四季亭 出会い [1,787文字]
日吉緑郎がその店を見付けたのは、初めて学校をサボった月曜日の昼だった。
緑郎は生まれてこのかた学校を休んだことがなかったが、どうにも我慢できなくなって校舎が見える前に曲がる予定のなかった角を曲がったのだった。
罪悪感と開放感に包まれながら、しかし警察には見つからないように当てもなく歩いていた。
住宅街を抜け、閉じたシャッターの多い商店街を歩いていた時のことだ。
(占い屋”四季亭”……あなたの死期を占います……?)
死期と四季を掛けたのだろうが、それはいかがなものだろうか。
緑郎はしかし、興味を引かれて立ち止まってしまった。
控えめな看板を掲げたその店舗は、余った土地を無理やり店にしたのだろうかと思うほどに狭かった。
年季の入った木の扉に、ピカピカのドアノブ。
“OPEN”と書かれた札がぶら下がっている。
緑郎は財布の中身に思いを馳せ、今自分が大金を持っていることを思い出して溜息を吐いた。
(あんなやつらに渡すくらいなら……使ってしまってもいいのかも……)
占いの料金がいくらなのか分からなかったが、高ければいいと思った。
親の財布からこっそり抜き取った万札は、緑郎には重すぎる代物だった。
カランカラン……
小気味いい音を鳴らして扉の上部にぶら下がったベルが鳴った。
薄暗い店内には一人掛けの背付きイスと、水晶の置かれたテーブル。
その向こうに、黒のヴェールをまとった女性が一人、座って緑郎を見つめていた。
「ようこそ、四季亭へ。どうぞお掛けください」
青白い手が、緑郎をイスへと促した。
緑郎がそれに従って着席すると、女性はまた真っ直ぐに緑郎を見つめた。
「あ、あの、おいくらですか」
「…………お好きな、値段で」
「は?」
「結果をお聞きになった後で、その結果に感じた価値を、自由にお支払いください」
「え、と……払わなくても、いいってこと、ですか?」
「無価値だと判断なさったのなら」
女性は淡々とそう言うと、水晶に両手を翳してなにやら聞き取れない単語を呟いた。
「日吉緑郎様。貴方は八十三歳の時、肺ガンで亡くなられます」
「は、八十……」
「八十三」
信じられなかった。
信じられなかったけれど、名乗ってもいない名前を言い当てるほどの力を持っているのだと、目の前が歪んでいくようだった。
緑郎が初めて学校をサボったのは、学校へ行けばまたお金を取られるからだった。
高校に入学してすぐ、クラスメイトが金を巻き上げられているところに出くわしてしまった時から、それは始まった。
その時に泣きながら万札を差し出していたクラスメイトは、今では笑いながら金を巻き上げる側に回っている。
初めのうちは貯めていたお小遣いや、お年玉でなんとかしていた。
しかし、それもついに底を尽き、アルバイトなどしていない緑郎は払える金がなくなってしまったのだった。
それを訴えたところで、無意味なことは分かっていたけれど、緑郎は一縷の望みを賭けて金のないことを打ち明けた。
予想を裏切る現実など訪れず、親の財布から抜いてこいと言われたのが金曜日。
パートから疲れて帰ってきた母親の姿に、いっそ全て打ち明けようかと思った土曜日。
その母が台所に立つ後ろ姿を見ながら、タンスに隠された万札を五枚財布に入れた日曜日。
こんなにも苦しい月曜日なのに、緑郎はどうやらあと七十年近く生きるらしい。
「あ、の……」
「はい」
「僕は、死ぬ時、笑ってますか」
「…………お子さんとお孫さんに囲まれて、笑っていますよ」
それを聞いた瞬間、緑郎の目からは涙がこぼれ落ちていた。
震える手で鞄から財布を取り出し、滲む視界で小銭をテーブルにバラまいた。
緑郎の、全財産だった。
百円玉が三枚と、十円玉六枚が、今の緑郎の全財産だった。
五枚の一万円札は、払いたかったけれど、払えなかった。
「ごめんなさい……今、これしかなくて……バ、バイトして、お金が出来たら、払いに来ます。絶対に、払いに来ます……!」
「ありがとうございます、お気になさらずに。良い死に目をお迎えください」
「は、はは……」
緑郎は家に帰り、母を待ち、全てを打ち明けた。
五万円を返した緑郎を、母は叱らなかった。
結局、転校することになってしまったのだけれど、そんなことは些細なことだった。
母の顔を見られなくなるよりは、ずっと。
バイトでもらった初めての給料を握りしめて四季亭に向かった僕が、なんやかんやあって四季亭で働くことになるのは、また別の話である。
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