肆 SEVEN WONDERS OF 神奈備高校(七)

「――ついに七不思議の六つ目……誰も知らない七つ目を除けば最後となる、理科室の〝歩く人体模型〟だ!」


 七不思議巡りで三人が最後に訪れたのは、南校舎二階に位置する理科室である。


「ちょいと失礼するよ~」


 先程の音楽室と違い、その時間、中では化学部が部活動をしている真っ最中であったが、梨莉花はそんなことお構いなく、無遠慮に扉を開けて中へとずけずけ入って行く。


「な、なんだおまえ達?」


 当然のことながら、その突然の闖入者に化学部員達は警戒の眼差しを一斉に向けてくる。


「失礼します」


「ど、どうも……」


 そんな熱い視線の注がれる中、梨莉花に続き清彦と真奈も理科室内へと入って行く。


 清彦の挨拶は丁寧であるが、やはり化学部のことはお構いなしといった感じである。


 他方、真奈も仕方なくそれに続いたが、唯一人彼女だけはとても申し訳なさそうな顔をしている。


「な、何しに来た!? 神崎梨莉花っ!」


 白衣を着た化学部員の一人が、不遜な梨莉花に向って大声を張り上げた。


 どうやら彼は梨莉花のことをよく知っているらしい……そのちょっぴり痩せ型のメガネをかけた者以外にも、5名ほどの白衣を着た男子生徒がいる。


 彼らが囲んでいる机の上には何やら液体の入った試験官やらビーカーやらが雑多に並べられ、ちょうど何かの実験を行っているところだったようだ。


「ま、まさか、またうちの部を錬金術部に変えようと…」


 白衣にメガネな、おそらく小さい頃のあだ名は「博士」であったであろうその人物が、血の気の引いた真っ青い顔をして梨莉花に慄いた。と同時に、他の部員達の間にも恐慌とどよめきが巻き起こる。


「安心しろ。今回はその件ではない」


 …っていうか、やっぱり、あの噂も本当だったんだあ……。


 もうだいぶ慣れてはきたが、また一つ明らかとなる呪術部の黒い過去に真奈は苦笑した。


「おまえ達に興味はない。それより人体模型はどこだ?」


 だが、突然の呪術部襲来を受け、額に冷や汗を浮かべてうろたえる化学部員達には目もくれず、梨莉花は理科室内を見渡し、早々、お目当ての物の在処を探し始める。


「おかしいな。ここじゃなかったかな?」


「理科準備室の方じゃないですか?」


 澄ました顔で答える清彦も、化学部のことなどまったく眼中にない。


「ああ、そうか。そっちか」


 二人はずかずかと理科室内を横切ると、となりの理科準備室へと通じるドアへ向った。


「ど、どうも……」


 真奈もやむを得ず、頭を下げながら小走りで二人の後に続く。


「さてと。人体模型はどこだ?」


 理科準備室の中には、所狭しと様々な科学の教材が置かれていた。


 間隔を空けて三つ並んだ木製の棚の中には、ホルマリン浸けにされたカエルやら魚やらの標本がぎっしりと詰まっている。


 また、鍵のかかるようになったガラス戸の中には、取り扱い注意の危険な薬品の入った茶色いビンがいくつも整然と並べられている。


 ちょうど日も沈みかけた夕暮れ刻のことでもあり、薄暗い中で見るその光景は、まさに何か出てきてもおかしくないような不気味な雰囲気を醸し出している。


「おっ、こんなところにあったか」


 そんなある意味絶好のシチュエーションの中、標本棚の間を進んで行った梨莉花が、その不気味な谷底の奥でついに探し物を発見した。


「どうです? どこかに梵字ありました?」


 くだんの〝歩く人体模型〟は、ひっそりと部屋の隅にさり気なく佇んでいた。


 縦にスッパリ半分に仕切られたその身体は横向きに置かれ、〝肌色の皮膚が残る方〟をこちらに覗かせている。もう片方の内臓を露にした姿はすっかり隠れているので、一見、単なる素っ裸のヤンチャな男の子のようにも見える。


