陸 OPEEN THE 七つ目の不思議(四)

 部員達は、その棒の先が指し示す見取り図上の場所に注目する。


「…………美術室」


 梨莉花が示す、五芒星のちょうど真ん中に位置する場所……それは、美術室であった。


「美術室……」


 真奈もその事実に大変驚いている……そこはここ数日間、真奈が部活後に狩野と楽しい一時を過ごしていた場所だったからだ。


「誰も知らない七つ目の場所とは美術室だったんだ。そして、おそらくはこの場所に、かつて鎧武者の怨霊を鎮めるための供養塔が建てられていたのだろう」


「でも、妙ですね……例の三人が梵字による五芒星の呪法を解いてしまった以上、すでに鎧武者の怨霊は蘇っていていいはずですよね? 現に三人はそれで高熱を出したわけですし。なのに、毎日授業で美術室を使用していても、いまだに何かあったというような話は聞こえてきません。なぜですかね?」


 もっともらしい梨莉花の説であるが、清彦が訝しげな顔をして疑問を呈する。


「うーん……昼間は鎧武者の怨霊も活性化しないのかもしれないな。人がわいわいといる場所は怨霊も好かんだろうし……」


「まあ、それでも一応説明にはなりますが、まったく何もないというのはちょっと……」


「あ、そういえば……」


 そんな中、真奈がまた何かを思い出したかのように呟く。


「どうした、まーな? まだ何か知っているのか?」


「い、いえ……もしかしたら気のせいかも知れないんですけど……あたし、夜に美術室で誰かに見られてるような感じがしたんです」


「なに? それは本当の話か?」


「は、はい。気のせいかもですが……でも、三日連続であの視線を感じたし……」


「ならば気のせいとも言い難いな……ん? なぜおまえ、夜に美術室なんかにいたのだ?」


「い、いやぁ、それは……アハ…アハハハ…」


 真奈は笑って誤魔化すが、梨莉花は疑り深い目付きで見つめている。


「ま、いいか……そんなことより、今の視線の話だ! おそらく、その視線の主が蘇った鎧武者の怨霊だろう……だが、ただ視線を感じただけというのはな。例の三人は高熱を出して入院しているというのに……そこら辺がちょっと引っ掛かるな……」


「三人が入院した後に、何か別の、怨霊を鎮めておけるような物が美術室に持ち込まれたのではないかな? 意図的でなくとも偶然に……」


 腕を組んで考え込む梨莉花に、飯綱がそんな思い付きを述べる。


「なるほどな。うーん、何か別の怨霊を鎮める物か……」


 飯綱の仮説に、梨莉花は美術室に持ち込まれそうな物を思いつくままに並べてみた。


「美術室というと……美術部の者か誰かが彫った仏像とかか? もしくは何らかの宗教画ということも考えられるな。仏画とか、神話をモチーフにした絵とか……」


「仏画……ああっ!」


「こ、今度は何だ? まだ何か知っていることでもあるのか?」


 突然、大きな声を上げる真奈に、梨莉花は少し仰け反りながら驚いた様子で尋ねる。


「は、はい! 狩野先輩の絵です。ここんとこずっと、美術室で狩野先輩が『山越阿弥陀図』の油絵を描いていたんです!」


「狩野? ……ああ、美術部の部長か。にしても、『山越阿弥陀』の油絵とはまた珍妙なものを……だが、それならば鎧武者の怨霊を多少なりとも鎮めておくことができるかも知れんな…って言うか、どうしておまえがそんなことを知っておるのだ?」


「えっ? あ、いや、その、それは……アハ…アハハハ…」


 梨々花の疑りの目に、真奈は再び笑って誤魔化す。


「でも、これですべての謎が解けましたね。このままじゃ、他にも犠牲者が出るかと心配していましたが、どうやらその阿弥陀仏の絵のおかげで怨霊達もおとなしくしてくれているようですし。後は折を見て、またもとのように梵字を戻しておけば…」


