未来を君に。
天崎澄
第1話 失った過去と、置いてきた想い。
「あらら、私本当に死んじゃってるんだねー」
僕がさっきまで手を合わせていた仏壇を見ながら、まるで実感が湧かないかのように目の前で彼女が笑う。
ふわりとした長い黒髪と、丸っこい目が愛らしい、僕の恋人。
紺色のセーラー服が、よく似合っている。
「
僕が言えるのは、かろうじてこれだけだった。
今は目があり得ない情報を脳に送り続けていて、ろくに頭が働かない。
「やぁ、
まったく意味が分からない。
処理の出来ない情報ばかりが、僕の目の前に並べられている。
そんな中で僕は無理矢理、一つの確かな記憶を引っ張り出す。
目の前で、ずっと変わらない僕の大好きな笑顔を向けてくる、最愛の恋人。
高校2年生、名前は
享年17歳。
彼女の命日は、たった一週間前。
五月最後の月曜日だった。
* * *
「ありがとうね、私の死を悼んでくれて」
そう言いながら彼女は、我が家の居間でご飯を食べている。
この日僕――
それも無断欠席だ。
ただ、学校には行く気だったので制服を着ている。
ちょうど六月に入ったので衣替えをして、灰色のスラックスを穿いて白いワイシャツを着ている。
千依はまだ冬服を着ていて、だからか僕達は、どこか不釣り合いな感じがした。
僕は見た目の通りそこそこ真面目な人間なので、生まれてから高校2年になる今までで学校を無断で休むのは初めてだ。
朝早く仕事に行った両親に、どう言い訳をすればいいのだろうか。
学校に連絡する余裕など、まったくなかった。当然だ、一週間前に永遠に会えなくなってしまった大好きな彼女と、こうして奇跡的な再会をしてしまったのだから。
「でも、光ちゃんの家の仏壇に私の遺影があるって、変な感じだねぇ」
お気楽に言って、本当に可笑しそうに笑う。以前ならこういう時は僕も一緒に笑っていたけど、今は笑えない。
「本当に、千依?」
「疑うねぇ、どう見ても私でしょう? だから、過去から来たんだよ。一週間前、私がこの世を去る前日の日曜日から、私は来たの」
「えっと……それどういうこと?」
とても現実的な話ではない。
「まあ座りなって。光ちゃんの家なのに私だけが寛いでるのは居心地が悪いよ」
「ああ、うん……」
とりあえず要求されるままに朝御飯を提供したけど、そのまま一緒に座る気にはならなくて僕は千依とテーブルを挟んで反対側に立ち尽くしていた。
自分の生まれ育った家なのに促されるまで座れないほどに、僕は動揺していたのだろう。
ようやく目線が同じになって、彼女の目を見ると少しだけ落ち着く。
「とにかく、説明してくれないか」
「私の話、信じてくれるの?」
「まあ、他でもない千依の話だ。ひとまずは信じるよ」
「ふふん」
千依は機嫌が良さそうに笑う。僕はこの少し癖のある笑い方が大好きだった。
その口角の上がり方で確信する、彼女は確かに、本物の倉戸千依のようだ。
「んじゃあ、説明をしてあげよう」
そう言ってテーブルに置かれたお茶碗は空になっていた。テーブルの上の皿にあった目玉焼きも、跡形もない。
僕は耳を澄ます、たかだか一週間ぶりだが、彼女の言葉を聞き逃したくはない。
「一週間前の日曜日の朝、まあ私にとってはさっきなんだけど、うちに未来から来たっていう人が来てね」
導入から突拍子もない話だが、とりあえず最後まで口を挟むつもりはない。
「女の人で、未来の政府関係の人って言ってた。で、どうしてその人が来たかというと、どうやらこのままだと光ちゃんのせいで人類が滅びるらしいよ」
「はあ?」
あ、挟んじゃった。
いやだって、あり得ない。
千依は映画か何かの見すぎじゃないだろうか。前からフィクションが好きな女子高生だった。
「いや、本当らしいんだよねぇ。光ちゃんさ、今日海に行こうって思ってない?」
少し、驚く。
「なんでそれを……確かに、行こうと思ってたよ」
3年間付き合った千依と、夏が来る度に行った、あの海に。学校が終わったら、その足で行くつもりだった。
「君はそこで、偶然あるものを拾ってしまうんだって」
「あるものって?」
「さあねぇ。教えてくれなかったんだよね。機密だかなんだかで」
いちいち胡散臭い。
「でもそれが原因で、人類は滅亡しちゃうんだって。呆気ないものだねぇ」
さっきから千依はお気楽だ、と思っていたけど、よくよく考えればそれは生前からの性格だった。千依を失ったショックで、僕はその感覚を忘れてしまっていたみたいだ。
「それでね、死ぬ前の私に君が海に行くのを止めてほしいって、お願いしてきたんだよ」
「よく引き受けたね」
というか、よく信じたものだ。
でも僕は、千依が無条件で人を信じることの出来るお人好しだということを知っている。
そこも好きなところだった。
「まあね。光ちゃんを止められるのは私しか居ないんだって言われちゃったからさ、あはは」
照れたようにはにかむ。
笑った時に出来るえくぼも、何も変わらない。
当たり前だ。だって彼女は、先週まで一緒に過ごしてきた千依なのだから。
僕はその時、得も知れぬ感情に襲われた。
昨日行われた千依の葬式でも溢れることのなかった痛烈な想いが、急激に心の中で奔流を起こした。
そんな僕の様子に、千依は気付く。
千依は普段鈍いくせに、僕のことだけはよく気付くのだ。
何も言わずに畳を四つん這いで移動して、テーブルを回り込んで僕の前までやってくると、千依はぺたんと座り込んで両手を広げた。
「光ちゃん、おいで」
我慢なんて、出来るわけがない。
一週間麻痺していたロスが、今凝縮して襲ってきている。
彼女がここに居ることで、僕は彼女が居なくなってしまったことを実感した。
僕は、彼女の胸元のリボンに額を擦り付けながら、しばらく声を上げて泣いた。
こんな情けない姿を千依に見せるのは、恐らく初めてだ。
それでも千依はそんな僕の頭を、僕が泣き止むまでずっと撫でてくれていた。
「私の為に泣いてくれて、ありがとうね」
そんな彼女の優しさが、今は少しだけ苦しくて、そしてとてつもなく、愛しかった。
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