「いや、今のところは何も見当たらんな……」


 真奈達がそちらに赴くと、梨莉花は熱心にその人形をあちこち撫で回していた。


 梨莉花の背後に移動したため、清彦と真奈の目にも人体模型の赤い筋肉の筋やカラフルな内臓のパーツが見えるようになる。


 鼻をつく薬品の臭いや薄暗い部屋の明るさとも相まって、やはり、これはかなり恐ろしげな感じである。


「……ゴクン」


 真奈は、この人体模型が夜な夜な学校内を彷徨い歩く姿を思わず妄想した。


 一方、そんなことお構いなく、先程から人体模型を捏ねくり回している梨莉花ではあったが、その努力も虚しく、なかなか梵字を見つけられずにいた。


「身体の外側には見当たらないな……中か?」


 そう独り言を呟くと、梨莉花は人体模型を床に倒し、今度は腹の中にある内臓をおもむろに取り出し始める。


「肺には……ないな。心臓に……もないか。膵臓は…」


 彼女は人体模型から内臓を一つ一つ取り出しては、そこに梵字が書かれていないかどうかを丹念に調べてゆく……。


 そして、調べ終わった内臓はもとに戻されることなく、そのまま冷たい床の上へと無神経に転がされる……。


「胃も……違うな。では、肝臓なら……これも違うか。えーと次は…」


 梨莉花の手によって、次から次へと人体模型の内臓が辺り一面に散らかされてゆく……その動きは、墓から掘り出した遺体を貪るヴァンパイアか何かのように見えなくもない。


「梨莉花さん、な、なんかサイコですよ……」


 いつになくちょっと怯えながら、清彦がそうツッコミを入れた。


 制服を着た美少女高校生が一心不乱に内臓を?ぎ取っている……もしこれが人形でなく本物の人間だったならば、確実にR18指定の付く、かなり凄惨な映像である。


「ひ、ひえぇぇぇ~…」


 そんな梨莉花主演のB級ホラー映画を脳内妄想劇場で上映しつつ、真奈もガクガクブルブルと震え上がる。


「………………」


 二人が固唾を飲んで見守る猟奇事件の中心で、無言のまま、サイコ少女に思うようにされる人体模型の顔が、どこかちょっぴり悲しそうに見えた。


「おまえ達、いったい何を…ああっ! うちの人体模型になんてことすんだ?」


 と、ちょうどそこへ、梨莉花達の後を追っておそるおそる様子を見に来た先程の白衣にメガネの化学部員が、人体模型の悲惨な有様を目にして大声を上げる。


「うーむ…どこにもないな……」


 だが、梨莉花はその声に見向きもしようとしない。それどころか、内蔵をすべて取り終わると人体模型を頭上に掲げ、空になった腹の中を下から覗いてみたりなんかする。


「だから梨莉花さん、とってもサイコですって……」


「おかしいな。やはりどこにも梵字はない……この人体模型じゃないのか?」


「おい! おまえら、ほんと何しに来たんだ!?」


 白衣にメガネの化学部員が声を荒げ、もう一度、三人の顔を見回しながら尋ねる。


「北里、ここにある人体模型はこれだけか?」


 それでも梨莉花は彼の話を聞いちゃあいない。逆に彼女はその北里と呼んだ化学部員にまったく違うことを訊き返す。


「んあ? 人体模型? いや、人体模型はそれ一体だが……って、そんなことよりなあ…」


「そうか……では、梵字があるのはどこか他のところか」


「ああ、もしかして人体模型じゃなくて、人体骨格の方なんじゃないですか?」


 話が梵字のことに及ぶと、ようやく清彦も気を取り直し、辺りをきょろきょろと見回しながらそんな意見を述べる。


「その可能性もあるか……よし。清彦、おまえは人体骨格を調べてくれ。真奈、我々は理科準備室のどこかに梵字が隠されてないか探すぞ」


「あ、あ、はい!」


 そして、同じくホラーな妄想から帰って来た真奈も加え、三人はそれぞれに分かれて、理科準備室の中をがさごぞと物色し始めた。


「あ、こら! 今度は何を始める気だ?」


 当然、北里が見咎めるが、今さらそんなものを彼女達が聞くはずもない。


 三人は北里を完璧に無視して、勝手気侭に理科準備室内を荒らしに荒らし続けた。


「うーん……ぼんじ、ぼんじ……」


 初めは遠慮がちだった唯一常識人の真奈も、いつの間にやら梨莉花達のペースに飲み込まれてしまっている。


「おーい、そっちにあったか?」


「いや、ないですね。まーなさんは?」


「いえ、ないですう!」


 だが、室内を隅から隅まで探してはみたものの、やはり梵字が書かれていたり、または書いた紙が貼られていたと思われるような跡はどこにも見当たらない。

「うーむ……変だな。おい、北里。おまえこんな字の書かれた物をこの部屋の中で見たことはないか? 清彦、あの紙を出してくれ」


 梨莉花は体育倉庫で発見した紙を清彦に取り出させると、それを北里に見せる。


「なんだ? アラブかどっかの文字か? こんなもん見たことないが……これがどうかしたか?」


 北里は神経質そうにメガネのフレームを片手で摘んで直しながら、その紙をまじまじと見つめた。


 しかし、その態度からして、どうやらまったく知らない様子だ。


「本当だろうな? 隠すとためにならんぞ?」


「誰が隠すかっ! …ってか、だからなんなんだ? この字は? …いや、それ以前に、本当におまえら何しに来たんだよ?」


「これはアラビア文字ではない。梵字、あるいはサンスクリットという古いインドの文字だ。なぜかこの文字が七不思議が起きるとされている場所には必ずある」


 北里がしつこく訊くので、梨莉花は仕方なく、ひどく面倒臭そうにそう答えた。


「七不思議? ……ああ、そういうことか。おまえ達、あの三人の噂について調べてるんだな? 七不思議の七つ目を解明するとかなんとか言って入院したっていう……そうか。それで七不思議に数えられている人体模型を見に……」