「あ、あのですね、それがその……」


 疑問が解け、満足げな笑顔を見せて安堵する清彦に、真奈が水を注すように話しかける。


「えっ、まだ何かあるの?」


「それが……その『山越阿弥陀図』の油絵なんですけど、昨日、となりの美術準備室に移しちゃったんです。で、でも、大丈夫ですよね? となりの部屋に移しただけですから……」


「だから、なぜそんなことを知っておるのだ! …って、それはマズイぞ!」


 声を荒げ、三度目となるツッコミを真奈に入れる梨莉花だったが、その直後、なぜだかすぐに険しい表情を作る。それも、これまで以上に深刻な面持ちである。


「山越阿弥陀の絵がなくなれば、鎧武者の怨霊は再び動き出す……おい、今日、美術室を使ったやつらは無事だったのか? そうだ、美術部のやつらは?」


 梨莉花は部員達の顔を見回し、厳しい口調で問い質した。


「ア、さっきワタシが学校戻って来る時、美術部の人達、帰ってくの見たから、たぶん大丈夫だったみたいだヨ」


「授業で美術室を使ったクラスも、特に何か騒ぎが起きたというようなことは聞いてませんし、今のところ大丈夫みたいですね」


 梨莉花の問いに梅香が答え、続いて清彦も現時点では被害者が出ていないことを即座に推察する。


「そうか……それはよかった。やはり日のある内は活動が鈍るのか……美術部も今日は早めにあがってくれて幸いだったな……だが、危険なことに変わりはない。特に夜近づくのは自殺行為だ。あの高熱を出した三人以上にひどい目に遭うかもしれん……これは早いとこなんとかせねばいかんな」


「……狩野先輩」


 またも、真奈が何かを思い出したかのように呟く。


 しかし、今度はこれまでと違い、焦点の定まらない目を見開き、その顔は真っ青になるほど血の気が失せている。


「ん? 何か言ったか?」


 それは誰に言うとでもない微かな呟きであったが、それでもそれを耳聡く拾った梨莉花が、そんな様子のおかしい真奈に聞き返した。


「もしかしたら……狩野先輩がまだ美術室に残ってるかも知れないんです!」


 その問いに、真奈はすがり付くような目を向けて梨莉花に叫ぶ。


「狩野が? どういうことだ?」


「狩野先輩はここのところ、コンクールに出す絵を完成させるために部活の後も一人で美術室に残って絵を描いていたんです! それがその『山越阿弥陀図』の油絵で、その絵はもう完成したんですけど……でも先輩、もう一枚別の絵を描くって言って……だから、もしかしたら今日も美術室にいるかも知れないんです!」


