第2話 今、僕ができること。

「それじゃあ、海に行くことはやめてくれるの?」



「まあ、千依に言われたらそうするよ。それに、君がここにいるのに出掛けようっていう気にはならない」



「そっかそっか。それじゃあ、私は心置きなく過去に戻れるね」



 本当に清々しいような表情で言う。それに、反比例するように、僕の表情は曇る。



「やっぱり、帰っちゃうの?」



 せっかくまた、こうして会えたのに。

 また千依は、僕の前から居なくなってしまうのか。



「帰るよ、そりゃあね。私がここに居たら、大騒ぎになっちゃうでしょ?」



「それはそうだけど……。あれ、ちょっと待って」



 僕は、あることに気付いた。



「千依はもう、自分が事故で死ぬことを知ってるよね?」



「うん、未来の人にも教えてもらったし、こうして一週間後に来て目の当たりにしたら、実感も湧いたよ」



「ということは、これで過去に戻れば……事故を回避出来るんじゃ!?」


「ひゃっ!」



「あ、ごめん大きな声を出して……でも、もう、千依は死ななくて済む、ってことだよね?」



「うーん」



 千依は困ったように笑う。

 僕は何か、間違ったことを言っただろうか。

 だって千依にとっては未来を知ったということなのだから、知っていれば悪い未来は変えられるはずだ。



「残念だけど、違うんだよねぇ。光ちゃんの気持ちは分かるし、ありがたいんだけども」



「どういうこと?」



「ここで私が過去に戻って生きる道を選んでしまったら、未来は大きく変わってしまうんだって。そうなると未来の人は困るみたい。だから、私は予定通りに死んだ方がいいって」



「はあ!? なんだよそれ、勝手過ぎるだろ! 千依には未来を救うために協力させて、でも未来がどうなるか分からないから予定通り死ね? そんなの、歴史を都合よく操作してるだけじゃないか!」



「あはは、光ちゃんがそんなに怒るなんて、珍しいねぇ」



 確かに、こんなに怒るなんて滅多にない。でも、千依が良いように使われるのは、絶対に許せない。

 この子は、僕の大事な人なんだ。



「まあね、私も光ちゃんに同感ではあるよ。でもね、ちゃんと死ぬことに決めたから。光ちゃんにも反対してほしくないなぁ」



 千依は、何を言ってるんだ。



「なんでだよ! せっかく生きれるかもしれないのに! そんな、誰かも分からない未来の人間の言うことなんか、聞く必要ないだろ!?」



 僕がどれだけ声を荒らげても、千依は相変わらず困ったように笑うだけだ。



「ううん、違うよ」



「何が違うんだよ!」



「私が自分で決めたんだよ。言われたからじゃ、なくってね」



 それこそ、意味が分からない。

 千依は、死にたいって言ってるのか?



「別に私も、死にたいわけじゃあないの。でもさ、死ぬよりも嫌なことってあるよねって、そういう話だよ」



 死ぬよりも嫌なこと?

 ダメだ、いくら考えても僕の頭にはその答えが浮かんでこない。



「光ちゃん、私の死因、知ってるでしょ?」



「死因? だから、事故で……」



 思い出したくない現実だ。

 でもこの先に答えがあるのだろうか。



「朝、登校中に、車にはねられて……あ」



 すぐに、思い至った。

 確かにそれなら千依は、千依の性格なら、きっと死ぬことを選ぶと、納得してしまった。



「分かってくれた、みたいだね。そういうことだよ」



 千依は、車にはねられて命を落としたと聞いた。

 脇見運転をしていた車が信号無視で横断歩道に突っ込んで、その時渡っていた小学生の女の子を助けるために、異常に気付いた千依はその女の子を庇って車にはねられてしまった。



「私が庇わなかったら、その女の子は死んじゃうかもしれない。そんなの私は、嫌なんだよ」



「でも……でも、その女の子が絶対に死ぬとは限らないだろ? 千依が助けなくたって……」



「そうかもね。でも、死んじゃう可能性があるなら、私は放っておけない」



 そうだろう、千依なら。

 そういう女の子だ。

 だから僕は千依のことを、好きになったんだから。

 でも――。



「嫌だ……死なないでくれ、千依! 俺を独りにしないでくれ!」



「光ちゃん……ごめんね」



 もう、千依は決めているのだ。

 その女の子の為に、死を選んでる。

 でもだからって、僕がそれを受け入れられるわけがない。



「……分かった。女の子は助ければいい、でも千依も生きるんだ。何か方法はあるはずだ。誰も死ななくていい方法が、あるはずだろ」



「無理だよ。だって私には、どの女の子が事故に遭うのか分からないんだよ? それに言ってなかったけど、私は過去に戻ったら未来に来てるこの時間の記憶を消されちゃうんだ。だからね、どうしたって無理なんだよ」



「記憶を消される? じゃあ、今こうして話してることも忘れちゃうってこと? どうして?」



「未来のことを知っていれば、私の行動が変わってしまうかもしれない。もし同じようにしようと私が思っても、その時になったら怖じ気づいちゃうかもしれない。だから、記憶は消してもらわないとダメなの」



 それは、もう、要するに。

 僕には何も、打つ手がないってことだ。

 諦めるしか、ないってことだ。

 千依の命を。


 僕がなにも言えないまま、時間は過ぎていった。

 千依と居られるのは、あと僅かだっていうのに。


 時間は、時に優しくて、時に残酷だ。

 今がどちらか、僕には判断が付きそうになかった。



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