漆 呪《しゅ》CRAMBLE(三)

 真奈は気だるそうに口を動かしながら、ツカツカと狩野の前へと歩み寄る。


「グルルルルル…」


 鎧武者達の視線が一斉に真奈の方へと向けられる。唐突に登場した少女の姿に、怨霊達もどう動いていいものやら躊躇している様子である。


 一方、呪術部員達の目にも、鎧武者の隙間から真奈の姿が映る。


 しかし、彼女の様子はいつもとどこか違う。こんな状況だというのに、まるで恐怖を感じていないみたいだ。


 二度までも窮地を脱することのできた梨莉花達であったが、今度もまた、意表を突く予想外の出来事に唖然として立ち尽くしてしまう。


「……ま、まーな、いったいどうしたんだ?」


 梨莉花は気を取り直すと、おそるおそる真奈に声をかける。真奈はその声に後を振り向き、ちょっと不機嫌そうな顔をして答えた。


「梨莉花さん、それから他の部員の皆さん、今まで隠していてすみません……ぢつはあたし、〝神憑かみがかりしやすい〟体質なんです!」


「神憑りしやすい体質?」×5。


 そのよくわからない突然の告白に、部員達は全員ポカンとした顔で真奈に訊き返す。


「はい。神憑り――つまり神や精霊、人や動物の霊などが憑依しやすい体質ということです。あたし、小さい頃からそうしたものに感応しやすく、すぐに憑依されてしまう特異な子供だったんです」


 ポカン顔の仲間達を置き去りに、真奈は自分の特異体質について説明する。


「まだ小学校ぐらいまではそれが普通だと思ってたから、気にせずしょっちゅう神憑り状態になってたけど……その内、みんな気味悪がりだして、友達もだんだんと離れていって……だから、中学に入ってからは、なるべくそうしたものには近付かないようにしていたんです。そのおかげでずっと神憑りになることもなく、そんな体質に気付く人もいなくなりました。友達の間でもそのことを知ってるといえば、親友の朋絵ぐらいのものです……そ~れ~がぁ~こいつら怨霊のせいでぇっ!」


 真奈はそう語るや、鎧武者達の方をキッと睨みつける。


「でも、皆さんや狩野先輩の命が危いんじゃ仕方ありません……それに怨霊達が騒いだせいで、さっきからこの土地の主であり、ここを護っている地主神――即ち神奈備山の神が怒っているんです。この地鳴りが聞こえませんか?」


 ゴゴゴゴゴゴ…。


 床下から響いてくる地鳴りの音は、先程よりもさらに大きくなっている。


「怒って目覚めた神奈備山の神に感応して、あたしもう、自分の意思を保つのが限界にきています。だから、決心しました……あたし、久々に神憑りします!」


「はい?」


 そんなこと急に言われても、ついていけない部員達は怪訝な顔で訊き返す。


 だが、そんな皆を無視して真奈は神奈備神社のお守りを強く握りしめると、この土地の地主神である神奈備山の神に念じた。


「この地の主、神奈備山の神よ。我が身に宿り、この地を騒がす怨霊を鎮めさせ給え!」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ…。


 すると、真奈の唱え言に呼応するかのように地鳴りは一層、その激しさを増し、響き渡る不気味な重低音とともに遂には地面まで揺れ始めたのである。


「キャッ!」


「なんだ? 何が起きたんだ?」


 突然の揺れに、呪術部員達は慌てて当たりを見回す。


 まるで地震の如く、足を踏ん張っていないと立っていられないくらいに地面が揺れている。


「ヒエ~ッ!」


 瑠璃果達魔術部もこの揺れに慌てふためいている。だが、それは彼女達ばかりではない。


「ウオオオオオ…」


 鎧武者の怨霊達も、突然、激しく揺れ出した大地に動揺していた。


 怨霊が取り憑いている狩野にしても、真っ赤な目で周囲を見回し、これまで一度も見せなかったような狼狽振りで辺りを警戒している。


 この激しい地鳴りと揺れ――その原因は美術室から少し離れた所にあった。


 その峰に神奈備高校を抱く神奈備山の頂上には、古代の人々がそこに神を降ろして祭祀を行ったとされる大きな自然岩――〝磐座いわくら〟がある……。


 地鳴りはその磐座を中心に、神奈備山全体が鳴動するものだったのである。


 真奈の呼びかけに対し、磐座の上にはぼんやりと緑色に光る、半透明の巨大な蛇の姿が浮び上がる。


 その大きさはそこらの蛇とは桁が違う。それは人の数倍はあろうかという長大な大蛇である。


 そして、その大蛇は神奈備高校の美術室を目指し、ものすごい速度で山を下り出した。

 

 ズザザザザザザザ…。

 

 木々の間を縫って、夜の闇に蛍光の軌跡を描きながら蛇行する大蛇は、その途中、地面の下に潜ると地中を伝って美術室の真下へと到達する。


 ゴゴゴゴゴゴ…。

 

