5
遥はあれとか好きだろうか、いや小学生はこれが好きだな、いや待てよ女の子にはそれがいいな――思考のトライ&エラーは際限なく続いたため、『目に入ったもの全部買う』という強引な解決策に走ってしまった。初孫にテンション上がり、ベビー用品かたっぱしから買ってきちゃう爺様みたいだ。現実を直視するのが辛く、値段を聞かずにカードで支払ったが、結構な値段を払ったことと思う。
仕方がない。今時の小学生女子の好みとなぞ、四捨五入したら30歳の俺にわかるはずがないのだ。俺は悪くない。支倉善被告には情状酌量の余地があると思うのです裁判長。
「あっ……」
どうやら俺の予想は的中していたようだ。テレビも見ず、部屋を物色するでもなく、ただひっそりと部屋の隅で丸くなっていた遥が俺に気づく。溢れんばかりのビニール袋を両手に携え、やたらとげっそりとした俺を見て、何事かと目を丸くしている。とっくに朝食は食べ終わっていたようで、空になった皿が机の上に置かれている。
「すまん、遅くなっちまった」
「い、いえそんな……」
重い荷物に振り回されている俺を見かねて、遥はとてとてと可愛らしい足音をたてて歩み寄ってきた。
「……」
大丈夫大丈夫と笑って見せる中、ふと遥の顔が目に入った。
遥の目が赤くなっており、少し涙のあとさえ見える。俺が家を離れていたのは30分程度ではあったが、事情も事情な彼女にとっては永遠にも近く感じたのかもしれない。最後の頼み綱である兄に、見捨てられたとでも思ったのかもしれない。
今、遥には、俺しかいないのだ。
猛省。彼女をひとりにするのは得策ではないだろう、悪いことをした。
「ごめんな。でもちゃんと帰ってくるから安心しろ」
「……」
俺はまたしても遥の頭を撫でてやる。いくら言葉で取り繕ったところで意味もないし、第一俺にそんな語彙力はない。嫌ではないと言っていたし、今の俺にはこれくらいしかしてやれることはない。撫でられた遥が少し笑顔になったのは、俺の気のせいでないはずだ。
「そんなことよりも、だ」
妹に心配かけた、兄に気を遣わせてしまった、等と気まずい空気が流れてしまっても困るので、俺は荷物を一旦玄関先におろして、そう切り出した。
「遥。俺たちは兄妹で、これから一緒に暮らす家族なんだよな?」
「は、はい」
「なら、帰ってきた家族には、まず何か言うことがあるんじゃねえか?」
腕を組み意地が悪そうな顔をしてそう言うと、遥は首をかしげる。『はて』という言葉がぴったり当てはまりそうな表情だ。
「帰ってきた時、俺は何て言った?」
「え……、つ、『疲れた』……?」
言ってない。
そう思い込まれるくらいの疲れ切った顔をしていたのか俺は。
「ただいま、って言ったんだよ」
「はあ……」
だから何だよ、と言いたげな表情の遥。
「ただいま、って家族に言われたら、何て返すんだ?」
「あ――」
わざとらしく溜息をついてそう言ってやると、遥はハッと顔を上げる。
自分が言うべき言葉がわかったのだろうが、唇だけもぞもぞと動かして固まって
しまっている。どんな顔をして言えばよいのか、はたまた恥ずかしいのか。
大丈夫だ。俺が一番恥ずかしい。
言うべき言葉と、出すべき声と、するべき表情が決まったのだろう。
少しはにかんで、小さくともはっきりとした声で――
「お、おかえり、なさい」
遥は、そう言ってくれた。
なんか、いいもんだな。家に帰ってきたら、『ただいま』と言ってくれる人がいるってのは。
その一方、支倉理子ときたら俺が献身的におかえりと言っても、ただいまなんぞ返してくれたことなぞなかったからな。きっとそれは遥も同じなのだろう。慣れてないことを言ったせいか、少し顔が赤い。そして、なんだか嬉しそうだった。
そしてそれは、俺も同じだった。遥が言い慣れていないのと同様に、俺も言われ慣れていないのだ。なんだかくすぐったい気持ちになる。
「あの、そういえばそれは……」
「ん? ああ、これか」
どこか恥ずかしい空気を振り払うように、俺が先ほど床に置いた超重量級のビニール袋を指差す。中身は遥が暮らす上で必要そうなものや、お菓子、飲み物、エトセトラ、エトセトラ、といった具合だ。
そう説明してやると、『それにしても買いすぎだろ』という感情を隠しきれていない声で苦く笑った。
「ああー……、なんと言うか……。遥に何を買っていったらいいかなって迷ってたら、なんかいつの間にかこんな膨れ上がっててな」
俺はバツの悪そうな顔で、ひとつひとつ袋からものを取り出していく。それをまじまじと見つめていた遥も、その量たるやを理解すると、口をポカンと開けてしまった。
「いや、こんな買うつもりじゃなかったよ? だけどよ、今の女子ってどんなもんが好きかなーとか、あまりにも子どもっぽすぎる物も気を悪くするかもなーとか、それ以前に甘いのが好きかなーとか、カロリ―とか色々と――」
「……っぷ」
俺が必死に弁明するのがおかしかったのだろうか、遥は息を漏らして笑っていた。何も笑うことないじゃないですか、 と一瞬思いもしたが、遥の素直に出たであろう笑顔を見ることができたと考えると、結果オーライかもしれない。
「あの、私、あんまり好き嫌いとかないので、あまり気にしないでください」
「……うっす」
少し笑いあって、一通り購入品を確認した俺たち兄妹は、とりあえず口直しにとガムをくちゃくちゃと食べることにした。俺が得意げにガムを膨らましてやると、遥は初めて興味津々といった態度を見せたので、膨らまし方をレクチャーしてやる。
よしやったるぞ、と意気込んだ遥もチャレンジするが、あまり思うように膨らまず、途中でガムがはじけ、口の周りがベットベトになってしまっていた。そのままぶすっとした表情の遥を見て俺が笑い、それにつられて遥も笑った。
その後はふたり仲良く歯を磨き、これといって特に何をするでもなく、ただぼうっとテレビを眺めていた。
何もない時間がただ過ぎていく。
俺にはそれが、なんだかとても心地よかった。
遥が家にやってきてから、二時間強といった時が経過したと思う。たったそれだけの時間だが、俺と遥の距離はそこそこに縮まったのでは、と感じる。
それこそ、普通の、兄妹のように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます