Chapter Ⅵ 洗脳者と彼女の正体……

 店から飛び出してきた俺は、犯人が逃げた方角――つまり王宮前大通りの王宮正門方面に居た通りすがりの人から、犯人はどこに逃げたのかと聞きまわった。


「その人なら……の、八百屋さんの路地に入り込んでいったよ……」


「ありがとうございます!」


 八百屋さんの隣……とりあえず行ってみよう。もしかしたら居るかもしれないな……とにかく聞いた情報を確認しなければ……。


「ん……うげぇ――硫黄くせぇ……」


 ツン……と強い硫黄臭が充満し、鼻孔を尖らせた。


(なんでこんな異臭が……? 異臭で気にしちゃだめだ、先に進もう)


 俺は暗い狭い路地の奥に進んだ。本当にこんな人が毛嫌う場所にひったくり犯が居るのか、疑問に思ってきた。


「うへぇ……気持ち悪い……反吐がでらぁ……」


 ざくざくと除雪が行っていない路地を歩く。太陽の光すら遮る建物の外壁が俺を睨んでいる。まるで、昔騎士学校の夏下宿の時にやった肝試しのような不気味な雰囲気だった。人じゃないのに、じろりじろり――と俺の後を付けて眺めているかのようだ。例えばそう……外壁が人の顔に見えたり、悪魔のような顔だったり――。


「ひょわっ!?」


 そんな怖い肝試しの事を思い出したら、突拍子にビクンと体がよろけてしまった。そしてつるんと滑ってしまった。除雪していないから滑る事なんてあり得ないのに何故――?


「いたたッ……最悪、尻餅濡れたし……ぐうううっ、尻が寒い……ぶぶぶっ」


 冷てぇ……尻が凍傷しちゃうわ! タオルとか持っていないし……仕方がない、帰宅するまで我慢しよう。べったりと濡れた服が尻の皮膚に張り付いて気持ち悪いがな!


(しかし……路地の方は除雪していないから歩きづらいな――――ん?)


 雪――そういえば雪って、除雪しない限り綺麗に足跡が残るんだよな。そうなると、この先の道に俺以外の足跡があるんだよな……。


「足跡――」


 俺はじっくりと地面を眺める。


「あった……」


 そうじゃないか――今日は積雪しているんだ。路地に逃げ込んだって聞いた時に、最初に確認するべきだった……迂闊。


(ま、うん。結果オーライだな……足跡はくっきり残っているんだし)


 とりあえず、足跡を頼りに進んでいこう。絶対にひったくり犯が居るに違いない。

 暗い路地をゆっくり進む。もう遮る壁で太陽の光が届かない場所の方まで来ちゃったぞ。まるで現実世界と異空間の狭間に踏み入れたような雰囲気だ。そう言えば、昔死んだ母さんが言っていたっけ。


『裏路地は絶対に入ってはいけないよ……。もし興味本位で入ったら、異世界と現実世界の狭間に迷い込んで、一生そこから出られなくなってしまうよ』


 なるほど、確かにその通りだ。入り込んで奥に進むと、出口が見当たらなくて迷ってしまう――正しく異世界と現実世界の狭間にある通路だな。ほんと、その話を聞いて裏路地に入るのは嫌になっちまったわ。まあ、今はもう何処へ繋がっているかは大体見当ついているから怖くはないけど。


「――――ッ……ッ」


 人の気配が感じる。そう遠くはない――近くに居るはずだ。


(ひったくり犯……ぜってーに逃がさねぇ!)


 ギリ……と両手の指先に力を入れ、拳を作る。この拳で一発殴ってやらねぇと気が済まない。殴って、巾着を取り返して――――


「あ、あ、あッ……」


 怒りが出ようとした時に、突如嗚咽が聞こえた。間違いない――ひったくり犯が居る。


「――おい!」


 俺は声をかけた。そして俺の声に反応したのか、近くまでやってきた。


「あ、あ、あ、あッ!」


 茶色いフードと右手に変な紋章――間違いない。巾着袋を盗んだひったくり犯だ。だが、何か様子がおかしい。ゾンビのような不気味な嗚咽を漏らし、瞳孔は俺の方を見ていない。これは――なんだ? 薬物か酒でハイになっちまったのか?


「お、おい――なんだよ……。何か言えよ――」


 ずる――と一歩後ずりながら、目の前のフード人物に声をかける。な、なんだ……瞳孔が開いて、涎がダラダラ垂らして……。


「あ、あぁ……ご、ゴルゴーンさ、まぁ……」


 ゴルゴーン――その名前を聞いた瞬間、ゾッと背筋が震えた。こいつ――邪竜洗脳者かッ!!


 一歩下がって腰に帯びた剣で――しまった、剣持ってきてねぇ……。代用の武器――もない……そうだもんな。今日から休暇日、武器なんて要らねぇだろって出かけるときに思ったじゃないか。という事は、丸腰!


