陸 OPEEN THE 七つ目の不思議(ニ)

「――お疲れさまで~す! …おや?」


 職員室を出た真奈は、そのままの足で学生棟に向かい、部室のドアを勢いよく開けた。

だが、開いたドアの向こうには、飯綱と相浄の二人しかい。


 他の者がいないのもさることながら、大概いつもは部室にいるはずの梨莉花の姿まで見えないとは珍しい。


「おお、お疲れさん」


「おーす」


 入って来た真奈に気付いて、飯綱と相浄が顔も向けぬまま挨拶を返す。


 奥の机に座る彼らは、分厚い本を机の上に積んで何やら調べ物をしていた。


 本の背表紙には『仏尊別真言大辞典』だとか、『初級サンスクリット語入門』などという書名が見て取れる。


 あ、そうか。みんな調べ物に行ってるんだ……。


 そういえば、今後は各自分担して七不思議の調査をするようなことを昨日の会議で言っていた。かくいう真奈自身もそれで先程、渋沢の所へわざわざ話を聞きに行ったわけである。梨莉花、梅香、清彦の三人も、きっと自分の調べ物のためにどこかへ出かけているのであろう。


「ああ、他の三人なら自分達の調べ物に行っているよ」


 真奈の思っていることを察してか、飯綱が本から顔を上げて、彼女に予想通りのことを告げた。

「それから部長だが、外に出るんで少し遅くなるかもしれないが、戻るまで待っててくれとのことだ」


 ふーん…梨莉花さん、学校の外に出てるんだあ……でも、遅くなるっていったいどこまで行ったんだろ?


 さっき渋沢先生に聞いてきたこと伝えようと思ったんだけど……先に飯綱先輩達に言っといた方がいいのかな? ……ま、みんな帰ってきてからでもいいか。


「ああぁぁ~っ! わがんねーっ!」


 真奈がそんなことを考えていると、突然、相浄が持っていた本を机の上に投げ出し、天を仰いで大きな叫び声を上げる。どうやら調べ物に行き詰って嫌になってしまったらしい。


「だいぶ頭も煮詰まってきたことだし、ここらでちょっと気分転換でもするか」


 頭からプシュ~と湯気を出す相浄を見かねて、飯綱がそう提案をする。


「そうっすね……でも、気分転換って?」


「ほら、部長が俺達にも一応、七不思議の現場を見ておくように言ってただろ? まだ部長達が来るまでには時間がありそうだし、ちょっくら見学にでも行ってみようではないか。ちょうど部長達と一緒に廻った宮本君も来たことだしな。宮本君も一緒にいいかい?」


「あ、はい。あたしは特にすることないんで」


 そういえば、そんなことも昨日言っていたような……。


「フゥ…じゃ、そうしますか。ずっと細かい字ばっか見てて目も疲れたっすからね」


 相浄もそう答えると、一息吐いて椅子から勢いよく跳ね起きる。


「それじゃ、神奈備高校七不思議巡りツアー出発だ。山登りん時はいつも俺だが、今日の先達せんだつ――つまりガイドは宮本君だ」


「え? あたし、ガイドですか?」


 ついに、そんなオカルトなツアーのガイドまでするところまで来ちまったかあ……。


 こうして、真奈は己が身の堕落を心の中で嘆きつつも、飯綱、相浄の新顔二人とともに再び七不思議のフルコースを巡ることとなった――。




「――梨莉花さん達、まだ戻って来ないんですかねえ?」


「ああ、遅くなると言っていたからなあ」


 真奈達三人が七不思議巡りから帰って来ても、梨莉花達の姿はまだ部室になかった。


「もうこんな時間かあ……」


 コピーの裏紙と割り箸で作った「神奈備高校七不思議巡りツアー」の三角旗を弄びながら、壁にかかる年代物の振り子時計に真奈が目をやると、時刻はもうすでに5時半を回っている。


 七不思議巡り自体はこれといって目新しい発見があるわけでもなかったが、それでも初めて回る二人になんやかやと説明しながらだったので、全部回るのにはゆうに1時間以上はかかってしまった(特に理科準備室へ入ろうとした際、化学部員がものすごい抵抗を示したためにそこでかなりの時間を取られた…)。


