第51話「ときめきの天使」
2019年12月10日。
俺は病院のベッドで天井を見上げていた。
「少しは動けるようになったの?」
「まあ、なんとか」
そうやってベッドの上の俺に声をかけたのは、幼馴染の栗栖イブである。あまりにも久々の登場に、もはや存在を忘れそうになっていたが、数少ない友達の一人なのである。健文とは違って、頻繁に俺の元にお見舞いに来てくれるけなげな女である。
……。
やっぱ、イブは俺のこと好きなんじゃないだろうか……。
いやいやいや。
仮にそうだったとして、俺にはもはやイブに恋愛感情をいだく資格なんてない。ここ数ヶ月で俺ひどく汚れてしまったというそんな気がする。このガラスのイブを粉々にすることはとてもできない。
「なんか、どうしちゃったの。気が付けばいつだってケガしてるじゃない?」
「……そういわれればそうだな」
確かにシルアと出会ってこの方、ケガばかりしかしてないし、気が付けば要安静状態だ。
「変わったよね……聖夜」
「……何が?」
「大人になったっていうのかな? 感情を表に出さなくなったっていうか、なんか私に何も言わなくなっちゃったよね」
「……会う機会が減っただけじゃないか」
そもそも俺は最近全然学校に行けてないしな。
「そうじゃなくって! 絶対、なんか変わったよ。何があったの、何か隠し事してない?」
イブはパンと自分の太ももをはたきながら、急に感情的になって話す。
いや、隠し事も何も、そもそもイブとすべてを話すような関係になったつもりはないんだが。
「いやだから、特になんも変わってないって」
「そうかなあ、なんかまるで別人って気がするもん。最近、昔のころのバカ聖夜はどこにいっちゃたの、もっと馬鹿で、変態で根暗だったじゃない」
「……お前のおれのイメージはそんなんだったのか」
「そう、シルアちゃんよ、シルアちゃんが転校してきてから明らかに聖夜がおかしいと思うの。ねえ、教えてシルアちゃんとなにがあったの? そもそもあの子は何なの?」
「……いや、だからさ……」
と言いかけたところで、ふと既視感を覚えた。
おかしい。
やたら、イブが俺に対して懐疑的だ。そもそも俺に対してこんなに何かを聞いてくるような女じゃない。
これはひょっとして、この間と同じように、悪魔の仕業か?
察するところ、『懐疑』の悪魔と言ったところか。
「まずいな」
俺は思わずそう口に出してしまう。
「えっ、何が?」
今、悪魔と戦うにしてはあまりにもコンディションが悪い。歩けるようにはなっているが、もちろん戦えるような状態ではない。うまく夢の中に持ち込めれば、もう少しましなんだろうが。
「いや、こっちの話だよ」
「……うーん、ほらあ、やっぱり何か隠してるんだ? ね、正直に教えてよ。シルアちゃんと付き合ってるんでしょ?」
さっきまでいぶかしげな表情をしてたイブは、急に表情を一転させて、にやにやとこちらの反応を楽しむような笑みを浮かべる。
……は、はあ?
「シ、シルアと?」
まあそりゃ、少なくともセフレではあるんだろうが、付き合ってるとは言えるんだろうか。
「二人で、出かけるとこよく見かけるし、いつもシルアちゃんとか、ピアニッシモちゃんとか、聖夜の周りにいるじゃない?」
「そりゃあ、まあなんていうかたまたまというか」
「正直、女子の間ではとっくに噂になってるんだよ? 二人はできてるんじゃないかって」
「……ぐっ」
そりゃそうか。あんなにいつも学校で一緒にいたらそりゃあそう思われるし、そもそも距離が近いんだよなあシルア。お互いに我慢しきれなくて学校の多目的トイレとかでヤったりもしてるし。
サクッとね。
「言い淀むってことは、やっぱそうなんだあ。なにがいいんだろう?こんな根暗男の。シルアちゃんみたいなすごい美人が、聖夜を好きになる要素なんてないと思うんだけどなあ」
「……誰も付き合ってるなんて言ってないだろ」
「ほんとにぃ? ま、いいけどさ、でもさ、聖夜すっかり有名人になっちゃったじゃん。そのせいか私の周りでも、聖夜と付き合いたいとか言ってる女の子いるんだよ。まったく本性を知らないって怖いよねぇ」
知ってるさ、実際俺の家に押しかけてくる女とかもいるしな。世の中というのは手の平を返すものだということを身に染みてよく知ったよ。そもそもイブだって俺のどこまで知ってるっていうんだろう。
「——イブこそ、どうなんだ?」
「えっ、なにが?」
「お前だって、男子の間では可愛いってことになってるんだぜ。そ、その誰か付き合ってるやつとかいないのかよ」
さりげなく、聞いてみたつもりだが、いざ口に出すと少し言いよどんでしまった。
「えっ、はっ、あたし? いやいや私は付き合ってる人とかいないよもちろん。いたらあんたんとこに見舞いになんてこないし。全然モテないしさ」
「もてないって……ラブレターとかもらってただろ、このご時世に」
「えっ、あんなんただの嫌がらせだって絶対。何よラブレターって、昭和かってーの」
そりゃあ、ラブレターだした奴に失礼すぎるだろうよ。
「じゃあ、いないのか好きなやつとかさ」
「……えっ、あ、あぁいないし。そんなん、ほらあたしってもうケント君一筋だし、同級生に興味なんてさ」
ケント君っていうのはあれか、ジャニーズのやつだな多分。
「ふぅん、そうかあ」
そうして二人の間に変な沈黙が訪れる。
「———えっと、じゃあまあ、あんたも元気そうだし! 私はそろそろ行くからね、塾に行かなきゃいけないから。聖夜も勉強しなよ、じゃあね」
そうやって、パパっと荷物をまとめて席を立つと、消えるようにしてイブは病室をあとにしたのだった。
あわただしいやつだ。
なんていうか、イブはかわいいなあ。
昔では持てなかった落ち着いた感情を持ってる自分に気が付く。そうか、やっぱりこれがオトナになった余裕ってやつなのかもしれない。
確信した。
——イブは俺のことが好きなんだな。
だが。
だからと言って、どうするよ。
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