「……もう、7時か」


 壁の振り子時計に目をやると、いつの間にやら午後7時を回っていた。


 梨莉花は時計から窓の外へと視線を移してみる……外界はもう、すっかり夜の帳に覆われて、灯りがなければ何も見えぬほど真っ暗になってしまっている。


「もしそれが本当だとしたら、かなりマズイな……ケイタイの番号とかは知らんのか? メアドやLIGNEリーニュのIDは? なんでもいいから知ってたら連絡してみろ」


「……まだ、そういうの交換するほどの仲にまでは……先輩……もし残ってたらどうしよう……」


 真奈はフルフルと首を横に振り、今にも溢れ出しそうなほど、目にはいっぱいの涙を溜めて答える。


「心配するな。美術室に狩野が残っているかどうか、これから私達で確かめに行ってやる」


 そんな真奈の両肩に軽くポンと手を乗せると、梨々花は彼女を安心させるかのように穏やかな口調で声をかけた。


「なに、まだ残っていると決まったわけじゃない。それに、もし残っていたとしても……その時は、我ら呪術部の名にかけて必ずや狩野を救い出す!」


「えっ……?」


 真奈は、梨莉花の力強い言葉に俯いていた顔を思わず上げる。


「フッ…呪術とは、本来、人を幸せにするためのものなのだからな」


 そう告げる梨莉花の口元には、いつになく優しげな微笑が浮かんでいた。


「……よし。では、呪術部全員、第一種戦闘配備!」


 だが、それは一瞬の出来事で、次の瞬間にはもう、いつもの厳しい表情へと戻っている。


「これより神奈備高生の安全を確保するため、鎧武者の怨霊が占拠する美術室への潜入作戦を行う! 各人5分以内に換装の上、再びここに集合!」


「了解っ!」


 梨莉花の号令に、真奈を除く他の部員達は全員、威儀を正して敬礼をすると、駆足で部室を飛び出して行く。


「だいいっしゅせんとうはいび?」


「まーな、おまえはここで留守番をしていろ。狩野のことは我々に任せておけ」


 何が始まったのかわからず、ポカンと皆の出て行った先を見つめる真奈に梨莉花が言う。


「い、いえ、あたしも一緒に行きます!」


「ん? だっておまえ、こういうものは苦手だったのだろう? 無理はするな」


「いえ、行きます! 狩野先輩が危険かもしれない時にそんなこと言ってられません!」


 交霊会の時のことを思い出す梨莉花だったが、真奈は真剣な眼差しで彼女の顔を見つめ返し、頑として一歩も退こうとはしない。


「フッ……そうか。では、ついて来い。だが無理はするな。向こうに行ったら我らの後に控えていろ」


「はい!」


 その覚悟を決めた真っ直ぐな瞳に、梨莉花は軽く笑みを浮かべると真奈がついて行くことを許した。


「それから、おまえも何か霊的な力のある物を身に付けていけ。これから行く場所では何が起こるかわからんからな。では、また後で」


 そして、そう言い残すが早いか、梨莉花自身も皆の後を追って部室の外へと飛び出して行く。


「…………あ、そうだ。何か霊的な力のある物……」


 しばし梨莉花の出て行った後を呆然と眺めた後、我に返った真奈は彼女に言われたような物はないかと、ポケットに手をやったりして周囲を探す。


「……あ! お守り……」


 そして、いつも鞄に付けている神奈備神社の守り袋があることをふと思い出した。


 これなら一応、霊的な力があるよね……神奈備山の神さま、どうかお護りください……。


 真奈は守り袋を鞄から外すと両手に握って強く願いを込め、そのままブレザーの胸ポケットへと入れる。


 バダン…!


 と、そこへ、先程、部室から出ていった部員達が早々とドアを開けて戻って来る。


「……?」


 最初に戻って来たのは相浄だった。


 だが、その格好がいつもと違う。


 いや、いつもと違うどころか普通の格好ではない……相浄はお坊さんが着る様な墨染めの衣と、その上に袈裟を身に着けていたのである。


 まあ、彼はお寺の息子で僧籍も持っているらしいから、そこまでならまだあり得るスタイルなのかもしれないが、そのくせ頭だけは真っ赤に染めたツンツンヘアーのままだし、とてつもなくパンクな僧形そうぎょうである。


「な、なんですか? その格好は?」

 

 その珍妙な風体に、真奈は思わず相浄のことを指差して訊いてしまった。


「ん? 何って第一種戦闘配備。おまえは着替えないのか?」


 しかし、相浄はさも当然のことであるかのように淡々と答え、逆に真奈の方がおかしいとでもいうような眼差しを彼女に向けてくる。


「先日、クリーニングに出しといてよかったな」


「そうですね。いつ何があるかわかりませんからね」


 その直後、そんな会話を長閑にかわしつつ、相浄に続いて飯綱と清彦の二人も帰って来た。


 が、やはり彼らも普段とは違う、なんだか異様な出で立ちをしている。


 飯綱の方はマッチョな身体を覆う白装束にフワフワの玉の付いた結袈裟ゆいげさを着け、坊主頭の上には小さく丸い頭襟ときんという黒い帽子をちょこんと乗せた、いわゆる山伏やまぶしのする格好だ。


