第3話 未来を君に。
「ここが一週間後ってことは、私にとっても光ちゃんと話せる最後の時間だよね。だから、ちゃんと言い残すことが無いようにしないとねぇ」
千依の目は寂しげだ。
そんな目をするなら、戻らなければいいと思う。
けどそうしたら、僕の居るこの時間軸で死んでいるはずの千依は、どうやって生きていけばいいのだろう。
そして、この千依が居た時間軸の僕は、やっぱり悲しむのだろう。
千依はきっと、行方不明になる。でも、一週間後には戻ってくることになるはずだ。
だとしたら、僕の居る時間も都合よく書き換えられて、千依は一週間の家出をしていたということで、丸く収まるのかもしれない。
それは本当にめでたしめでたし、だ。
夢物語と、知ってはいるけど。
「光ちゃんは、私に言い残したこと、ない?」
「ないよ」
僕は千依には、全部話していた。
千依が全部優しく受け止めてくれてたから、感情も気持ちも、全部余さず伝えていた。
言い残したことは、ない。
「でも」
でも。
「やり残したことなら、ある」
千依は、驚いた表情をした。
僕が千依に、キスをしたからだ。
感触と熱と、千依の匂いが僕の脳に届く。
それをしっかりと心に刻んで、僕は千依の唇を解放した。
「光ちゃんからキスしてくれるなんて、珍しいね」
そう、いつもキスは千依からだった。
僕は自分からするのがなんだか恥ずかしくて、千依からされるのを待っていた。
いつかはちゃんと僕からしようと、そう思っていたんだ。
それが僕の、やり残したことだ。
「あーあ、これを忘れちゃうのは勿体ないねぇ。でも、ありがとう光ちゃん。すごく嬉しい」
照れ臭そうに笑う千依は、可愛い。
この世界の誰よりも、きっと。
お礼なんていらないから、存在を置いていってくれ。
そう、言えたらいいのに。
「どうやって、過去に戻るの?」
そもそも、どうやって千依は未来に来たのだろう。
「ああ、ほら、これ」
千依は薬のカプセルのようなものをポケットから取り出してみせた。
「未来ではこんなので時間を移動できるんだって。すごいよね。なんかこのカプセルのなかに移動する時間の情報がセットされてて、飲み込むとすぐに体内で溶けて、その時間に行けるの」
それはどういうシステムなんだろう。
きっといくら考えても分からないのだろう。
だが、ということは、これを飲めば過去に行けるのか。
「それじゃあ、そろそろ行くね。本当に、光ちゃんと恋人になれて私は幸せだったよ。でも、もう私のことは忘れてね。私のことなんか気にしてたら、人生の時間が勿体ないからねぇ。光ちゃんは、いい人生を送ってね」
千依は無茶を言う。
千依が居なくなってしまったことで、僕の人生はもう詰んでるというのに。
「えっと、じゃあ、バイバイ光ちゃ――」
「あ、ちょっと待った」
カプセルを口に放り込もうとしていた千依をギリギリで止める。
「へ? 何? 光ちゃん」
出鼻を挫かれて千依はキョトンとしていた。
「いや、過去に戻る前にトイレに行った方がいいと思うよ」
「え、いや、今別に行きたくないけど?」
「それでも。過去に戻るなんて普通はしない経験だから、何があるか分からない。もしかしたら過去に着いた瞬間に千依はお漏らしをしてしまうかもしれない」
苦しい理屈だけれど、千依にはこれで充分だと知っている。
「う、そうかなぁ? まあ、光ちゃんがそう言うなら、じゃあちょっと御手洗い借りるね」
「うん、ごゆっくり」
千依は手に持っていたカプセルをテーブルに置いて、席を立った。
僕の指示通り、千依は部屋を出ていき、トイレに向かったようだ。
「バイバイ、千依」
僕は1人で呟いてテーブルの上のカプセルを拾い上げると、そのままの勢いで一息で飲み込んだ。
まるでそういう薬かのように急激な眠気が襲ってきて。僕は意識を、手放した――。
* * *
目覚めた場所は同じ居間だった。
でもスマートフォンの日付を見てみれば、それは確かに僕にとって一週間前の日曜日だった。
千依が死ぬ前日。
時間移動したときに目覚める場所は、自動的に飲んだ場所になるのだろうか。
この時間の僕もどこかに居るはずだが、おそらく今この家には居ないだろう。
この日のこの時間、僕は千依と出掛ける為に待ち合わせをしていた。
僕と千依は中学から付き合い始めたけれど、高校は別の場所に通っている。だから平日は放課後にたまに待ち合わせて遊ぶくらいで、日曜日に出来る限り会うようにしていたのだ。
もう少しで待ち合わせの時間になる。
きっとこの時間の僕は、千依が待ち合わせ場所に現れないことに不安になるだろう。
でもそれは僕のせいなので、許してほしい。
或いは、未来の自分を恨んでくれ。
でも上手くことが運べば、きっと一週間後にまた、僕と千依は会えるはずだ。
確証はないけど、可能性はある。
行動に移す動機はそれで充分だった。
僕はとりあえず、今日一日をどこかで息を潜めてやり過ごす。
千依の居ない世界で、他にやることもない。
それでも少し様子を伺っていたけれど、やはり千依が行方不明になったと大騒ぎになった。
