漆 呪《しゅ》CRAMBLE(一)

 異様な風体をした呪術部の一団が、真っ暗な夜の校舎の中を颯爽と突き進んで行く……。


 部室のある学生棟を出て渡り廊下を突っ切り、中央棟が見える中庭まで来ると、美術室の辺りが青白くぼおっと光っているのが目に入る。


 近付くにつれ、それが美術室のガラス窓から漏れ出した光なのだと気付くが、ここから見た限りではそれ以上のことはわからない。


 明らかに蛍光灯の光とは違うものだし、あれはいったいなんなのだろうか?


「そうか……あれを見て例の三人組は美術室が七つ目の場所だとわかったんだ」


 早足で歩きながら、感心したように梨莉花が言った。


「どういう仕組みかわからんが、おそらく五つの梵字すべてを取り除いた時、怨霊の封じられている場所があのように輝くのだろう……もっとも、七不思議だと思い込んでいた彼らは六つ目の人体模型にあるはずの梵字も取り除こうと考えていたのだろうが、五つ目を剥がした時点で呪法が解け、あのように美術室が青白く光った……それを目にした三人は興味をそそられ、のこのこと怨霊の待つ美術室へ行ってしまったというわけだな」


「なるほど。それで梵字を取り除くことが七つ目の不思議を知る方法になるわけですね」


 同じ速度で進みながら、梨莉花の説に清彦や他の皆も頷く。


「さあ、校舎内に入るぞ!」


 と、そんな話をする内にも、呪術部の一団は美術室の目と鼻の先にまで近付いていた。


 さらに一階の廊下を進んで行くと、奥に見える美術室からはやはり青白い光が外に漏れ、手前の廊下を怪しくぼんやりと照らし出している。


「待て!」


 一団が美術室の一歩手前まで来た所で、梨莉花が右手を挙げ、皆をそこで停止させる。


「まずは私が中の様子を覗う。合図をするまでは動くなよ」


 梨莉花が小声で告げた指示に部員達は無言のまま頷く。それを確認すると、彼女は壁伝いに美術室の入口へと近付き、引き戸に付けられた覗き窓から中の様子をそっと窺った。


「鬼火…!」


 中を覗いた梨莉花は少し驚いた様子で呟き、こちらに来いと部員達に手で合図を送る。

その合図に、他の者達も充分注意しながら同じように美術室の中を覗く……。


「なるほどな。この鬼火が青白く光らせていたわけだ………」


 そこに見たものは、暗闇の中で燃え上がる幾つもの青白い火の玉であった。


 その薄ら寒い色に燃え上がる鬼火の光が、引戸や壁の上下に設けられた明り取りの窓から外へと漏れ出し、周囲の闇をよりいっそう怪しく浮かび上がらせていたのである。


「ん? ……あれは?」


 安全を確認し、今度はもう少し大胆に覗き窓へ顔を近付けた梨莉花が何かを発見する。


「中に誰かいる……」


 それは部屋の真ん中でこちらに背を向けて立つ、制服を着た一人の男子生徒の姿だった。


「男子のようだが……ここからでは顔が見えんな」


 狩野先輩…?


 真奈の脳裏に、不安を伴ってその名が過る。


「いずれにしろ、この状況の中にいるなど正気の沙汰ではない。早く彼を助け出さなくては……」


 梨莉花は意を決すると、皆の方を振り返った。


「これより美術室の中へと突入する。全員、戦闘用意!」


 そう指示を出すとともに、彼女もローブの下に隠したホルスターから拳銃を取り出す。


「…じゅ、銃?」


 それを見た真奈は目を見開き、驚きの声を上げる。


「安心しろ。モデルガンだ。〝デザートイーグル〟……本物は大型ライフルの発射機構をそのまま拳銃に搭載したというマグナムオートの傑作、世界最強の拳銃だ。こいつに魔物が嫌うとされる銀でできたBB弾を入れて撃ち込めば、この世ならざるものにもそれなりのダメージを与えられる」