 加えて背にはおいという箱を背負い、ごっつい手に八角形の白木でできた金剛杖を握っている。


 一方の清彦はというと、水色の狩衣かりぎぬという神主のような着物を着て、頭には烏帽子えぼしと呼ばれる長細い帽子をかぶっている。


 メガネなこと以外はまるで平安時代の貴公子だが、安倍晴明とか陰陽師もこんな格好をしていたように思う。


 どちらにしろ、日常生活ではけしてお目にかからないようなコスチュームだ。


「アイヨー、髪直すのにだいぶ時間かかったヨ」


 少し間を置いて、今度は梅香がいそいそと部室に戻って来た。


 彼女も特異な服装に変わっているのは前の三人と同じだ。


 鮮やかな黄色をした丈の長い服を制服の上から羽織り、頭には黒と白の勾玉を合わせたような円形のマーク――〝太極図たいきょくず〟が施された何か奇妙な形の帽子だか冠だかをかぶっている……。


 そう。これは風水とも縁の深い、中国の民間信仰〝道教〟の神官――道士の服装なのである。


 さらに背中には何かの武器なのか? 細長い形の包みを背負っているが、梅香のトレードマークである〝ツインお団子〟は現在見受けられず、長く美しい黒髪をそのまま結わずに垂らしている。


 たぶん、あの冠みたいなのをかぶるのに邪魔なので、お団子を解いて下ろしたのだろう……でも、この髪型もなかなかに似合っていて、ものすごくカワイイ。


 これは〝梅香萌え〟の男子必見である。


「よし、全員、準備できたな」


 そして、梅香より少し遅れて、最後に梨莉花が戻って来た。もちろん他の部員達のご他聞に漏れず、奇妙な衣装を身に纏ってである。


 梅香同様、制服は着たままだが、美しい太腿を覆うぐらいまで丈のある黒いフード付きローブを上半身に羽織り、肘と膝には黒色の軍用プロテクター、靴もアーミー系の編み上げブーツに履き替えている。


 また、両方の手には五芒星の星型と横五本・縦四本の線を組み合わせた格子のマークが描かれた黒いグラブを嵌めており、なんというか、女子高生と魔法使いとSWATをかけ合わせて三で割ったような、なんとも不可思議な格好である。


「では、全員整列!」


 ツカツカと早足で部室に入って来た梨莉花は、再びよく通る声で皆に号令をかけた。


 部員達は急いで横一列に並び、まるで軍隊のようにピシっと姿勢を正す。それを見て、真奈も慌ててその末尾に着く。


 なるほど……みんな、それぞれの専門分野や特性に合わせた格好に変身してきたってわけか……。


 しかし、こうやって全員集まってみると、まるでレイヤーさんの祭典かコミケ会場だな。もしこれで会場とか行ったら、何かのコスと間違われて写真を撮られること請け合いだ。


「諸君! これより我々は、鎧武者の怨霊が潜む美術室へ向う!」


 真奈が部員達のコスプレ…もとい、第一種戦闘配備の兵装に見惚れている内に、威儀を正した部長の梨莉花がおもむろに訓示を述べ始める。


「場合によっては怨霊と直接戦闘になることも考えられ、かなりの危険が伴う任務である。皆、心してかかるように!」


「了解!」×4


 部員達は背筋を伸ばし、梨莉花に向って敬礼した。


 それより一拍遅れて、真奈も皆に習ってぎこちない敬礼をする。


「特にまーな! ……絶対無理はするなよ?」


 そんな真奈の方へ顔を向けると、梨莉花は真剣な眼差しで、だが、その中に優しさを秘めた声でそう忠告をする。


「はい!」


「よし。では参るぞ。神奈備高校呪術部出撃っ!」


 真奈が力強く頷いて返事をすると、司令官・梨莉花の号令のもと、呪術部員達は全員、再度、部室から勢いよく飛び出して行く。


「………………」


 その様子に緊張と不安の表情を見せながらも、真奈は意を決してその後を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る