? し、死ぬぅぅぅ……凍え死ぬぅぅ……」


「だ、大丈夫ブブブブッ……っすかぁぁ……ばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばッ……」


「だばばばばばば、じゃねぇ……ばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばッ!?」


「すぶぶぶぶ……らららら……こここご……すばべねねねねねねねねねね……。と、とりあえずブブブブ……ここ、ぼぼぼれ……でもぼぼ……」


 ずぶ濡れたやつだけど、アーシェにコートを手渡した。


「あ、ありがとぉぉ……ぼびおぼ……へっくしょい!」


「ばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばっ……か、かぜべべべべっ……ひか、内容に……か、体を……だばばばばばば……」


「そ、すべべべべ……も、もう……このさばばば……きばばばっていちゃ……」


「だ、だばな……」


 もう男女抱きしめるのは嫌とか言っている暇なんて無い。とりあえず体を温めないと……死ぬぅぅっ!

 そう考えた俺達は互いの体をぎゅぅぅっ……と抱きしめて暖を取った。こ、これなら……大丈夫……筈だ……。


「――ふふっ……あったかいわ」


「だ、だな……」


 何処があったかいのだろうか……俺はまだクソ寒いんですけど。ま、まぁ……ここは空気読んで温かいって言っておこう。嫌われたくないし。


「ふふふふっ……こうしていると、冬の夜空を眺める恋人みたいね……」


「そ、そうだな……」


 と言うか……よくよく考えたら、は、初恋の人と体を抱きしめているとか……やばばばばっ……。や、ヤバい……恥ずかしくて体が火照りそうだ。


「――いいわ、受け取ってあげる」


「……え?」


「……その――レオくんの『好き』、受け取るわ……」


 受け取る……そ、それってまさか……。


「い、いいのか?」


「何動揺しているのよ。折角の千載一遇のチャンスを逃すつもり?」


「いやいや、そうじゃなくて……その――――ありがとぉぉぉぉぉぉッ!!」


 ぶわっと涙を流して、俺はアーシェにギュッと強く抱きしめた。


「ちょ……苦しい……」


「あっ……ご、ごめん……」と謝って、力を緩めた。


 ゆ、夢じゃないよね……。初恋のアーシェにま、まさかのオッケーがもらえるなんて……。う、うれしい……めっちゃ嬉しい! 悔いなく死んでもいいぐらい嬉しい!


「ただし――この事は私たちの秘密だからね」


「え――な、なんで!?」


「その……何と説明すればいいんだろう。私って王族の一人でしょ? レオくんは庶民の騎士だし……」


「そ、それが何だって言うんだ」


「その、ね……王族に昔から伝わる決まり事なんだけど――庶民付き合ったり結婚したりしちゃいけないって言う決まりがあるの」


「なんで?」


「何個か言い伝えがあるんだけど、一番の理由は昔王族の娘と庶民出身の男性が付き合って結婚して、その男性が国王になって何か月かで財政危機に陥った事があったんだ。なんでも、財政と王族が持っていたお金を個人趣味に使ってしまったらしいけど……。その一件以降、王族と庶民の付き合いと結婚は一切無くなった……」


 アーシェの話に耳を傾ける。なるほど……アーシェと付き合うと言う俺をバカにしている理由が、何となく分かった気がする。だからみんな遠回しにバカにしていたのか。アーシェ様と付き合うのは止めた方がいい――、高嶺の花だ――、なるほどね……付き合いたくても、過去に苦い経験を体験した王族は反対されるもんな……。


 ――決めた。だったら、そんな古い概念を壊してやる。やっと付き合ってもいいというサインをもらったんだ。そんな古い事を考える王族どもにぎゃふんと言ってやるぜ!


「あぁ……分かった。俺達の関係は秘密にしよう」


「ありがとう……」


「それと、俺から一つお願いしてくれませんか?」


 彼女と一緒に立ち上がって一旦彼女から離れる。


「お願い……?」


「えぇ」と相槌を打ち、アーシェの前に跪いた。噴水の中という事を忘れていたけど……もう気にしない。



「俺と一緒に、付き合ってはいけない王族の言い伝えをぶち壊しましょう」



 淡い月光が降り注ぐ中、厳かにアーシェにお願いを告げた。


 アーシェは最初戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに落ち着いた表情に戻って「えぇ……」と答えた。


「ぶち壊しましょう。レオくんは昔の庶民みたいな事は絶対しないって信じているわ」


「――ありがとう、アーシェ……」


 そして俺はアーシェの手を持ち、軽く口づけした。


 ――これは誓いだ。アーシェの恋人になった以上、王族から非難されるのは確実だ。けど、俺はこの腐った言い伝えをぶっ壊して認めてくれる男になる。


 柔らかな月光が俺達に向けて降り注いでいる。まるで舞台役者のスポットライトに当たっているようだった。

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