「そういうことだ。だから協力しろ」


「フン。くだらん。あんな噂を信じているのか? どうせただの体調不良かなんかだろう」


「所詮、おまえのその無知蒙昧なオツムでは我らの崇高な思考を理解することはできん。それより、本当に見なかったんだろうな?」


「なっ! ……ま、まあいいだろう。せっかくの機会だ。非科学的な君達が科学的に物事を考えられるよう、この化学部部長である北里富三郎きたざととみさぶろうが懇切丁寧に教えてやろう」


 小バカにされた怒りをなんとか堪え、またも神経質にメガネのフレームを弄くりながら北里は語る。


「いいか? 俺は三年間、ここに毎日というほど出入りしているがな、人体模型が独りでに動いたなんてことは一度としてない。それにこの科学の殿堂たる理科準備室において、なんだか知らんがそんな怪しげな紙切を見るわけがない。つまり、七不思議など、ただの作り話。おまえらがやっていることはまったくの無駄なのだ! ハーハハハハハっ!」


 演説を終え、北里は自信ありげに胸を張ると、高らかにバカ笑って梨莉花を見下した。


「何か紙を貼ってあったような形跡もか? 理科室の方という可能性もある」


「紙を貼った跡? ……ああ、その紙をってことか。フン、そんな跡があればなんだというのか理解に苦しむが、ここは理科準備室――いわば科学教材の倉庫のようなもんだ。そんな科学と無縁なものはおろか掲示物自体まったくない。前にこの部屋を大々的に掃除したことがあったが、壁も棚も綺麗なもんさ。理科室の方も同じだ。ここに最も馴染みある化学部部長のこの俺が言うんだから間違いない! どうだ? これで己の愚かしさが…」


「そうか……妙だな」


 しかし、そんな北里の態度に梨莉花はまるで動じていない。というか、北里の方を見てすらもいない。彼女は黙って腕を組むと、考えることに没頭している。


「うっ…」


 梨莉花に精神的ダメージを与えようとした北里であるが、逆に自分の方がその何倍ものダメージを食らってしまった。


 しかも、相手は見下すどころか自分を眼中にも入れていないのだ。無視される方が遥かにその心理的損傷は大きい。


「ここで考えていても仕方ないか……よし、用は済んだ。清彦、まーな、帰るぞ!」


 しばらくすると、梨莉花は組んでいた腕を解き、あっさりと、もと来たドアの方へ二人を促して向う。


「……ん? あ、こら! おまえ達、人体模型をちゃんと片付けていけっ!」


 大質量の精神破壊爆弾を食らったショックからようやく立ち直り、顔を真っ赤にした北里が背後で何かを叫んでいる……。


 床を見れば、そっくり内蔵を抉り抜かれた人体模型とその内臓物が、見るも無惨に転がっている……やっぱり、横たわる人体模型の左右半々に彩られた横顔は、無表情に前を見つめながらもちょっぴり悲しそうだ。


「ひぃっ…!」


 そんな人間一人と人形一体を置き去りにして、先程、理科準備室に入ったドアから再び理科室の側へ戻ると、待機して様子を窺っていた化学部員達が、梨莉花の姿を見て短い悲鳴を上げる。


 この人達、よっぽどひどい目に遭わされてるんだなぁ……。


 その戦々恐々する化学部員達の震える瞳が見守る中、悠然と廊下の方へ向かう梨莉花、そして清彦の後に続く真奈は、決まり悪そうな苦笑いをその顔に浮かべつつ、彼らへの同情の念に堪えなかった。


「あ、そうだ」


 ところが、そのまま立ち去るかに思われた梨莉花であるが、ふと何かを思い出したらしく、不意にドアの前でぴたりとその足を止める。


 ビクっ…!


 それを見て、またも化学部員達は恐れ慄く。


「北里……」


 梨莉花は顔だけを後ろに向けると、追って理科室に戻って来た彼の名を呼んだ。


「……ゴクン。な、なんだ?」


 急に自分の名を呼ばれ、北里の青白い顔にも緊張が走る。


「また、改めて化学部を錬金術部にする話はしに来るからよろしく頼む」


 それだけ言い残すと、梨莉花は何事もなかったかのように入口の引き戸を開け、すたすたと理科室から廊下へ歩み出て行く。


「それじゃ、失礼します」


「お、お邪魔しましたぁ……」


 清彦と真奈も一応、礼儀正しく挨拶をしてから理科室を退き、後には怯える化学部員と、呆然と立ち尽くす部長の北里だけが残された。


「……や、やっぱりまだ狙ってるんじゃねえかっ! ――」

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