 手にした銃を見せつけながら、梨莉花は得意げにそう説明する。どうやら、こういうのもけっこう好きらしい……。


 その間に、他の部員達も各々に準備を整える。飯綱は持っていた八角の金剛杖を握り締め、相浄と清彦は何も手にしてはいないものの身構えている。


 一方、梅香は背負っていた包みを降ろすと、その中から中国の古銭を束ねて剣状にした物を取り出していた。


 それは道教で用いられている〝銭剣〟と呼ばれる呪具で、風水グッズとしても使われている代物である。


「まーな、おまえは廊下で待っていろ。中には我々だけで入る」


 そんな中、梨莉花が真奈の顔を見つめ、言葉少なにそう命じる。


「いえ、あたしも行きます! 行かせて下さい!」


 しかし、今、美術室内にいる者が狩野ではないかと心配する真奈は、それを頑なに拒む。


「………………」


 しばし、梨莉花は真奈の瞳をじっと見つめる………そして、その強い意思を秘めた眼差しに、もうこれ以上、いくら説得しても無駄なことを理解したのだった。


「……ハァ。仕方ない。だが、充分用心しろよ」


「はい!」


「では、私と梅香は前方、相浄は右、清彦は左、飯綱君は後を警戒してくれ。真奈は皆の後について来い。では、行くぞ!」


 素早い指示とともに梨莉花は勢いよく引戸を開け、美術室の中へと転がり込む。


 他の部員達もその後に続き、突入すると同時にお互い背中を合わせて陣形を組み、油断なく周囲の警戒に当たった。


 真奈はさらにその後に続いて美術室に入ると、入口付近の壁に身を寄せて立つ。


 左・右・後方を固める相浄・清彦・飯綱の前には、青白く燃える鬼火以外、何一つ不審なものは見当たらない。


 前方を向く梨莉花・梅香の前に、ただ独り、先程見えた男子生徒がこちらに背を向けて立っているのみである。


「何者だ? ここで何をしている?」


 梨莉花は銃を構えたまま、キビキビとした声でその男子生徒に問いかけた。すると、その声を聞いた彼は、無言のまま、ゆっくりとこちらを振り向き始める。


「………………」


 引き金に掛けた梨莉花の人差し指に力が籠る。


 同じく男子生徒を見つめる他の部員達の間にも、ピンと張りつめた糸のように緊張が走る……。


 入口近くに立つ真奈も、徐々に見え出した彼の顔に注目する……。


 そして、異様に長く感じられたそのわずかな時間の後、ついに彼の正面が梨莉花達の方へと向けられ、その顔を判別できる瞬間が訪れた。


「狩野……先輩………」


 彼の顔を見た真奈が、震える声で力なく呟く。


 そこにいたのは、やはり狩野だった……今日も独り残って絵を描いていたのだろう。


 だが、狩野ではあっても、今、目の前に立つそれはいつもの狩野ではない。その肌はやけに青白く、その瞳は真っ赤に光っている……どこをどう見ても、とてもまっとうな人間のようには思えない。


「先輩っ! 早く逃げてください! ここは危険です!」


 その事実を認めることができず、そんな狩野に向かって真奈は懸命に叫ぶ。しかし、狩野はまったく反応を示さず、彼女の声は耳に入っていない様子だ。


「何してるんですか? 早く逃げてくださいっ! 早くっ!」


 無反応な狩野に真奈は駆け寄ろうとするが、梨莉花がその腕を掴んで止める。


「無駄だ。今のやつには何を言っても通じん。あの顔をよく見ろ!」


 確かに、狩野のその表情はもはや人間のものではない。だが、それでも真奈にとっては放っておくわけにはいかない大切な人である。


「で、でも…」


 それでも真奈が反論しかけたその時、目を真っ赤に光らせる狩野が彼のものとは思えない不気味な声を発した。


「ワガネムリヲ、サマタゲルノハ、キサマラカ……」


 明らかに狩野の声とは別ものである。何者かが彼の身体に取り憑いているのだ。


 それは今さら言うまでもなく、かつてこの場所に建っていたという供養塔に葬られていた者――鎧武者の怨霊であろう……。


「いや、貴殿の眠りを覚ましたのは我々ではない。呪法を解いたのは貴殿がこの前会ったバカな三人の野郎どもだ。いや、そもそも供養塔を破壊して眠りを覚ましてしまったのは、遥か昔にこの学校を建てた時の建築業者とその施主だ」


 怨霊の声に怯むことなく、梨莉花は狩野に取り憑いた怨霊との交渉を始める。


「だが、この校舎を使わせてもらってる者として、貴殿が成仏できるように我々もできうる限りの供養はするつもりだ。だから、その取り憑いている生徒を解放し、どうか、この学校に祟りをなすことをやめていただきたい」


