桜よ、君は美しい [3,636文字]

―――桜が美しく咲くのは、木の下に埋まった死体の養分のお陰なんだよ―――


 そう言ったのは誰だったっけ。

 思い、出せない。



 目覚まし時計の無機質な音が僕を眠りから呼び起こす。

 ボタンを押してスイッチを切り、顔を洗って制服に着替えた。

 珍しく黄身の潰れた目玉焼きを食べて母親の作った弁当を持ち、学校に向かう。

 通学路には桜並木。

 舞い散る桜の花びらを見た時、少し目眩がした。


「おっはよ、太一」

「おはよ」


 後ろから声を掛けて来たのはクラスメイトの菅野すがの智樹ともき

 そのまま二人で学校へと向かった。

 目眩の事は忘れていた。


 教室に入り、ぐらりと視界が歪んだ。

 思わず扉に寄り掛かる。

 すぐに何事もなく治まってしまったから、心配そうに僕を見る智樹に大丈夫だと言って席に着いた。


 教室の中はいつもと変わらない筈なのに、何故だか違和感を覚えた。

 担任が朝のHRを始める。

 点呼を取り、全員の出席を確認して出ていった。

 そこでもまた、強烈な違和感が全身を襲った。


 なんだ、なにが、なにかがちがうのにそれをぼくはおもいだせない


 一時間目の授業が始まる前に少し外の風に当たりたいと思い窓を開けた。

 春の心地よい風が頬を撫で、気分が落ち着く……筈だった。

 けれど開けた窓から見下ろすグラウンドの端、大振りの花をこれでもかと咲かせた大きく美しい桜が目に入った瞬間、僕は耐えきれなくなり床に嘔吐した。


「太一!?」


 保健室に連れて行かれ、ベッドに横になると幾分落ち着いた。

 僕はクラスメイトに申し訳ない気持ちでいっぱいだったけれど、それ以上に僕を悩ませたのは、桜の木を見た瞬間フラッシュバックした記憶だった。


 僕は桜の木の下に、何かを埋めたのだった。

 夜、月明かりの下で、僕は地面を必死で掘り、何かを埋めた。

 でも、何を埋めたのか思い出せない。


 僕は、何を埋めたんだ。


 保健室の先生が席を外した隙に僕は保健室を抜け出した。

 体育の授業をしている最中だったので見付からない様に身を屈めながら倉庫へ行き、スコップを持った。

 そのままグラウンドの大外を周る様に植えられた樹木の影に隠れながら桜の下まで行き、地面を見る。

 雑草の生えていない部分があり、そこが少し膨らんでいる。


 手が震えた。


 深呼吸を数回繰り返し、震えを抑えて地面にスコップを突き立てた。

 普通の地面に比べて明らかに柔らかい地面を掘り返していくと、何かがスコップに当たった。


 これは




 目覚まし時計の無機質な音が僕を眠りから呼び起こす。

 ボタンを押してスイッチを切り、顔を洗う。

 リビングから聞こえてくる朝のニュース番組が今日の日付を言った時、僕は耳を疑った。

 時が、戻っている?


 僕は弁当箱の中身を見る前に、母に尋ねた。


「母さん、今日目玉焼き失敗したでしょ」

「やだ、見てたの?」

「……うん」


 母は滅多に目玉焼きを失敗しない。

 けれどまだ、僕には確信が持てなかった。


 弁当を持ち、家を出る。

 昨日智樹が声を掛けてきたタイミングを見計らって振り向くと、驚いた顔をした智樹と目が合った。


「お前背中に目でもあんの!? ビビったー!」

「足音聞こえたから、なんとなく」

「そっか足音か」


 智樹は納得してくれたようだった。

 僕は確信する。自分は今朝に戻ったのだと。


 ……でも、何故。


 確か、桜の木の下に僕が何を埋めたのかが気になって、掘り起こす最中だったんだっけ。

 結局、何を埋めたのか思い出せないままだった。


 今度こそ、掘り返してやる。

 そう決めて、HRが始まってから具合の悪いフリをし、保健室へ行った。


 保健室の先生は同じ時間に保健室から出ていった。

 僕はベッドを抜け出して、スコップを持ち、桜の木の下へ急いだ。



……桜が美しく咲くのは、木の下に埋まった死体の養分のお陰なんだよ……



「え?」


 誰かの声が聞こえた気がした。

 けれどグラウンドに響くのは体育教師の声と生徒の掛け声だけ。

 気のせいだろうと土を掘った。

 何かがスコップに当たった。


 これは




 目覚まし時計の無機質な音が僕を眠りから呼び起こす。


「くそ……」


 またダメだった。

 もういっそ掘り起こさなければいいのではないか。

 そう思って普通に授業を受けてみた。


 体育の授業中、二人一組にならなくてはいけないのに三人一組が一つ出来てしまったくらいで、特に何事も無く下校時間になり、何事も無く夕食を食べ、風呂に入り、歯を磨いて、寝た。




 目覚まし時計の無機質な音が僕を眠りから呼び起こす。

 ボタンを押してスイッチを切り、リビングに向かった。

 リビングから聞こえてくる朝のニュース番組が今日の日付を言った時、僕はまた今朝に戻っている事に気付き、絶望した。


「どうしろっていうんだ……!」


 掘っても戻る。

 掘らなくても戻る。

 一体どうしたら時が普通に流れるようになるのだ。


 授業そっちのけで散々考えて、そして思い至った。

 何を埋めたかを思い出せばいいのではないか、と。


 しかし僕は何を埋めたのか。皆目検討もつかなかった。


 目眩がヒントになるのでは、と考える。

 朝、桜を見た時に目眩がしたのは、埋めたのが桜の木の下だからだ。

 では、教室に入った瞬間の目眩は?