まずはこの時間の僕に知れて、それからすぐに千依のご両親に連絡をしたようだった。
僕の動きはさすがに、僕の予想通りだった。
千依が約束を大切することを、僕は知っている。
だとしたら、千依が待ち合わせに現れなければ何かあったと思うのは、僕にしてみれば当然のことだ。
僕のことはどうでもいいが、千依のご両親には申し訳ないことをしていると思う。
でも、千依の命を救うためだ。
それが出来れば、僕は他の何を犠牲にしても構わない。
そういえば、千依に会いに来てるはずの未来人はどうしているのだろう。今頃その人も千依が戻って来なくて慌てているのかもしれない。
まあ、僕が見付からなければそれでいい。
見付かったら、少し面倒そうだ
僕は念のため、自宅からも千依の家からも少し距離のある公園で一夜を明かすことにした。
幸い、この季節なら夜でもそこまでの寒さじゃない。
明日に向けての決意を固めて、僕は過去で眠りについた。
* * *
翌朝はすぐに行動を開始した。
寝心地が良くなかったので寝付きが悪く、五時に目が覚めてしまったがちょうど良かった。
足早に目的の場所に向かう。
特別馴染みのある場所ではなかったけれど、この一週間はよく出向いていたので、行き方は覚えている。
千依の自宅から、千依の通う学校までの途中にある、街中の交差点。
千依が死んだ場所だ。
まだ六時にもなっていないが、どうせやることもない。空腹を感じるが、お金も持ってないので朝食もお預けだ。
目的の場所に近付き、ふと気付く。
早朝なので人気はない。
だが一人だけ、そこに誰かが立っている。
交差点にゆっくり近付く僕を、じっと見ていた。
僕は、覚悟を決めた。
目の前で足を止める。
近付けば、それはやはり女性だった。
「あなたが来るとすれば、ここだと思っていました」
ショートカットで少し冷たい印象の目、決して未来的には見えないスーツ姿で、その女性は言った。
「僕も、あなたが接触してくるならここだと思ってましたよ」
闇雲に僕を探すよりも、僕が行きそうなところで待ち伏せする方が賢いやり方だ。
「そうですか。なら、説明する必要は無いのでしょうね」
「ええ。あなたは、僕のやることを止めようとしている」
「はい。それが私の仕事ですから」
彼女こそが、千依を未来に送った未来人だろう。僕がここに来ることを予測出来たことが、何よりの証拠だ。
「名前を聞いてもいいですか?」
「
なるほど。未来ではそういう決まりなのか。
「未理さん」
「はい」
「お願いがあります」
「聞けるものではないかと」
「聞いてから判断してください」
「……分かりました」
どうやら、話は通じそうだ。
「僕は、千依に死んでほしくなかったのと、千依の望みを叶えたかったから自分が過去に来ました」
「分かってます、それは最悪の事態として想定していたことですから。折原光一さん、あなたは事故に遭う少女を、倉戸千依の代わりに助けようとしている」
本当に話が早い。
さすがは未来人だ。
「見逃してくれませんか?」
「出来かねます。歴史が大きく変動する恐れがあります」
「でも、どのみちもう千依はここに居ない。だとすれば、その助かるはずの少女が、死んでしまうかもしれない」
「私は、あなたを未来に送り、倉戸千依を呼び戻そうと思っています。そうすれば、歴史に乱れは無くなります」
「でも、未来は滅びる」
未理さんの表情が、初めて険しくなった。
「どういう、ことですか?」
「僕は脅迫をしています。一週間後、僕が海で拾いものをすれば、それで未来は滅びるんですよね? あなたが千依が死ぬ道を選択するなら、僕は必ず海に行きます」
千依の居ない未来に、必要性など感じない。
「あなたの、記憶を消せば……」
「無駄ですよ。それなら僕は自然に海に行くでしょう。千依の死を悼んで。どうしますか? 千依を殺すか、未来を滅ぼすか」
未理さんは少しの間俯いた後で、
「分かりました……残念ですが、あなたをこの場で見逃すのが、最善のようです」
そう言った。
「ありがとうございます。じゃあ、ここからがお願いなんですけど、僕が死んだら後処理をお願い出来ますか?」
少女を助けた後、ボクの死体が残っては困る。と、思ったのだが。
「その心配はありません。あなたはこの時間で異物です。歴史の整合性を取るために、時間が立てばあなたの存在は自然消滅します」
そういうシステムになっているのか。便利なものだ。
「そうですか。ありがとうございます、教えてくれて。約束します、僕は海に行きません」
「そうであることを、願います」
それだけを言って、未理さんは立ち去っていった。
千依が死ななければ、僕は海に行かないはずだ。
それで未来は守られる。
素晴らしいことだ。
千依の隣に居るのがこの僕じゃなくても、千依が幸せに生きてくれれば、僕はそれでいいんだ。
だから僕は、僕に出来ることをするだけだ。
その時が、ゆっくり近付いてきていた――。
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