 狩野の中の怨霊と対峙する梨莉花は、彼の赤い瞳を見つめ、真摯な態度で頼み込む……が、その言葉も怨霊には届いていない様子である。


「ワガネムリヲ、サマスモノハ、ユルサジ……」


 狩野の――彼に取り憑いている怨霊の目がよりいっそう怪しく輝きを増している。


「フゥ…聞く耳なしというわけか……」


 何を言っても聞こうとしない怨霊に、梨莉花は肩を落して溜息を吐いた。


 そして、次に顔を上げた時には一転、その目に殺気を宿している。


「ならば仕方がない。強硬手段を取らせてもらう……飯綱君、奴の動きを止めてくれ!」


「承知」


 梨莉花の指示に頷くと、飯綱は持っていた六角棒を脇に挿み、怨霊の方を向いて右手で早九字はやくじを切った。


りんびょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」


 〝早九字はやくじ〟というのは修験道でよく使われる呪法であり、この九つの文字を唱えながら、人差し指と中指を立てた〝刀印〟と呼ばれる手の形で空中に横五本・縦四本の線を書いて格子を作るものである。


 この九字によって死霊や生霊、魔物、怨敵などを調伏できるとされているが、緊急の場合、取り憑いた悪霊を縛って動けなくするのにも用いられるのだ。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前! 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」


 飯綱が矢継ぎ早に何度も九字を切ってゆく。


「ウウウウウウ…!」


 すると、怨霊に取り憑かれている狩野が俄かに苦しみだした。


 狩野は天井を見上げ、大きく開いた口から不気味な唸り声を上げてもがく……だが、どうやら動くことができないらしく、こちらを襲って来る気配はない。


「よし。相浄、今のうちに怨霊を狩野から引き剥がすんだ!」


「おう!」


 飯綱が怨霊の動きを封じている間に、今度は相浄が狩野の身体から怨霊を退散させる密教修法すほを行おうというのである。


 相浄は狩野の前へと進み出ると、手に印を結ぶ。


 〝印〟とは密教や修験道、陰陽道などで使われる、手の指を組んで作る様々な形のことである。


 その手の形がそれぞれ神仏を象徴するものであり、それによって術者と神仏とが感応し、その力を得ることができるのだ。


「ウオオオオオ…!」


 だが、相浄が怨霊を退散させる修法を行おうとしたその刹那、美術室の中に浮かんでいる鬼火が、一斉に一段と大きく燃え上がった。


「何っ?」


 大きく膨れ上がった青白い鬼火はだんだんとその形を変えてゆく……炎の中に、手、足、頭といった部分が次々と浮かび上がり、次第に人の姿をなしていくのだ。


 そして……最後にそれは、鎧兜を身に纏った血塗れの武者の姿に変貌したのだった。


「しまった! 怨霊は一人ではなかったのか?」


 梨莉花は周りを取り囲む鎧武者達の姿を目にし、自分の判断ミスを嘆いた。


 よく考えれば当然のことである……供養塔の下に葬られていたのは、戦で死んだ数多くの兵達なのだから。


 だが、今さらそんなことに気付いても時すでに遅し。もうすっかり周りは鎧武者達の怨霊に取り囲まれている。


「チッ…いくら嘆いたところで後の祭だな……皆、用心しろ。来るぞ!」


 梨莉花は銃を握る手に再び力を込めた。


 他の部員達も怨霊の動きに意識を集中する。


 美術室の中は、ピンと張り詰めた空気に満たされた。


「ウオオオオオ…!」


 狩野に取り憑いた怨霊が次に雄叫びを上げた瞬間、怨霊達の一斉攻撃が始まる。


「くっ…!」


 パン、パン、パン、パン…!