 しかし、それほどまでに時間潰しをしてみても、まだ梨莉花達は戻って来ていなかったのである。


「やっぱり、人体模型の所に梵字はなかったなあ」


「そうっすねえ。なぜっすかね?」


 ガタン…。


 他の者もいないため、飯綱と相浄がそんな論議を二人だけで始めようとしていたその矢先、入口のドアが俄かに開く。


「お疲れさまです」


 入ってきたのは清彦だった。その手にはいろいろと資料を綴った分厚いファイルを抱えている。


「ああ、お疲れさん」


「あれ、梨莉花さん達はまだ来てないんですね」


 清彦は室内を見回すと、梨莉花と梅香がいないことを確認する。


「おう、どっか出てっちまったみてえだ。そういうおまえもけっこう遅かったじゃねえか。どこ行ってたんだよ?」


 清彦に答えると、今度は相浄の方が尋ねる。


「ああ、僕はずっと図書館に籠ってたんだよ。昨日の話でちょっと思い当たることがあったんでね。それを調べてたんだ」


「んで、どうだった? 何かわかったか?」


「おそらく僕の読み通りだよ……あの梵字を仕掛けた犯人はね」


「なにっ? あの梵字を書いたやつがわかったのか? 誰だそりゃ?」


 その衝撃発言を聞くや、相浄と飯綱は跳ね上がるようにして上体を起こす。


「ま、それは後で全員集まってから話すよ。その前に資料も整理したいしね」


「ちぇっ。お預けかよ」


 勿体付つける清彦に、相浄は口をタコのように尖がらせ、おまえは駄々っ子か? とツッコミたくなるような素振りでふて腐れる。


「お楽しみは最後までとっておいた方がいいってね」


 ちょっと小生意気な笑顔でそう答えた清彦は、それ以上何も語ることなく、エメラルド色のタブレットを取り出して早々に自分の仕事を始めた。


 ガタッ…。


 と、そこへ再び入口のドアが開き、また誰かが入って来る。


「フィ~、疲れたヨ~」


 今度の来訪者はなんだか一仕事終えた後のキャリアウーマンの如く、疲労感と爽快感のない交ぜになった顔をした梅香である。


「イヤ~大変った。大変だった」


 その華奢な肩にはよく設計士の人とかが持ち歩いているような、細長い円筒形の筒が提げられている。


「アレ、梨莉花さん、いないのカ?」


 梅香も部屋の中に梨莉花の姿がないのを確認すると、意外そうに呟いた。


「外に出てくるって言ってたんでな。けっこう遅くなるようだ」


 その疑問には、飯縄が山男らしい野太い声で山小屋のオヤジのように答える。


「ヘエ、梨莉花さんもカ。ぢつはワタシも外行ってたんだヨ」


「なんだ、梅香君もか。外っていうと、どこへ行ってたのだね?」


「昨日、梨莉花さんからアル古い地図のコピー取って来るよう言われてネ、それで学校の図書館見たケドなかったから、わざわざ中央図書館マデ行って、ソレ取ってきたんだヨ」


「なるほどな。それで今までかかったわけだ。で、それはいったいなんの地図なんだね?」


「ヨクワカンナイ。ここら辺の古い地図てコトはわかるケド」


 飯縄のその問いに、梅香は不可解そうに肩を竦めると、カワイらしく小首を傾げる。


「うーむ……すべては部長が帰って来てからってことだな」


 飯綱は考え深げに筋骨逞しい腕を組み、低く唸りながらそう呟いた。


 そして、部室内にはしばしの間、ただ梨莉花を待つだけの退屈な時が訪れた――。




 ――はぁ~…遅いな~……梨莉花さん、いったい何やってんだろ?


 しばらくの後、円卓に肘を突いて座る真奈が物憂げに再び時計へ目をやると、とうに針は6時を回っている。


 こうしてただ何もしないでいるのも時間の無駄だな……そうだ! 絵を描こう!


 真奈はそう思い至るや早々に、鞄の中からノートと鉛筆を取り出す。


 こういう暇な時にこそ、本来部活でやるはずだった絵の練習をすればいいじゃないか!


 筆ならぬ鉛筆を手に執り、キャンバスならぬノートに向った真奈は、この暇な時間を有効利用するため、真剣に何かを描き始める。


 アハっ、これはおもしろいかもしんない!


 白い紙の上に、真奈の手の動きに合わせて長髪の少女の姿が徐々に浮かび上がってゆく……。


 真奈が画題として選んだもの――それは神崎梨莉花だった。


 しかも、ただの梨莉花ではない。最近、真奈が思い描いている魔女の格好をした梨莉花像だ。


 そのため、肖像画というよりは少々デフォルメ化された漫画風の絵になっているが、記憶と想像を頼りに描いたにしてはなかなかに上手だ。そこら辺はさすが、中学で美術部員だっただけのことはある。


 最後に大鍋を掻き回す長い杖を梨莉花に持たせると、真奈はその注目の問題作を満を持して完成させた。


 よし! できた! ……フフ、我ながら上出来だ。


 真奈は完成した〝魔女梨莉花〟像を眺め、独り満足げに顔をニヤけさせる。


 ガタン…!


「遅れてすまん。みんな待たせたな」


 と、その瞬間。突然、入口のドアが開いてまたしても誰かが入って来る。


 その誰かというのは他でもない。今、真奈が勝手なイメージを膨らませておもちゃにしていた、当の梨莉花本人である。


 …ゲッ! やばっ!


 その声を聞くが早いか、完全に油断しきっていた真奈は大慌てで禁断の絵の描かれたノートをドタバタと閉じる。


「ん……?」


 何も知らず、忙しなく部室に足を踏み入れた梨莉花だが、その不自然な行動には当然、目を留める。


「な、何でもないんです。何でも。アハ…アハハハ…」


 じっとりと背中に嫌な汗をかきながらも、真奈はノートの上に覆い被さり、表面上は無理に笑って誤魔化そうとする。


「………………」


 そんな挙動不審な彼女を梨莉花はしばらく疑わしそうな目で見つめていたが、「まあ、いいか」という感じで何も言わずに部屋の奥へと進んで行った……。


 真奈は、からくも人生最大の危機を脱したようである。


 …フーッ……危ない、危ない。危うく無駄に命を散らすところだった……。


 幸運にも命拾いした真奈は肩に込めていた力を抜くと、円卓の上に突っ伏したまま大きく溜息を吐いた。

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