漆 呪《しゅ》CRAMBLE(四)

 呪術部も魔術部も、その予想だにもしなかった意外な展開とこの世ならざる幻想的なその光景に、神と霊達が消えて行った壁を無言のままずっと見つめ続けている。


 カクン…。


 一方、神奈備山の神が姿を消してからわずかの後、全身の力が抜けるようにして、真奈がペタンと床の上へ座り込む。


「まーなっ?」


 それに気付いた呪術部員達は、急いで真奈のもとへと駆け寄る。彼女は俯いてがっくりと肩を落とし、かなり疲労している様子だ。


「おい、大丈夫か? しっかりしろ?」


 真奈の肩を?み、心配そうに梨莉花が問いかける。だが、どうやら意識ははっきりしているらしく、彼女は肩を揺すられると疲れた顔をゆっくりと上げる。


「……いえ、大丈夫です。ちょっと疲れただけですから……」


 そう答える彼女の顔は、いつもの真奈のものである。


「そうか……」


 その見慣れた顔を見て、梨莉花は厳しかった表情を少し緩めた。


「……でも、見られちゃいましたね。あたしの、あの姿を……」


「えっ?」


 ところが、真奈は再び俯くと、淋しそうな眼差しで床を見つめながら言う。


「……不気味ですよね。あんな風になっちゃうなんて……いえ、隠さなくたっていいんです。いつもそうなんです。あたしのあの姿を見た人は、みんな口では言わないけど、気味悪がって、なんか避けているのがわかるんです……だから、もうこうなることはわかってましたから、皆さんも無理しないでください……もう、慣れっこですから、アハハ…」


 そう告げて、真奈は無理と皆に笑ってみせた。だが、その笑顔とは裏腹に、少し潤んだ彼女の瞳にはひどく悲しげな色が浮かんでいる。


 ……仕方ないよね。あんな姿を見せちゃったんだから……誰だって、あんなの見たら恐がってひくよね……これでもう、本当に梨莉花さん達との部活動も終わりかな? でも、狩野先輩やみんなを助けることができたんだし、きっとこれでよかったんだよ。うん。きっとそうだ……。


 真奈は計らずも皆を助けることになった自分の奇異な能力と、そのためにまた友達をなくしてしまうなんとも悲しい運命に、儚げな自嘲の笑みを浮かべた。


 ……しかし、次に梨莉花が口にした言葉は、そんな真奈の予想とはまったく異なるものだった。


「何を言っているんだ。すごいじゃないか、まーな!」


 梨莉花は目を輝かせ、少し興奮ぎみに真奈の肩を揺する。


「……え?」


 その予期せぬ反応に、真奈は不思議そうな顔で梨莉花のことを見つめ返す。


「そうだぜ! あの怨霊達を一撃で黙らせたんだからな。大したもんだぜ!」


「そうですよ! なんで今まで黙ってたんですか?」


「神とあれほどまでに合一できるとは、なんとすばらしい力なのだ! 俺は今、猛烈に感動しているうぅ!」


太師ロ阿タイシュアイア! まーな、カッコイイー!」


「えっ? えっ?」


 他の部員達も皆、英雄を称えるかの如く真奈の周りを囲み、彼女を避けるどころか、むしろ逆に寄り付いて来ているようだ。


「…えっ? ……ええっ?」


 今までにはなかったその反応に、真奈は大いに困惑した。


「み、皆さん、あたしのこと、恐くないんですか?」


「恐い? ……何が?」


 全員の顔を見回して、真奈はその理解不能な反応について尋ねてみるが、逆に部員達の方がその質問の意味を理解しかねている様子である。


「……え、いやだって、あんな風になっちゃうんですよ? 自分の身体なのに自分の意思じゃ動かせなくなるし、目付きや話し方も自分じゃない別の誰かのものになって……それに腕力だって人間離れしたものに…」


「何を言う。その力のおかげで我らや狩野、ついでに瑠璃果達魔術部のアホウどもまで救われたのではないか。そんなすばらしい力を持った者をなぜ恐がらねばならぬのだ?」


「あたしの力が……すばらしい?」


 真奈は驚いた顔で、さも当然と言うように答えた梨莉花に訊き返す。


 すると、梨莉花はその問いの返答として、やはり当り前だと言わんばかりにコクリと頷く。


 見れば、他の部員達もそれぞれに微笑みながら頷いている。


「おまえはどうもその能力を否定的に捉えているようだが、そんなことはないぞ?神や霊の声を聞き、またその力を借りることのできるおまえの能力は、人々を危機から救い、幸せをもたらす類い稀なる力なのだ」