 太刀を振り上げ襲い来る鎧武者に向って、梨莉花は立て続けに四発のBB弾を発射する。


「ギャアアア…!」


 銀で作ったモデルガン用の弾を喰らった怨霊は、もんどり打って後方へと倒れ込む。


 だが、それで怨霊達の攻撃が終わるわけでもなく、鎧武者は次から次へと襲いかかってくる。


「ハイ! ハイ! ハイ! ハイっ!」


 右サイドから攻撃を仕掛けてくる怨霊に対して、梅香が徒手空拳での突き、蹴り、そして銭剣による斬撃を与える。


 くるくると回転しながら攻撃を繰り出す梅香はまるでカンフー映画のヒロインのようであり、今の一連の攻撃によって三体の鎧武者が後方へと吹き飛ばされた。


「…挟紙成兵せんしせいへい急々如律令きゅうきゅうにょりつりょう


 後方からの敵を一手に引き受けたのは清彦である。


 清彦は何やら呪文を唱えると、懐から鳥の形に切った紙を数枚取り出し、それを鎧武者に向って投げ打つ。


 すると、その紙でできた鳥がまるで生きているかのように飛び上がり、攻め寄せる怨霊達に勢いよくぶつかってゆく。


「グギャア…!」


 ただの紙で作られた鳥ではあるが、それにぶつかった鎧武者達は、まるで大砲の弾でも喰らったかのように吹き飛ばされる。


 そんな梨莉花、梅香、清彦の活躍で襲い来る怨霊達の第一波は無事、防ぐことができた。


「チッ……本命はこっちかよ……」


 しかし、それは怨霊達の思惑でもあった。彼女らがそちらに気を取られている隙を突いて、鎧武者達は狩野の中の怨霊と対峙する相浄にも襲いかかっていたのである。


 ブンっ…!


「うおっ!」


 怨霊達によって修法を邪魔された相浄は、再び意識を集中し、印を組み直そうとするが、またしてもそこに鎧武者が太刀を振り下ろしてくる。


 その凶刃を相浄は転がるようにしてなんとか逃れたものの、すぐに取り囲まれて狩野からは離されてしまう。


 またそれと呼応して、狩野に取り憑く怨霊の動きを封じていた飯綱の方も、同様に怨霊達からの攻撃を受けていた。


「ウオオオオオ…!」


 ガキっ!


「むむ…」


 横から太刀を振り下ろされた飯綱はやむ無く九字を切ることを止め、金剛杖でその太刀を受け止める。


 しかし、それによって狩野に取り憑いた怨霊を動けなくしていた飯綱の呪縛も解けてしまう。


「…っきしょおっ! …オン・シュチリ・キャラロハ・ウンケンソワカ…」


 相浄は懐から〝三鈷杵さんこしょ〟と呼ばれる両端に三叉の鋭利な刃の付いた密教法具を取り出し、それを握ると大威徳明王の真言を唱えた。


 〝真言〟というのは印と同様、それぞれの仏尊に対応している聖なる言葉で、本来はサンスクリット語――梵字で書かれる呪文である。


 七不思議の場所にあった種字が梵字一文字で各仏尊を表すのに対し、真言はいくつかの梵字を連ねた文であり、この真言を唱え、手に印を結び、心にその仏尊の姿を思い浮かべることによって、密教僧は仏と一つになるのである。


「せいっ!」


 そうして手に持った三鈷杵を加持かじすると、相浄はその三鈷杵で鎧武者に挑んでゆく。


「グワァア…!」


 三鈷杵の刃は強固な鎧を粉砕し、怨霊にダメージを与える。


 〝三鈷杵〟は本来、古代インドの武器で、魔や煩悩を打ち砕くとされている代物だ。


 また、相浄が唱えた真言は大威徳明王のものであるが、大威徳明王は六腕六足、水牛に跨るという恐ろしい姿をしており、内一本の腕には三股戟さんこげきという三叉の矛のような武器を持つ。


 この三股戟は大威徳明王を象徴する物であるとともにその印も三股戟を現したものであり、相浄はその大威徳明王の力を、同じく三叉の刃を持つ三鈷杵に宿したのである。


「ノウマクサンマンダー・バーザラダン・センダー・マーカロシャーダー・ソワタヤ・ウンタラター・カンマン!」


 また、飯綱の方も太刀を金剛杖で受け止めながら不動明王の真言を唱え、自らにその力を宿していた。


 不動明王は修験道で最も重要視されている仏尊の一つである。


「……うう、うおりゃあ!」


 そして、振り下ろされた太刀を剛腕で押し戻すと、そのまま金剛杖で鎧武者達を思いっ切りぶん殴る。


 その強力な一撃で、また三体ほどの怨霊が横薙ぎに薙ぎ倒された。


「………………」


 一方、こうして怨霊達と呪術部員との壮絶な戦いが繰り広げられている中、真奈は独り、部屋の隅にひっそりと隠れていた。


 ……うう、やっぱりダメだ。ダメなんだよ、こういうとこは……。


 真奈は転がった椅子の影で頭を抱え、涙目になりながら戦いの様子を見つめている……。


 狩野を助けたいという強い思いと、こうした霊現象を忌避しようとする無意識に深く刻まれた感情との狭間で、真奈の心は大きく揺れ動いていた。


 ……パン、パン、パン、パン! …カチ、カチ…。


 真奈の眼前では、依然として梨莉花達の激しい戦いが続けられている。


「ちっ…」


 ガシュ……カシャ、ガチ……パン、パン!


