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 遥はあれとか好きだろうか、いや小学生はこれが好きだな、いや待てよ女の子にはそれがいいな――思考のトライ&エラーは際限なく続いたため、『目に入ったもの全部買う』という強引な解決策に走ってしまった。初孫にテンション上がり、ベビー用品かたっぱしから買ってきちゃう爺様みたいだ。現実を直視するのが辛く、値段を聞かずにカードで支払ったが、結構な値段を払ったことと思う。


 仕方がない。今時の小学生女子の好みとなぞ、四捨五入したら30歳の俺にわかるはずがないのだ。俺は悪くない。支倉善被告には情状酌量の余地があると思うのです裁判長。


「あっ……」


 どうやら俺の予想は的中していたようだ。テレビも見ず、部屋を物色するでもなく、ただひっそりと部屋の隅で丸くなっていた遥が俺に気づく。溢れんばかりのビニール袋を両手に携え、やたらとげっそりとした俺を見て、何事かと目を丸くしている。とっくに朝食は食べ終わっていたようで、空になった皿が机の上に置かれている。


「すまん、遅くなっちまった」

「い、いえそんな……」


 重い荷物に振り回されている俺を見かねて、遥はとてとてと可愛らしい足音をたてて歩み寄ってきた。


「……」


 大丈夫大丈夫と笑って見せる中、ふと遥の顔が目に入った。

 遥の目が赤くなっており、少し涙のあとさえ見える。俺が家を離れていたのは30分程度ではあったが、事情も事情な彼女にとっては永遠にも近く感じたのかもしれない。最後の頼み綱である兄に、見捨てられたとでも思ったのかもしれない。


 今、遥には、俺しかいないのだ。

 猛省。彼女をひとりにするのは得策ではないだろう、悪いことをした。


「ごめんな。でもちゃんと帰ってくるから安心しろ」

「……」


 俺はまたしても遥の頭を撫でてやる。いくら言葉で取り繕ったところで意味もないし、第一俺にそんな語彙力はない。嫌ではないと言っていたし、今の俺にはこれくらいしかしてやれることはない。撫でられた遥が少し笑顔になったのは、俺の気のせいでないはずだ。


「そんなことよりも、だ」


 妹に心配かけた、兄に気を遣わせてしまった、等と気まずい空気が流れてしまっても困るので、俺は荷物を一旦玄関先におろして、そう切り出した。


「遥。俺たちは兄妹で、これから一緒に暮らす家族なんだよな?」

「は、はい」

「なら、帰ってきた家族には、まず何か言うことがあるんじゃねえか?」


 腕を組み意地が悪そうな顔をしてそう言うと、遥は首をかしげる。『はて』という言葉がぴったり当てはまりそうな表情だ。


「帰ってきた時、俺は何て言った?」

「え……、つ、『疲れた』……?」


 言ってない。

 そう思い込まれるくらいの疲れ切った顔をしていたのか俺は。


「ただいま、って言ったんだよ」

「はあ……」


 だから何だよ、と言いたげな表情の遥。

 

「ただいま、って家族に言われたら、何て返すんだ?」

「あ――」


 わざとらしく溜息をついてそう言ってやると、遥はハッと顔を上げる。

 自分が言うべき言葉がわかったのだろうが、唇だけもぞもぞと動かして固まって

しまっている。どんな顔をして言えばよいのか、はたまた恥ずかしいのか。


 大丈夫だ。俺が一番恥ずかしい。

 

 言うべき言葉と、出すべき声と、するべき表情が決まったのだろう。

 少しはにかんで、小さくともはっきりとした声で――


「お、おかえり、なさい」


 遥は、そう言ってくれた。

 なんか、いいもんだな。家に帰ってきたら、『ただいま』と言ってくれる人がいるってのは。


 その一方、支倉理子ときたら俺が献身的におかえりと言っても、ただいまなんぞ返してくれたことなぞなかったからな。きっとそれは遥も同じなのだろう。慣れてないことを言ったせいか、少し顔が赤い。そして、なんだか嬉しそうだった。

 そしてそれは、俺も同じだった。遥が言い慣れていないのと同様に、俺も言われ慣れていないのだ。なんだかくすぐったい気持ちになる。


「あの、そういえばそれは……」

「ん? ああ、これか」


 どこか恥ずかしい空気を振り払うように、俺が先ほど床に置いた超重量級のビニール袋を指差す。中身は遥が暮らす上で必要そうなものや、お菓子、飲み物、エトセトラ、エトセトラ、といった具合だ。

 そう説明してやると、『それにしても買いすぎだろ』という感情を隠しきれていない声で苦く笑った。


「ああー……、なんと言うか……。遥に何を買っていったらいいかなって迷ってたら、なんかいつの間にかこんな膨れ上がっててな」


 俺はバツの悪そうな顔で、ひとつひとつ袋からものを取り出していく。それをまじまじと見つめていた遥も、その量たるやを理解すると、口をポカンと開けてしまった。


「いや、こんな買うつもりじゃなかったよ? だけどよ、今の女子ってどんなもんが好きかなーとか、あまりにも子どもっぽすぎる物も気を悪くするかもなーとか、それ以前に甘いのが好きかなーとか、カロリ―とか色々と――」

「……っぷ」


 俺が必死に弁明するのがおかしかったのだろうか、遥は息を漏らして笑っていた。何も笑うことないじゃないですか、 と一瞬思いもしたが、遥の素直に出たであろう笑顔を見ることができたと考えると、結果オーライかもしれない。


「あの、私、あんまり好き嫌いとかないので、あまり気にしないでください」

「……うっす」


 少し笑いあって、一通り購入品を確認した俺たち兄妹は、とりあえず口直しにとガムをくちゃくちゃと食べることにした。俺が得意げにガムを膨らましてやると、遥は初めて興味津々といった態度を見せたので、膨らまし方をレクチャーしてやる。

 よしやったるぞ、と意気込んだ遥もチャレンジするが、あまり思うように膨らまず、途中でガムがはじけ、口の周りがベットベトになってしまっていた。そのままぶすっとした表情の遥を見て俺が笑い、それにつられて遥も笑った。

 その後はふたり仲良く歯を磨き、これといって特に何をするでもなく、ただぼうっとテレビを眺めていた。


 何もない時間がただ過ぎていく。

 俺にはそれが、なんだかとても心地よかった。


 遥が家にやってきてから、二時間強といった時が経過したと思う。たったそれだけの時間だが、俺と遥の距離はそこそこに縮まったのでは、と感じる。

 それこそ、普通の、兄妹のように。




 

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