兄妹化計画、始動

1

 俺が何才の頃だったろう。

 自分に父親がいないと気付いたのは。


 自分に父がいないことなぞ、5歳くらいにでもなれば誰でも気づくものだが、俺には気づくことができなかった。


 いや、違うな。

 厳密に言うならば、『父親は不特定多数いる』と信じて疑わなかった。


 なんでこんな奇天烈な発想に至っていたかというと、母の傍らにいたのは毎日違う男だったからだ。月曜から日曜まで違った男が、そして月曜日になると再び先週の男がいる……といった様は、さながら日替わり定食みたいだなと今になって思う。


 やってくる男が1日1人というわけでもないところが、母のすごいところだ。時間帯を変えて、何人もの男が代わる代わる我が家を訪れるのを、まるでテーマパークのアトラクションのように感じていたのを覚えている。

 時間帯を変えて一人ずつくるならまだいい方だ、同時に男がやってくることさえあった。


 あまつさえ俺は、その男どもを自分の父親『たち』と思っていたのだ。


 ――パパって呼んでいいんだぞ


 皆が口を揃えてそう言うもんだから、俺は屈託のない笑顔で『パパ』とそいつらに笑顔を振りまいていたと思う。ああ、昔の俺はなんて純粋で素直なんだろうか。今では思い出すだけで吐きそうになる。


 物心つく前の俺は、『みんなは父親ひとりなのに、ぼくは父親がいっぱいいて楽しい』くらいにしか思っていなかった。明らかにおかしいことなのだが、そう感じて止まぬ無垢な少年を誰が責められようか。

 他の誰でもない、この俺が責めて責めて責め通してやろう。


 とにもかくにも、それがおかしいことだと実感するに至ったのは小学校の授業参観だったと思う。母が少し変わった人であることは少年ながらに感じており、母親が授業にやってくることはない、とは思っていた。しかしあの優しい、たくさんの父親たちならば。


 その願いは、一度も叶うことはなかった。

 父たちも忙しいのだろう、自分にそう言い聞かせ続けてきた。


 支倉家が圧倒的におかしいことに確信を得たのは、同じくして小学校時代であった。なんの授業だか忘れたが、両親に感謝の手紙を送ろう的な授業だったと思う。同級生たちは各々に恥ずかしがりながらも、創意工夫のもと手紙を完成させていった。


 当時の俺は(今もだが)あまり母が得意ではなかった。父たちの前と、二人っきりのときでは明らかに俺に対する態度が違ったからだ。父たちの前では可愛いだの天使だのうんぬんと、えらい可愛がられたものだが、二人っきりになった途端豹変するのだった。


『おい、喉乾いたぞクズ』

『てめえは本当に可愛げがねえよなあ』

『腹が減った? 知らねーよなんかてきとうに食っとけよカスが』


 暴力とか、虐待とか、そういうのはなかった。それが唯一の救いだったかもしれない。そして代わりに、愛情も一切なかった。赤の他人、いやそれ以下同然に扱われ、放置され、関与されなかった。

 だから母への感謝の手紙は上っ面だけの文章で、数行にまとめ、あとはそれっぽく花とか動物とか書いておいた。


 しかし、父たちは違う。

 欲しいものも買ってくれる、おこずかいもくれる、そしてなにより、優しかった。偽りであったかもしれないが、確かに俺に愛を注いでくれていたのだ。その愛が、俺にはたまらなく嬉しかった。父たちの前では母も優しく、それこそドラマで見るような愛にあふれる母そのものだった。そんな背景もあって、俺は父たちが大好きだったのだ。


 だから俺は、張り切って父たち一人一人に感謝の手紙をしたためた。手紙の裏に似顔絵を描いたりなんかもして。俺の美的センスからするに、その似顔絵は相当に醜かったことと思う。しかし、全力で、真心をこめて何枚も何枚も書いていた。


『あら上手ね善くん、お父さんへこんなに手紙書いたの?』


 他の生徒とは違って一心不乱に何枚もの手紙を書き続けている俺を見て、当時の担任はそう尋ねてきた。担任に罪はあるまい、担任もクラスメイトも俺の異常な家庭事情を知らなかったのだから。というか、想像できるわけもあるまい。


 そして何も知らぬ俺も、元気いっぱいに返答するのだった。


『うん! こっちが芳郎お父さんので、こっちが耕作お父さんの手紙! で、こっちが洋介お父さんので、こっちが望お父さんので、えと、こっちが俊夫お父さんの! それでそれで……』

『――――え?』


 その時の、担任とクラスメイトの顔が、今でも忘れられない。


『どうしたの?』

『……善くん、どうしてそんなにお父さんがいっぱいいるの?』


 俺がきょとんとした表情を浮かべる中、隣の席の女子がそう尋ねた。

 その女の子の顔は、疑問と困惑で満ち満ちていたことと思う。当然だ、一般人にとっては当然の疑問だろう。しかし俺はすでにその時、世間で言うところの『一般人』でなかったのだろう。


『え? みんなの家はお父さん、たくさんいないの?』


 再び、クラスが凍りつく音が聞こえた。


 みんながそんな顔をしている理由が、俺には全く、これっぽっちも、一切合財理解できなかった。父がたくさんいるのは当然のことだ、当たり前だ、自然の摂理だ、一般常識だ。

 そんな俺の思いもよそに、クラスでは疑念の声があがっていた。


 『おかしい』、と。

 支倉はなにを言っているんだ、父親がたくさんいるとはどういうことだ、意味がわからない、夢でも見ているんじゃないか――


 要約すると、『おかしい』と皆口々にしていた。


 なにかを察した担任は一旦授業を中断し、うまいこと話題を打ち切った。しかしクラスメイトも何かぼそぼそと呟いてはいるし、そして当の本人である俺は気が気でなかった。俺の大好きな父たちが、否定されたような気がしたからだ。


 俺は家に帰るやいなや、リビングで呑気に煙草をふかしていた母に詰め寄った。

 父親がたくさんいるのはおかしいことなのか、本当に彼らは父親なのか、と。俺の必死な問いを聞いた母は、それはそれは心底おかしそうに、ゲラゲラと下品に笑った。



『あんた、前々から阿呆だとは思ってたけど、ここまで頭がお花畑だったとは思わなかったよ!父親が複数もいるもんか、馬鹿が!あいつらは真っ赤な他人に決まってるだろう。意味わかるか?た・に・ん』



 底知れぬ衝撃が俺の中を巡り、ぐわんと世界がねじ曲がったような気がした。

 今まで慕ってきた、父と呼び好いていた男たちは一体、なんだったのか。俺のすべてを、否定されたような気がした。そんな俺の問いにも母は、『あの馬鹿な男どもは愛人で、私に金をたくさん貢いでくれる存在で、それ以上でも以下でもない、ましてや父親であるもんか』と、そう言った。


 無駄なことだったかもしれない。意味の無いことだったかもしれない。

 それでも俺は、聞かずにはいられなかった。


『じゃあ、俺の本当の父親は誰なんだよ……』


 煮えたぎる腹からようやく絞り出した俺の言葉に、母は一言――


『さあ、知らん』


 とだけ、答えた。

 彼女特有の『だからどうした』って感じの声は、思えばこの一件のものが一番印象的だったかもしれい。


 知らないというのは嘘でも何でもなく、純粋にわからないそうだ。様々な男と関係を持ち、気づいたら妊娠。発覚したのは、もう墜ろすことができないほどに日数が経過しと頃だったという。


 それからだろうか、母に最上の嫌悪を抱き始めたのは。

 殺意、と言い換えても遜色ないかもしれない。

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