「あぁーなんでこんな一番会いたくない邪竜洗脳者に出会っちまうんだ?」


「ゴルゴーン……サマ、リュウノゴカゴヲ――」


 あぁ……これはもう末期の洗脳者だな。カタコトだし、加護とか言っている時点でね……。


「オ、オマエハ……カゴヲ――シンジテイル?」


 洗脳者が質問してくる。ふん――そんなの決まっているじゃないか。


「信じてねーよ、ばーか! そんなもん、クソくらえだ!」


 親指を下に突き立てて挑発した。


「シ、シンジナイダト……ガガガッ……オ、オマエハオロカダ……リュウノゴカゴヲシラヌオロカモノッ!!」


 ドドドッ……とひったくり犯――もとい邪竜洗脳者は俺に襲い掛かり、首を引きちぎるように締め始めた!


「が……………………………………………あっ……………………………ッ!!」


「シネ、シネ、シネ、シネッ! リュウノゴカゴヲシラヌオロカモノッ! シネ、シネ、シネ、シネ、シネッ!」


 クソクソ……邪竜洗脳者はちょっとしたことでキレるの、止めてくれないかッ!? まあ、そんな事言っても邪竜洗脳者の耳には届かない。


「が………………………が……………………………ッ」


 や、ヤバい……意識が、朦朧――して……いる。早く……しないと、こ、殺される……。

 何か……何か……何かないのか……!? 生死の境を彷徨う俺の意識は、反撃になるものを必死に探し――そして見つけた。そうじゃないか……今日はアレがあったんだ。そう、目の前にしかもこんなに沢山……。これは起死回生のチャンスだ……。早く……かき集めて……。


 俺はそこら中に散らばった雪を拳分の量を集め、邪竜洗脳者の両目に向けて押し付けた。


「ギ、ギャァァァァァッ!」


 洗脳者の目に入り込み、首を絞めていた手を解いた。その隙に洗脳者の体を蹴飛ばした。


「ごほっ……ごほっ……」と咳き込む。そしてゆっくり深呼吸をした。全く……すごい力で絞めやがって……。


「リュウノゴカゴヲシラヌオロカモノ……シネッ!」


 蹴飛ばされた邪竜洗脳者は再び俺を襲い掛かろうと、懐に忍ばしたナイフを取り出して攻撃を仕掛けた。


(なんでナイフ忍ばしているんだよ……! こっちは丸腰なのによッ!)


 愚痴を溢したって仕方がない……。とにかく、殺される前に殺さないと――

 脳内の思考回路をフルスロットルで回転させる。洗脳者はナイフを上げている……攻撃方法は斬りつけか、何処かの部位を突き刺すか……。どう仕掛けるんだ……ギリギリまで確認するか? 


「オロカモノ、オロカモノ!」


 いや……そんな事したら殺されてしまう。なら――他は?


「シネッ!」


 どんどん距離が迫っていく。どうすればいい……狭い場所の攻略方法を使おう――壁をつたって回避……違う。攻撃を受けてから反撃する――違う。


 ……じゃあ、どうするかって?


「こうするに決まっているッ!」


 距離がゼロになり邪竜洗脳者のにたりと蔑んだ瞳と俺の瞳が交錯する。瞬間――スローモーションの世界に入り込む。ナイフやら敵の動きやら積雪した雪が宙に舞うやら勝った気になって嘲笑っているのだろう。――残念、お前は負ける方だ!

 俺はナイフを持っている手から反対に体をのけぞった。ギリギリでの行動にナイフの勢いを殺すことは出来ない。


「ナッ……カワシタ……?」


 邪竜洗脳者の表情が歪む。一刻も早くナイフを方向転換しなければ……と邪竜洗脳者はそう考えた。


「へッ――おせーよッ!」


 その行動を起こす前に、俺はナイフを持っていた手の腕を掴んでグイッと軽く捻った。


「グッ……」


 軽くひねった事により手の力が痛みで抜けてナイフを落とし、拾われる前に遠くに蹴飛ばす。そして腕を掴んだまま洗脳者の体を投げ飛ばし、そのまま腕を後ろに引っ張った。


「観念しな、邪竜洗脳者。お前はここで終わりだ――と、その前に盗んだ巾着袋を返してもらおうか」


「ググ……オ、オロカモノ……ゴルゴーンノゴカゴヲシラヌオロカモノ……」


「ハイハイ、オロカモノ……は結構。早く渡せ」


 ギリ……と腕を強く引っ張った。何度も聞くセリフにムカついたのだ。


「オロカモノ……オロカモノ……オロカモノ……オロカ――グギィィィィィッ!!」


「オロカモノじゃねーんだよ! 何処だ、お前がひったくった巾着袋は何処にあるって言っているんだッ!!」


 更に腕を引っ張る。これ以上しらばっくれるのなら、尻に手を突っ込んで奥歯ガタガタさせて白状させてやろうか?