 教室内をぐるりと見回す。

 またしても強烈な違和感を覚え、そしてもう一度見回した。

 僕のクラスは、男子十四人、女子十六人、合計三十人だ。


 ふと思い出す。

 朝、先生が出席を取った時、欠席者はなし、全員いると言っていた。

 それなら何故、体育の時間に三人一組が出来たのだ。


 一人、消えているからだ。


 そこまで考えて吐き気に襲われた。

 慌てて口を手で塞ぎ、トイレへと走った。

 洋式の便器に顔を押し付けるようにしながら胃の中の物を全て吐き出し、涙の浮かんだ瞳を制服の袖で拭う。

 ふと袖に目を落とすと、涙で濡れている筈のそこは、真っ赤に染まっていた。


「ひっ……!」


 腰を抜かして床にしゃがみ込み、もう一度見ると袖はただ涙で濡れていた。

 心臓が大きく脈打っている。


 僕は。

 僕は、何を。

 ナニを埋めたんだ。



……もう気付いてるくせに……

……もう思い出してるくせに……

……早く。早く私を元に戻して……



「あぁ……あああぁぁあぁああぁぁあああぁ……ッ」



 思い出した。

 思い出した。

 全部。



 僕は昨日の夜、塾の帰りに桜を見て帰ろうと思った。

 少し遠回りになるけれど、学校の前を通る道を歩いていたのだ。


 そしてを見た。

 彼女は校門を乗り越えて、校舎の中へと消えていった。


 僕は少しの好奇心で彼女を追いかけた。

 運動神経がいい方ではなかったから、高く、そしてあまり足をかける所のない門を乗り越えるのにかなり時間がかかってしまった。


 暗く、静まり返る校舎の中は不気味で、僕はまず職員室へ行った。職員室の入り口に非常用の懐中電灯があるのを知っていたから。

 懐中電灯のスイッチを入れると、暗闇の恐怖が和らいだ。


 僕は教室へと向かった。

 彼女がどこに行ったのかは分からなかったが、まず教室に行ってみて、そこに彼女がいなければ諦めようと思った。


 教室の扉は開いていた。

 懐中電灯で照らした先に、彼女の足があった。


 宙に浮いた、彼女の足が。


 彼女の足からはぽたりぽたりと水が垂れていた。

 糞尿の匂いがして、思わず顔を顰める。


 彼女は、首を吊っていた。


 雲が月を隠し、僕の懐中電灯でのみ照らされた彼女は、顔中を涙や鼻水でぐちゃぐちゃにしながらも、それでも綺麗だった。

 覚悟を決めた顔だった。


 僕は、彼女が好きだった。

 彼女がいじめられていると知っていた。

 助けたいと思った。

 けれどそれ以上に、僕だけを支えに生きてほしかった。

 だから、彼女を励ます事はしても、助ける事はしなかった。

 それが、まさか、こんな事になるなんて。

 死んでしまうなんて。

 それも朝になればクラスメイト全員が見る事になるこの教室で。

 そんな事、許さない。

 他の誰にも見せる訳にはいかない。


 僕は自分の机からハサミを取り出して彼女の首にかかる細いロープを切った。

 彼女の身体が床に落ちた。

 嫌な音がして、床に赤い染みが出来る。

 彼女が教室で死んだ理由は分かっているけれど、それでも許せなかった。


「桜が綺麗に咲くのは……木の下に埋まった死体の養分のお陰なんだよね……?」


 僕は彼女を引きずり、桜の木の下に埋めた。

 穴を掘り、そして彼女を埋めた時、見上げた桜はこの上なく美しかった。


「うん……綺麗だ……綺麗だよ、かすみちゃん」




 僕は走った。

 先生が止めるのも聞かずに。

 体育教師の声も、他の生徒の声も、聞こえない。

 スコップを持って、掘り起こす。


 あの夜のままの彼女が 埋まって いた



 目覚まし時計の無機質な音が僕を眠りから呼び起こす。

 ボタンを押してスイッチを切り、リビングに向かった。

 リビングから聞こえてくる朝のニュース番組は、今朝に戻っていた。


 違ったのは、電話が鳴った事。

 そして電話に出た母が、彼女の死を告げた事。

 僕の昨日は、無かった事になったようだった。


 登校しないようにと言われたので、敷地の外側から桜を見に来た。


「……キミが木の下に居る方が、絶対綺麗なのに」


 木の下を見ると、何かを埋めた跡がある。

 僕はフェンスを乗り越え、素手でその柔らかくなった土を掘り起こした。

 指先がなにかに触れる。


 これは――――――…

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