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 なんか食うか、と偉そうに言ったはいいものの、急な来客をもてなすほどの食材はウチにはなかったため、トーストにバターを塗りたくったものを遥にご馳走してやった。不出来な兄を許せ、妹よ。事前にお前がくることがわかっていれば、ちゃんとした朝食を用意してやれたのだが。


 自らの名誉のために言っておくが、俺は決して料理ができないわけじゃない。そこ、嘘だとか言うんじゃありませんよ。伊達にそこそこの年月を一人暮らしやってきていない。

 第一、実家でも母がまともな料理を出さないこともあってか、小さい頃から台所に立つ機会は少なくなかった。一人前、と胸を張って言えるレベルではないが、男の中ではできる方でないかと自負している。おそらく、きっと、たぶん。


 しかし遥はよくできた妹で、そんなテキトー朝食にも文句ひとつ言わず、黙々とその小さい口でトーストを食べている。そんな遥を横目で見ながら、寝起きで何も食べていなかったことにようやく気付いた俺も、遥の横でトーストをむさぼっている。


「美味いな」

「はい」


 食事が始まり再度沈黙が訪れたせいか、どこか気まずい空気が俺と遥の間をすり抜けていく。ようやく絞り出した言葉も、『はい』という二文字で片が付き、結局沈黙が破られたのは数秒間のみだった。


 俺と遥が初めて出会い、兄妹として認識し、これからともに暮らすと決まったものの、俺たちの関係はぎこちない。それもそうだ、まだ顔を合わせて一時間弱といったところ、仲良くなっている方が不自然だ。


 これからどうする、生活全般のこととか、遥の学校のこと、俺の仕事のこと、にかくまずは打ち解けないと、でもどうやって――


 様々な不安や困惑が俺の中で渦を巻いては膨らんでいく。

 答えが出ぬ自問自答を頭の中で繰り返している内に、いつの間にかトーストは胃袋の中へと消えていた。

 考えても仕方ない。とりあえず食後の一服を――


「…………」


 吸おうとしていた手を、思わず止めた。


 遥がトーストを食べる手を止め、こちらを見ていたからだ。

 先に食べ始めたのは遥なのだが、一口が小さく、その味を噛みしめるかのようにゆっくりと咀嚼していた彼女は、未だに半分も食べ終えていなかった。


 いつもの癖で、そのまま部屋の中で一服しようとのだが、今は遥がいる。

 小学生の目の前で、それに朝食中の最中に隣でヤニをふかされたとあっては、たまったものではないだろう。副流煙は体に悪いし、そもそも臭いし、それにあまり気持ちのいいものではない。


「すまんすまん、いつもの癖でよ。外で吸ってくるわ」

「……あ、いえ、気にしないでください。お邪魔してる身ですし、それにお母さんはいつもリビングで……」


 遥は食事の手を止め、申し訳なさそうな顔と声で言う。

 申し訳ないのは俺の方なのだが、と言いたいところだが、そんなことを言うとまた彼女に気を使わせてしまうだろう。


「いいっていいって。どっちにしろコンビニに何か買いに行こうと思ってたところだったし。それ、食べてな。暇だったらテレビとかつけていいから」


 なので、できるだけ軽い感じを装って返事をする。

 煙草と財布だけをズボンのポケットに突っ込んで、そそくさと家を出る。不安そうな遥の視線を背中に感じながら、ひらひらと手を振って玄関を出た。


 アパートの踊り場と階段はえらい古く、歩を進める度に乾いた音がする。様々な思考で頭が一杯の今の俺には、そんな環境音ですら煩わしかった。とにかく一人になって考える時間、それと一服の時間が欲しく、足早に近くのコンビニへと向かう。家から徒歩3分くらいの場所にあるのだが、今日は1分ほどで辿り着いた。


 コンビニが見えるや否や、俺はポケットに忍ばせた煙草を手に取って、その一本を口に咥える。コンビニの入り口横に設置してある灰皿に辿り着いたところで、オイルの切れかけた付きの悪いライターを何回かいじり、煙草に火をつける。


 周囲は閑静そのものといった感じで、店内に流れるよくわからないBGMだけがかろうじて聞こえてくる。ジリリ、というフィルターが灰になっていく音がはっきりと聞こえるほどだ。


「ふう……」


 溜息に乗せるよう、大きく煙を吐き出した。

 暖かいといっても、それは今週の中ではというだけで、まだまだ肌寒いのには変わりはない。煙を吐き終える頃には、それが煙なのか息なのかわからなくなっていた。


 ようやく一人きり、大好きな煙草を吸えたことで安心したのだろう、俺はこれからのことを思案する。

 勝手もわからぬ手続きだの何だのがこれから待っているんだろうな、とか。残業減らしてもらうように頼まないとな、とか。そういえば学校はどうするんだ、転校するんだろうな、ならあの小学校かな、とか。その前にまずは打ち解けないと、とか。


 やること目白押しで頭が痛くなってきた。現実から逃げ出すように、それらを全て煙と共に吐き出す。吐き出した結果として、最後に俺の頭に残っていたのはひとつだった。


「やめるべきかな」


 そう、思う。もちろん煙草のことだ。

 いい機会だ。遥の手前、禁煙してみてもいいかもしれない。

 

 最近不景気だか増税だかなんだか知らないが、どんどんタバコの値段は上昇しっぱなしだ。そろそろ落ち着いて止まってみてはいかがだろうか。くそう、国め。嗜好品にばかり税金をかけやがって。


「……ふっ」


 自嘲気味にニヤっと笑うと同時、短く煙を吐き出した。

 まあそれは追々考えるとしよう。今からハイ止め、という訳にもいかん。無理、無理です、はい。少しずつ一日に吸う本数を減らしていけばいいさ。なあに、一日に二箱も三箱も吸うようなヘビィなスモーカーでもない。余裕だ、余裕。


 見え見えの失敗フラグをおっ立てて、俺は最後に思いっきり煙を肺に入れ、吐きだした。灰皿に入れた煙草が、ジュッという断末魔にも似た音をたてる。その小さな断末魔も、朝の空気の中へと解けていった。


 早く遥のところに帰ってやらないと。きっと彼女は、気を遣ってテレビも付けることなく、ただひっそりと座っていることだろう。

 そう思った俺は、そそくさとアパートへ踵を返しそうとして――


「あっ」


 やめた。

 くるりと体を翻し、吸い込まれるようにコンビニの店内へと入っていった。


 そういえば、遥は特に荷物なんかを持ってきていなかったはずだ。となれば、生活必需品なんかも当然持ち合わせていないだろう。俺が飯を食べたらタバコを吸いたいように、遥も歯を磨きたいはずだ。あいにく我が家には予備のハブラシとかは置いていないと思う。ついでだから買っておこう、と思った次第である。


 そう思うと、飲み物もなかったはずだ。やっぱり子どもだし、ジュースとかの方がいいのだろうか。炭酸はやめておこう、嫌いだったときに困る、というか俺自体あまり飲めない。


 そうするとお菓子とかも買っていったら喜ぶかな、どういう系の菓子が好きなのだろうか。やっぱり女子だから甘いものかな。だけど今時の女子は、小学生でもカロリーだのダイエットだの、ませていやがると耳にする。 だったら甘いものを控えたほうがいいのだろうか。そうなるとグミとかガムとかそういう口当たりのいいものを買っていくほうがいいのかな。いやそれとも――



「……た、ただいま」



 考えだすと止まらなくなり、結局あれもこれもと買い込んでしまった。

 親バカ――もとい妹バカの素質が俺にはあるのだろうか。

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