 弾が切れると、梨莉花はローブの内側に備え付けられた別のカートリッジ式弾槽を素早く取り出し、空になった弾槽と交換して再び鎧武者達に銀の弾を撃ち込んでいく。


 しかし、そうして果敢に怨霊達を倒していく呪術部員ではあったが、やはり多勢に無勢、時が経つにつれ、彼らは次第に追い詰められてゆく。


「……ハッ! しまった…」


 懐に手を入れた清彦は、式神を宿す鳥形の形代かたしろをすべて使い切ってしまったことに気付いた。


「ウオオオオッ…!」


 その一瞬の隙を突き、鎧武者の刃が清彦に襲いかかる。


 清彦は慌てて袖の中から霊符を取り出すと、鎧武者の振り下ろす太刀の間を掻い潜り、それを相手の胴に貼り付ける。


 それは陰陽道の霊符で、「〇」と「線」で構成される不可思議な図像の描かれたものであるが、その霊符を貼り付けられた鎧武者はまるで雷にでも打たれたかのように突然動かなくなり、そのまま錆びた鉄屑となって、ガシャリと床の上に崩れ落ちた。


「フゥ~……」


 危機一髪で難を逃れた清彦は、大きく安堵の溜息を吐く。


「くぅ~…」


 他方、右側を護る梅香も、怨霊達の猛攻に押されていた。


 鎧武者の長大な太刀を、なんとか細身の銭剣で受け止めた梅香であったが、体格が倍もある鎧武者とでは力の差が歴然である。


「キャッ!」


 力比べに負けた梅香は、香港映画のワイアーアクションの如く派手に後方へと押し飛ばされる。


 カチ、カチ……。


 また、再び銃の弾槽が空になった梨莉花はローブ裏のカートリッジ・ラックを左手で弄るが、もうそこには一つの弾槽も残されてはいない。


「弾切れか……」


 しかし、それでも梨莉花は動揺を見せない。


 弾がなくなったとわかるや、銃をホルスターに戻し、平然とした顔で今度は太腿につけたベルトから格闘用ナイフを引き抜いて逆手に握る。


 そのナイフの刃の根元には、嵌めているグラブに描かれているのと同じ五芒星と縦五・横四の線で作られる格子の文様が描かれている。


 これは〝セーマン・ドーマン〟と呼ばれるもので、陰陽道や民間信仰などでは古くから魔除けとして信じられてきた文様である。


 ちなみに五芒星をセーマン、格子をドーマンと呼ぶが、ドーマンの縦五本・横四本の格子は、先程、飯綱が使った九字とも同じものだ。


「五行と九字の力を宿し、我が剣となれ……セマ・ドマ・ダガーっ!」


 逆手にナイフの柄を握った右拳を顔の前に掲げ、その柄に左手を添えると、梨莉花は〝セーマン・ドーマン・ダガー〟――略して〝セマ・ドマ・ダガー〟と呼んでいるそのナイフに念を込めた。


 それは小振りながらも五芒星と九字の力を秘めた強力な武器であり、さらに西洋魔術における「地水火風」の四大元素の内、〝火(もしくは風)〟を象徴する魔術武器〝短剣ダガー〟に相当する代物でもあるのだ。


 とはいえ、それでも多勢な鎧武者の怨霊とでは、梨莉花の方が圧倒的に不利であることに変わりはない。


 同様に、狩野の除霊に失敗した相浄と飯綱も、数で勝る怨霊達の前に苦戦を強いられていた。


「くそっ! いくら倒してもキリがねえ!」


「なんか増えてるような気もするな……」


 そんな無駄口を叩きつつ、鎧武者の怨霊を一体づつ撃破していく彼らも、じりじりと後退させられているように見える。


「ハァ、ハァ……いったい何匹おるのだ?」


 そして、気付いた時には部員達全員、美術室の中央に追い立てられ、蟻の逃げる隙間もないほどにその周りを取り囲まれていたのである。


 ゴゴゴゴゴゴ……。


 そうした中、突如、床下から大きな地鳴りのようなものが響いてくる。


「……な、何?」


 部屋の隅で頭を抱えていた真奈は、その音に思わず顔を上げた。

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