「オロカモノ……オロカモノ――――む、胸ポケットにあ――オロカモノ……オロカモノ……」


 ――こいつ、一度理性を取り戻したのか……? なんで……まあ、いいや。それよりも胸ポケットにある事が分かった。巾着袋を取り戻して、さっさと返しておこう。

 腕を押さえたまま、胸ポケットを漁るとひったくった巾着袋があった。


「よし――目当ての物は返せた。さてと、こいつをどうしようか?」


 邪竜洗脳者を野放ししたら、王宮前大通りの住民が洗脳されるか、血の海になるか、どっちもか――いずれにせよ、洗脳者が一人いるだけで危険な存在だ。ここで始末しなければ……。


「オロカモノ……ゲゲゲ……オロカモノ……オロカモノ……ゲゲゲ、オ、オ、オマエハココデオワリダ……ゲゲゲッ!」


「あぁ? 終わってるのはおめーの方だ。わりぃが死―――」



 ――瞬間――ビリッ……と何かが迸った。まるで雷が近くに落ちたようなすごい衝撃が全身を襲った。な、なんだ……!?



「いっ……!?」


 洗脳者から離れて距離を取った瞬間、ずきりとした痛みが頬を襲った。痛む場所を触れると、ぬめりと赤い液体が噴き出ていた。

 何が起こったんだ――まさか、魔法を取得したのか!?

 邪竜洗脳者は使用有無関係なく必ず魔法を取得する。今みたいに何もせずに習得するのが普通だ。何故って――洗脳された時と同時に魔法の知識も習得しているらしい。


「ケケケケケケケケケケッ! ヤッタ、魔法使エタッ! ヤット俺ニモ魔法ガ使エルヨウニナッタッ! ゴルゴーン様、アリガトウゴザイマスッ!!」


 ぐぎり……と関節を鳴らして、洗脳者は不気味に立ち上がった。


(うわぁ……やべぇことになっちまった。こいつが表で魔法をぶっ放す前に始末しないと、血の海になるで……)


 先ほどまでは体術だけで何とかなったけど、魔法はそうはいかない。体術でカウンターアタックを仕掛けても、魔法で逆カウンターアタックを決められてしまう可能性がある。


 じゃあ、俺も魔法を使えばいい話じゃん――悪いがそれは無理な相談だ。俺は魔法の知識を叩きこんだけど、普段の攻撃態勢が体術剣術ばかりで魔法攻撃を使う事なんてほとんどない。それにロクに使っていないから魔法の詠唱を忘れちまった。


(こんな事になるなら、普段から魔法攻撃を使うんだった――)


 なんて後悔した。それよりもどうしよう……魔法攻撃を生身で受けたら腕一本吹っ飛ばされる。不死身のレオと呼ばれても、腕ふっとばされちまえば出血性ショックであの世行きの切符を手にしてしまう。


 どうする……打つ手はあるのか……? 魔法の詠唱をほぼ忘れている俺に、倒すことができるのか? 切り札はあるのか……?


「全く、埒が明かないわね――そこの貴方、頭を伏せなさいッ!!」


 背後から声が聞こえて、俺は言われた通り頭を伏せた。そしてビュン……と風を切る音が狭い路地に残響した。


「グゲッ!?」


 ドスッと言う音と洗脳者の呻き声が響き、そしてバタンと倒れた。

 何が起こったのか洗脳者の体を見ると、額に矢が突き刺さっていた。恐らく絶命しただろう……。まあ、これで洗脳者を始末できたから良しとしよう。


「ふぅ――助かったぁ~~」


 ぺたりと尻餅を地面についた。もう濡れているからどうでもいい。とりあえず、一安心だ。


「――で、おたくは?」


 ざくざくと雪を踏みつける音を鳴らして、俺に近づいてくる。洗脳者と同じくフードを被っている……一体何者だ……?


「――――」


 ぱさぁ……とそいつはフードを取った。丸い目つきと束ねた黄金色のロングヘア、凛とした顔立ち……身長は俺より拳一個分低い女性だった。


「――?」


 俺は彼女の顔を呆然と眺めた。ふと何か、似ているような感じだった。


(なんだろう……知らないはずなのに、何処かで見知った顔つきだな。まるでそう、アーシェと似ているような――)


「私の顔を見ても、何も出て来ないわよ」


「――あ、あぁ……」


 俺は彼女の顔を見るのをやめた。一体誰だろう……絶対見た事あるんだよなぁ……。


「変なの。それじゃ、私はこれで――ヒッ!?」


 彼女はそのまま立ち去ろうとした瞬間、何かに怯えていた。


「アーシェ様ぁ~~どこにいますかぁ~~? 出て来ないと、雪だるまの土台にしますよぉぉぉ~~」


 路地の上――つまり店の屋根に人がいるのだ。と言うか、なんで屋根に居るんだよ。


「やべぇ……侍女いるよ、逃げなきゃ――」


 そう言って何かに怯えながら彼女は逃げた――――


「ひょわっ!?」


 全速力で逃げようとした矢先、つるんと派手に滑った。


「危ないッ!」


 俺は座ったまま彼女を受け止めようと、必死に体を伸ばした。


 

 そして――――運命の悪戯が起こった。




「うむっ!?」


「おむっ!?」


 


 ――俺と彼女の唇が重なったのだから。



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