 大蛇が美術室の下に来るや、一段と大きな地鳴りが辺りに響き渡る。


 その地鳴りに荘厳されるかの如く、大蛇は床をすり抜けると小さな真奈の身体に巻き付くようにして、ついにその御姿を皆の前に顕現させた。

 

 暗闇にぼんやりと浮かび上がる緑色の巨体は、怪しくも美しい輝きを放っている……その姿には恐ろしさというよりもむしろ神々しさが感じられ、見る者はなんとも形容しがたい感覚に捉われる。


「………………」

 

 地面から突然現れ出たその大蛇に、呪術部や魔術部の者も、鎧武者の怨霊達も、敵味方を問わずそこに居合わせた者達は皆、呆然とその場に立ち尽くしていた。


 だが、自分に巻き付いているにも関わらず、真奈だけは驚きもしなければ騒ぎもしていない。彼女は虚ろな表情で目を半開きにすると、意識レベルを低下させたトランス状態に陥っている。


 そんな準備万端整えた真奈の身体に、大蛇は吸い込まれるようにしてその姿を消した。


「…!」

 

 大蛇が姿を消すのと同時に、今度は虚ろだった真奈の瞳がカッと見開かれ、まるで何かに取り憑かれたかのように顔の表情を変える。


 その眼は先程の大蛇と同じく、ぼんやりと妖しく緑色に光っている。


「我はこの地の主、神奈備の山に住む神なり……」

 

 口を開いた真奈は、いつもと違う冷徹な表情で淡々とそう皆に向かって告げた。その声は確かに真奈のものであるが、その口調はまるで別人である。


「おい! 大丈夫かよ? 顔色も話し方もなんか変だぞ?」

 

 相浄がどう見ても普通ではない真奈の態度に心配して声をかける。


 しかし、彼女が返事をすることはなく、相変わらず冷徹な表情で呪術部員達の方を見つめている……まるでみんなのことがわかっていない様子だ。


「……そうか。あの大きな蛇は神奈備山の神だったんだ。その神を、まーなは自分自身に憑依させたということか……」

 

 他方、そんな真奈の姿に、梨莉花は「納得…」というようにぽつりと呟いた。


「はぁ? いったいどういうことだよ?」

 

 その理解しがたい言葉に相浄が喰いつく。


「古代の人々が崇め、現在では神奈備神社に祭られている神奈備山の神は、伝承では大きな蛇の姿をしていると云われている……今見たあの緑色の大蛇、あれはおそらく神奈備山の神だ。そして、神奈備山の神はこの高校も含むここら辺一帯を治める地主神……産土神うぶすながみ氏神うじがみさまと言ってもいいな。だから、怨霊達が自分の土地を騒がせたことに対して腹を立てたのだ。先程から聞こえているこの地鳴りは、その怒りのためのものなのだろう」


「あれが、神奈備山の神……」


 飯綱は狐に摘まれたような面持ちで、今は〝真奈ではない〟彼女の方を見つめた。


「ああ。その神の怒りに感応し、まーなは意識を保つことができないと言っていた……まーなは生まれながらに霊が憑依しやすい体質の人間――つまり〝天然のシャーマン〟なのだ。以前、降霊会を行った際にあいつが異常に嫌がっていたのも、その体質ゆえに普通の人間以上に霊と反応してしまうからだったのだろう……」


