6

「……私、実はすごく不安でした」


 遥もそう思ってくれていたらいいな、そんなことを思っていた矢先、遥がポツリと呟いた。


「不安?」

「朝急にお母さんが出かけると言いだして、到着してみれば、なんだかお母さんと喧嘩してる人がいて……。すごく、……すごく不安で、怖かったです」


 そこに関しては、全面的に俺が悪かったです。


「その人は私のお兄さんだって言うし、しかも一緒に暮らせって言われて……。すっごく驚いて……。私、これからどうなっちゃうんだろう、ってすごく不安で……」


 そりゃそうだ、俺だって驚いた。

 俺はそう思いつつも黙って頷き、遥の言葉を待つ。


「でも、善さんはちょっと口悪いけど、すごくいい人で……。急に妹って言われた私にも、すっごく気をつかって接してくれて、頭なでてくれて、ご飯くれて、なんか色々買ってきてくれて……」


 口が悪くて悪かったな。以後気をつけるから許してくれ。

 自分でも何を言いたいのかまとまっていないのか、遥はたどたどしく言葉を紡いでいく。もう何を言っていいのかわからなくなった彼女は『えっと、えっと』と慌てふためいている。


「慌てなくていい。ゆっくりでいい。聞かせてくれ」


 俺は遥の頭にポンと手をのせ、できるだけ優しい声を作ってそう言った。

 それを聞いた遥はコクリと頷き、スーハーと深呼吸をする。何秒経っただろうか、いやもしかしたら何分かもしれない。時間が間延びしそうになるほどの間、目を閉じて考えをまとめていた彼女は、静かに口を開いた。


「……私、善さんがお兄さんでよかったと思います。もし、もしもでいいです……。善さんさえよければ、これからも一緒に――」

「よし任せとけ」

「――暮らして、って、えっ……?」


 遥の言葉に覆いかぶさるようにして返事をしたもんだからか、彼女は今までに聞いたことのないような素っ頓狂な声をあげた。兄を侮るな、妹よ。妹が何を考えて何を思って何を言おうとしているかなんて、兄には手に取るようにわかるのだぞ。


 いや、嘘だけど。


「さっきも言っただろ。しばらくは一緒に暮らしていこうって。俺がよければ?いいに決まってるだろ。どんどん甘えてくれていいんだよ。俺たちは、兄妹なんだから」


 呆然としていた遥だったが、俺のそんな言葉を聞いて、次第に笑顔になっていった。そうだ、俺たちは兄妹なんだ。支えあって、共に生きていかねばなるまい。


「でも、だ」


 俺はガラリと口調を変えて、いたって真面目に、いたって真面目な顔をする。笑顔になった遥が、再度不安そうな顔をする。ころころと表情を変えさせてしまって申し訳ないところではあるが、続けさせてもらう。


「俺たちはまだ、胸をはって兄妹とは言えないと思う」


 先ほど『俺たちは、兄妹なんだから』などと歯の浮くような台詞を言った人間がこんなことを言うもんだから、遥は頭上にクエスチョンマークを三つくらい浮かばせたような顔をして、首をかしげてしまった。


「えっと……」

「俺たちは確かに打ち解けることはできたと思うんだ。それは間違いない。最初玄関で会った時と比べたら、俺たちの距離はグっと近づいたと俺は考えてるんだが」


 遥もそう思うか、 と質問すると、彼女もうんうんと黙って頷いてくれた。冷静な表情とは裏腹、内心ではものすごくほっとしている自分がいた。よかった、仲良くなれたと感じているのは俺だけじゃなかったみたいだ。これで遥が『そんなことないわ、少し会話したくらいで勘違いしないでくれませんか気持ち悪い』なんて言った日には、もうこの時点で会話が終わっていた。

 安心したところで、ひとつ咳ばらいをする。


「でもそれは、兄と妹、って感じじゃないと思うんだ。赤の他人が、遠い親戚同士になったようなもんだ。そりゃそうだ、出会って数時間で本物の兄妹みたいになれるわけがねえしよ」

「……なるほど」

「でも本当の兄妹ってなんだ? 今まで一人っ子として生きてきた俺には全くわからん。それは遥も同じだと思う。なあ遥、兄妹ってなんだと思う?」

「同じ親から生まれた人……」


 なんとか言葉を紡ぐ遥。

 でも違う、そうじゃないんだ。間違いじゃない、確かに兄妹ってのは、同じ母から生まれた人間同士のことを指すんだろう。でもそれは、形式上の話で、兄妹であることの本質は、もっと違うところにあると思うんだ。


「そうだな、間違いじゃない。じゃあ例えばの話だが、数十年間一緒に兄妹として過ごしてきた男女がいたとしよう。それこそ兄妹であることに疑いを持たず、仲良くやってきた二人だ」


 いきなり始まった例え話を何とか理解しようと、遥は前のめりになって俺の話に耳を傾けている。上目遣いで俺の目をじっと見つめ、うんうんと頷いている。そんな殊勝な様子の妹を見ていると、真面目な話を始めたのは俺の方なのだが、なんだか恥ずかしくなってきてしまう。

 恥ずかしさを誤魔化すためにお茶らけてしまいそうになるのを堪え、俺は続ける。


「でもある時、実は二人は全く別の両親から生まれたらしいことがわかった。片方が養子――つまりよそ様の子供だったってわけだ。じゃあこの二人ってのは、最初から兄妹じゃなかったのか?」

「それは……、違うと、思います」


 ほうほう、その心は?


「……血の繋がりがなくても、その二人はきっと兄妹なんだと思います。これまで仲良く、生きてきたんですから――」

「ってことは、兄妹に必要なのは時間ってことか?」


 しばらく考え込んだ遥は、首を横に振った。否定、ということだろう。


「それもなんか違う気が……」

「じゃあなんだろうな、その二人が兄妹だって言える根拠ってのは」

「……」


 遥は今にも泣きそうな顔をして、黙りこくってしまう。

 わからない、いくら考え込んでもわからない。その二人ってのが兄妹だ、ってのは心ではわかっているのだろう。じゃあ何故だと問われば、わからない。気持ちは確信しているのに、理論がわからない。そんなジレンマに苛まれているといった感じだ。


 かく言う俺も同じ気持ちだ。兄妹に必要なのは血じゃない、それだけはわかる。じゃあ、何が必要なのだろう。なにをもって、二人を兄妹と呼ぶのだろう。遥が言うように、時間の問題ではないと思う。


 わからない。俺も遥も、わからない。


「すまん。意地の悪い質問だったな」


 そう笑いかけ、お決まりのように頭をなでてやる。


「正直、俺もわからないんだ。何をどうすれば、俺たちは本当の意味での兄妹になれるのか、全くわからない」

「……私もです。一体どうしたら――」

「いいじゃん、別に」


 これまた遥の言葉をさえぎるように、言った。

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