「幸せを……もたらす力?」


「ああ、そうだ。現におまえは我らを窮地から救った。いや、我ら生きている者だけではない。怨念のために成仏できなかった鎧武者達の霊までをも救ったのだ。その力は古より人間が神や霊の世界――もっといえば大自然とよりよい関係を築くために用いてきたシャーマンの力に他ならない。もっと自分の力に誇りを持ってよいのだぞ、まーな」


「梨莉花さん……」


 真奈は、これまでには誰一人としていなかった、自分のこの厄介な体質のことを評価してくれる仲間達の反応にひどく戸惑った……。


 しかし、ずっと不幸しか呼ばないと思っていたこの能力を、人々を幸せにするよい力だと言って褒めてくれるその言葉は、ずっと淋しい思いをしてきた真奈にとって、魂を救済してくれる一番の呪文でもあった。


「だから、これからもよろしく頼むぞ。我ら呪術部の大切な仲間としてな」


「え……?」


「言っただろう? 呪術は人を幸せにするためにあるのだと」


 そう告げると、梨莉花は滅多に見せることのない優しげな笑みをその顔に浮かべる。


「ハァ……はい!」


 真奈は目にいっぱいの涙を浮べながら、今までで一番のとびっきりの笑顔で皆に頷いた。


 ……が、そんなほのぼのとした時を、世界は充分に満喫させてはくれない。


 タン! タン! タン! タン…!


 突然、廊下をスリッパで走る誰かの足音が聞こえてきたのである。


 それは高速でこちらへと近付いて来る……。


 その音に皆、廊下の方へと視線を向ける……。


 そして、その足音が美術室のすぐ近くまで来た時、何者かの大声が夜の校舎内に響き渡った。


「コラーっ! 誰かいるのかーっ?」


 それは、神奈備高校の教頭・折口の声であった。まだ学校に残っていた教頭が、先程からの騒ぎに様子を見に来たのであろう。


「まずい。こんなところを見付かったらことだ……みんな、窓から逃げるぞ!」


 教頭の声を耳にした梨莉花は、即刻、美術室から脱出するよう皆に号令をかける。


 それを聞くやいなや、全員、俄かに騒然として中庭に面した窓の方へと慌てて向う。


 現在、美術室の中は先程の戦闘でめちゃくちゃになっている……夜の学校に無断で残っていただけでなく、美術室をこんな有様にしてしまったとわかったら、それこそただでは済まされないだろう。


「えっ? えっ?」


 独り、その行動に乗り遅れた真奈だけは、その場でおたおたと周囲を見回している。


「もう、何をしているのだ? ほら、行くぞ!」


 そんな真奈の腕を抱え、梨莉花が強引に窓の方へと引っ張って行く。


「えっ? ……あ! 狩野先輩が…」


 そこでようやく状況を把握した真奈は、自分が殴り倒してしまった狩野のことを思い出し、梨莉花に引きずられながらも、その姿を視界の中に探した。


「狩野のことなら俺が担いで行くから大丈夫だ」


 すると、真奈が心配するまでもなく、傍らにいた飯綱が気を失った狩野を軽々と肩に担いでいる。さすが山男だ。


「さっ、急ぎましょう!」


 窓際で立ち止まる真奈達を落ち着かない様子で清彦が促す。


 その声に、全員が急いで窓から外に出てガラス戸をもと通りに閉めたその瞬間、入口の戸が開かれ、入れ替わりに教頭が中へと入って来た。間一髪のタイミングである。


「フー……」


 窓の下に屈んで身を隠しながら、呪術部員達は大きく溜息を吐いた。


 ちなみにふと気付いてみれば、瑠璃果達魔術部の三人はいつの間にやらどこへともなく姿を暗ましている。


 あの三人、どうやら逃げ足だけはそうとうに速いらしい……。


 そうして安堵の息を吐く部員達の頭の上で、教頭の点けた蛍光灯の光が明滅しながら窓から零れ出る。


「ん? ……な、なんじゃこりゃあぁぁぁ~っ?」


 静けさを取り戻した夜の美術室内に、今度はそんな教頭の某伝説的殉職シーンを思わす悲鳴が高々と木霊した。

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