「まーなさんが、天然のシャーマン……」


 その驚愕の事実に、清彦も驚きを隠し切れずにいる。


「そして今、まーなは怒れる神奈備山の神に喚ばれ、また、我らの窮地を救うために、自らの身体に神を憑依させたというわけだ」


「エエっ? じゃ、今のまーなは神サマ?」


 梅香がすっとんきょうな声を上げる。


「ああ。そういうことになるな」


 真奈…否、彼女に憑いている神奈備山の神は全員の顔を見回し、再び口を開いた。


「我の土地を騒がす者はおまえ達か?」


 緑に光る瞳が、呪術部員達の方を向いている。その声と視線には、何者にも逆らい難い、かなりの威圧感がある。


 訊かれた呪術部の面々は、慌てて首をぷるぷると横に振った。


「では、貴様らか?」


 今度は、瑠璃果達魔術部の方にその怪しく光る視線が向けられる。


「め、め、め、めっそうもございませんわ!」


 その蛇のように鋭い眼光に、瑠璃果達も大袈裟なまでに首を横に振って、自分達が無関係であることを強く主張する。


「ならば、貴様らだな?」


 すると最後に、緑の瞳は鎧武者の怨霊達の姿を捉える。


「ウウウウウウ…」


 だが、鎧武者達はその言葉を否定せず、逆に真奈に対して威嚇の唸り声を上げている。


「そうか。貴様らか……」


 犯人を見定めた神の目は一段とその鋭さを増す。


「貴様らの頭目は誰だ?」


 そして、真奈の身体を借りる神は、威嚇する怨霊達を見回すと、冷たく厳かな口調でそう尋ねた。


「キサマハ、ナニモノダ?キサマモ、ワレラノネムリヲ、サマタゲルモノカ?」


 それに対し、今度は狩野に取り憑いている鎧武者の怨霊が口を開く。


「そうか。おまえが頭目か」


 その声に、神を宿した真奈の身体がゆっくりと彼の方を振り返る。


「なぜ貴様らが怒りを覚えているのかは知らぬが、我が土地を騒がすことはまかりならん。安住の地を与える故、そこで静かな眠りにつくがよい」


 畏れ多くも神に無礼な口を利く怨霊達であるが、それでも偉大なる地主神としての慈悲心からか、真奈の中の神奈備山の神は鎧武者達の怨霊をそう言って諭す。


「キサマモ、ワレラノネムリヲサマタゲルナラバ、ヨウシャハシナイ……」


 しかし、狩野に取り憑く怨霊は、そのありがたいお言葉にもまったく耳を貸そうとはしない。


「なぬ?」


 その礼節を欠いた物言いを聞くと、ついに神さまが宿る真奈の額にもピキっと太い青筋が浮かんだ。


 自分の土地を騒がせた挙句、まったく人…いや、神の話を聞こうとしない鎧武者の怨霊に、とうとう地主神の怒りも頂点に達してしまったらしい。


「なんと無礼な。かように言ってもわからぬアホウどもはこうしてくれる!」


 真奈に宿る神奈備山の神はお守りを持つ右の拳を堅く握りしめ、何を思ったか大きく後方へと振りかぶる……すると、振り上げたその拳が緑の蛍光色に輝きだし、薄暗い闇の中で鮮やかに浮び上がる……。


「このっ、うつけ者めがぁっ!」


 そして、神の鉄槌と化した真奈の拳は狩野の顔面めがけて容赦なく一気に振り下された。


 ドッゴォォォォーンッ…!


 その一撃は、想像を絶する凄まじい破壊力を持っていた。狩野はパンチを頬に喰らい、勢いよく後方へと吹き飛ばされる……。


 しかし、狩野の受けた衝撃は、実を言えばそれほど大したものではない。


 彼の頬にパンチが当たると同時に、その光る拳は怨霊の霊体自体を直に打撃し、彼に取り憑いていた鎧武者の怨霊を肉体の外へと殴り出していたのである!


 そして、狩野ではなく直接、鎧武者の顔にクリティカル・ヒットしたその拳は、怨霊の霊体をその勢いのまま、狩野よりも遥か遠くへと吹き飛ばしてしまう。


「………………」


 怨霊の殴り飛ばされて行った方向を見ると、ガシャリと奇妙な格好に崩れ落ちた鎧武者が後方の壁にめり込んでいる……。


 その恐ろしいまでの破壊力に、見る者一同呆気にとられ、ポカンと口を開けたままである。


地主神じしゅしんパンチ……」


 今の攻撃にそんな中二病的必殺技名を付けてみた梨莉花も、そのお茶目な言動に反して目が点になっている。


「さあ、次はどいつだ?」


 続けて、真奈に宿る神奈備山の神は鎧武者達の方を振り返ると、反抗的な彼らをキッと強く睨みつけた。


「ギエエエェ!」


 圧倒的な力に恐れをなした怨霊達は、それまでとは一転、一斉に平伏ひれふす。


「えっ? えっ? ……ハッ!」


 そのために集団からポコンと飛び出た格好になった呪術部と魔術部の部員達も、周囲の状況を把握すると慌ててその場に平伏する。もう、印籠を出した水戸黄門状態である。


「うむ。よろしい」


 そんな怨霊達の改心した態度に、どうやら神もなんとか怒りを静めてくれたようである。


「安住の地が欲しいというのならば、我について神奈備山に来るがよい。あの山上は古来より、この地に生きる者達の魂が死後に帰って行く場所でもある。きっと貴様らの怨念も浄化され、心静かな眠りにつくことができよう。どうだ? 我とともに山へ参るか?」


 真奈に宿る神奈備山の神は、相変わらずの冷徹な表情ではあるが、先程とは違う優しげな口調で怨霊達に語りかける。


「ウオオオオー!」


 その畏れ多くもありがたいお誘いに、今度は怨霊達もちゃんと耳を傾け、皆、歓喜の声を上げている。


「うむ……では、我は帰る。皆の者、参るぞ!」


 それを聞いた神は満足そうに頷き、呪術部員達の方を向いて別れの言葉を述べる。


 そして、再び半透明な大蛇となって真奈の身体の上に姿を現すと、自らの住まう神奈備山を目指して蛇行しながら帰って行った。


 その後を、鎧武者達もぞろぞろと追って行く……。


 先程、神奈備山の神に殴り飛ばされ、壁にめり込んでいた例の怨霊も、仲間の幾人かに引っ張り出されて、両脇を抱きかかえられながら連れて行かれる。


 その蛍光色の大蛇に率いられた怨霊達の不思議な一団は、壁に向ってゆっくり列をなして進んで行くと、そのまま闇に溶け入るかのように、何処へともなくその姿を消した。

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