ちーくんの心、まひる知らず [1,567文字]

 寒い朝だった。


 布団にくるまっていても分かる。

 起きたくない。


 しかも今日は、少しいい夢を、見ていた。


 ますますもって、起きたくない。


 俺のこの幸せな時間は、本来であれば目覚ましが鳴ったとしても緩やかに流れる筈なのだ。

 高校生になってようやく勝ち取った一人部屋でぬくぬくと布団にくるまる俺の上に、容赦なく飛び掛かってくる幼馴染みさえいなければ。



「お~~~~っはよ~~~~~!」


「ぐぉぉぉぉ……まひる、てめぇ……重いって言ってんだろぉぉぉぉぉ……!!」


「はい! 起きて! 制服に着替えて朝ご飯食べて!」


「まだ時間あるだろうがよ……あと、お前、マジで朝はやめろ。俺の上に乗るな」


「なんで?」


「な……っ」



 生理現象だ、とは、言えない。

 何も知らないみたいな、無垢な瞳を向けてくるこいつには。



「なんでも! なんでもだ!」


「お兄ちゃんのえっち~」


「黙れ!」



 俺の叫びを尻目に、廊下を通り過ぎた妹の香澄かすみはもう既に支度を終えている。

 部活の朝練があるとかで、俺よりも先に家を出るのだ。


 香澄にいってらっしゃいと声を掛けたまひるは、勝手知ったる顔でキッチンに向かい、朝ご飯の準備を始めた。

 途端に漂い出すいい香りと音に包まれながら、俺は顔を洗い、歯を磨き、制服に着替えるのだった。


 俺たちの両親は海外を飛び回っていて、滅多に帰ってこない。

 初めは香澄も俺も、慣れない手付きで料理をしていたのだが、いつの間にか、まひるが作るようになった。

 買い物は香澄と俺が担当し、作るのは、まひる。


 まひるはそのついでと言わんばかりに、俺の上に飛び掛かる形で起こしてくるのだ。


 毎朝。


 料理も、毎朝の激しいモーニングコールも、ありがたいことではあるのだ。

 だが、俺もまあ、それなりに年頃な訳で。

 そういう夢を、見ることもある訳で。


 せめてまひるが香澄と同じくらい、その、色々、知っていてくれたらと思う。


 無知は、罪だ!



「なんか言った?」


「いや、味噌汁うまい」


「うぇへへへへへ、それほどでもあるよぉ」


「ごちそうさまでした」


「おそまつさまでした!」



 二人、並んで学校に向かう。


 北風が吹きすさぶ道を、生足をさらけ出して歩くまひる。

 見てるこっちが寒くなる。


 首元にはマフラーを巻いているくせに、足にはハイソックスを履いているだけ。

 校則に違反しない程度に短く折られたスカートからは、太股がチラチラどころではなくバッチリ見えている。



「寒くねーの?」


「ん~、さぶくなくはないね」


「寒いんかよ」


「でもさ~、やっぱ女子高生だしさ~」


「せめてスカート折るのやめたら」


「やだよ、この短さが可愛いんじゃん!」


「そういうもんか」


「ちーくんはパンチラとか期待しないわけ?」


「はっ!?」



 男の生理現象には思い至らないくせに、パンチラには言及すんのかよこいつ。

 思わず思い描いてしまったまひるのスカートの中身を振り払うように、ぶんと首を振った。



「前に東山とうやまくんが言ってたよ、冬の制服も、冬の体育着も、露出が減って男は哀しいんだって」


「あいつ……マジ……」



 その発言に頷かない訳ではないが、まひるに言うな。


 神妙な顔付きで俺を見ていたまひるが、突然「あっ!」と声をあげる。

 何事かとその視線の先を見れば、校舎の正面に備え付けられた時計が、間もなく校門の閉まる時間を刻むところだった。



「げっ」


「ほらほらちーくんが早く起きないから~~~!」


「いーから走れ!」


「ま、待ってよぉ!」



 チャイムの鳴り出す気配を感じながら、俺はまひるの手を取った。


 爪の先まで冷え切った細い手が、俺の手のひらの熱を奪う。


 がしりと、予想より強い力で握り返された手は、柔らかかった。

 反射的によみがえってくる、まひるのスカートの中の、想像。


 ああ、クソ! 東山!

 ぜってー殴る。


 鳴り響くチャイム。

 走り込む俺たちに苦笑しながら校門を閉める体育教師。


 教室の窓から、東山がニヤニヤ笑いながら、こっちを見下ろしていた。






お題:握り返された手・冬の体育・無知

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