肆 SEVEN WONDERS OF 神奈備高校(六)

「――五つ目は、この〝不開あかずの体育倉庫〟だ」


 五つ目の場所は、体育館の裏手にある体育倉庫だった。


 体育館は校舎の北側、グランドと校舎の中間にあり、その「不開の体育倉庫」というのは体育館の西側外に設けられている倉庫のことである。


 遥か遠くで威勢のいい運動部連中のかけ声が響いているが、ここは南のグランドからは見えない西側の裏手に位置しているためか、辺りを見渡しても人の姿は視界の中に映らない。


 となりのプールもまだこの時期は使っていないし、生徒達もあまり近寄らない場所のようである。


 ここって、あんまし人来なさそうだから、告白するのによく使われてたりして……。


 オレンジ色の夕日に染められた体育館裏という絶好のロケーションに、真奈はそんな七不思議とは似つかないロマンチックなイメージを密かに思い浮かべた。


 七不思議の場所をいくつも廻ってる内に、いつの間にやら太陽もすっかり傾いている。


「古来、夕暮れ時は逢魔ヶ刻おうまがどきと云って、この世ならざる者に出会う時刻だとさている。フフフ…ようやく七不思議巡りには似つかわしい、よい雰囲気になってきたな」


 同じ夕暮れ時というシチュエーションながら、真奈とはまた別の、ある意味ではロマンチックな感想を抱く梨莉花も楽しそうに目を輝かせている。


「で、なんで不開の体育倉庫なんですか?」


 そんな気分も乗ってきて、むしろ怖しさを感じるほどご機嫌な梨莉花に、真奈が怪訝な表情を浮かべながら素朴な疑問を尋ねた。


「うむ。私も以前、気になって先生達に訊いてみたことがあるのだがな。かなり以前に作られたものなので建てつけも悪く、その上、鍵までなくしまったために誰もここを開けなくなったとのことだ」


 この野外に面した体育倉庫の扉は、左右にスライドするタイプの木製の引戸である。


 見れば扉に塗られた薄緑色の塗装はほとんどが剥げ落ち、言われるまでもなく年代物のように感じられる。


「えっ、じゃあ、ここが不開の体育倉庫なのは幽霊とか、呪いとか、そういうのが原因じゃなくって、ただ単に戸が開かないって、それだけなんですか?」


「残念ながらな。まあ、一応、噂ではここで首吊り自殺した生徒の霊の仕業だとかなんだとか、至極もっともらしい理由をつけてはいるがな。もちろんそんな事件は過去にないし、ぶっちゃけ、本当のところはそういうことだ」


 夢もロマンも何もない真相ではあるが、まあ、現実ってそんなもんなんだろう。


 別に梨莉花や清彦のように興味があるわけでも、何かを期待していたわけでもなかったが、真奈はちょっと肩透かしを食らったような気分になった。


「でも、妙ですね……それなら改修するなり、新しい鍵に変えるなりして使えばいいと思うのですが……こんないいスペース、使わないのはもったいないでしょうに」


 一方、今の話を聞いて、そんなそこはかとない疑問に捉われた清彦が梨莉花にそのことを尋ねてみる。


「ああ、それならなんてことはない。何十年か前にな、古くなった机やら椅子やら、そういった要らなくなって置き場に困った物の類をここに放り込んだらしいのだ。だから、もともとここは滅多に開けることもなかったらしく、今さら開かなくなったとて、これといって困るようなこともなし。そのまま放置されて現在に至る…といった具合だ」


「なんだ、そういうことですか……なんか、それ聞いちゃうとますます味気ないですね」


 一瞬、興味を惹かれた清彦も、梨莉花がさらっとしてくれたその説明にテンションを急降下させる。


「まあな。だが、これまで同様、きっとここにも梵字の書かれた物があるはずだ。さ、はりきって探すぞ」


 梨莉花はそれでも清彦を促すと、自身も気を取り直すようにそう言って、その〝物理的〟に〝不開の扉〟の方へと近付いて行った。


「でも、鍵がなくて開かないのに、どうやって中を探すんですか?」


 そんな二人の背後から、またも水を差すようにして真奈がそのことを冷静に尋ねる。


「いや。その心配は無用だ。予想はしていたが、やはり鍵は壊されている」


 だが、そのもっともな疑問に対し、左右の引戸の合わさる真ん中、南京錠をかけるための金具のある場所を見つめていた梨莉花はそう答える。


「えっ?」


 それを聞き、清彦と真奈も急いで梨莉花の視線の先へと自らの目を向ける。


 すると、確かにそこにあるはずの金具も南京錠も見当たらず、ただ薄緑色の塗料の上に残る日焼け具合の差と釘の穴から、そこに金具が付いていたであろうことが窺い知れるだけである。


 周りに残る真新しい傷からして、おそらくはバールか何かで力任せに引き剥したのであろう。


「……これも、やったのはやっぱり例の三人組ですか?」


「たぶんな。それ以外はまず考えられまい」


「でも、鍵がかかってなくても、建てつけが悪くて開かないんじゃ……」


「どうやら彼らは、その建てつけの悪さに業を煮やしたみたいですよ?」


 清彦の声に振り返ると、彼はしゃがみ込んで左側の戸の底部を見つめている。


 梨莉花と真奈もそこを覗き込むと、引戸を滑らすための金属製レールと木製の戸の底部が噛み合う場所には、これまた最近できたと思われる新しい傷が付けられている。


「強引に戸を取り外す時にできた傷でしょうね」


「まったく。南京錠といい、力技しかできんのか? 忍び込むにももっとスマートにしてもらいたいものだ……よし、我らも戸を外して中を調べるぞ」


 美学を重んじる怪盗の如く、彼らの乱暴な手口に文句をつける梨莉花ではあるが、彼女も彼らの後に倣い、その引き戸の縁に両手でしっかりとしがみ付いた。


 いや、忍び込むこと自体いけないと思いますが……そして、結局は同じ方法で開けようとしているし……。


 それを見て、同じ穴のムジナである清彦と、いつものように心の中でツッコミを入れる真奈もその後に続く。


「上げるぞ。せーのっ!」


 ガタン…。


 以前に一度、取り外された後だったためか、案外簡単に戸は外れた。


「暗いな。どこかに明かりのスイッチがあるはずだ。長年使われてなかったとはいえ、まだ電気は通っていると思うんだが……」


 すでに日暮れの時刻でもあり、中はかなり暗かった。暗闇の中、最初に入った梨莉花は扉付近の壁を手探りで調べ、電灯のスイッチを見つけるとカチッっと押す。


「こりゃまたスゴイな……」


 古ぼけた白熱球の黄色い光に照らし出された倉庫の中には、所狭しと古い木製の机だの椅子だのといった物が山済みになって積まれていた。


 それは戦前の学校の様子を撮った、歴史の教科書の写真なんかで見たことのあるような代物で、何十年も前に古くなったものを押し込んだ云々という話はどうやら本当のことであるらしい。


「ゴホ、ゴホ……ずいぶん埃っぽいですね」


 梨莉花に続いて入って来た清彦は、倉庫の中に舞い散る埃にむせる。


「心なしか目もシバシバします……」


 続く真奈も目をパチクリしながら空気の悪さを訴えている。


「そりゃあ、何十年も前から放ったらかしだからな。埃っぽさのレベルが違う」


 梨莉花がなぜか自慢げに語るように、倉庫内は床といい積まれた机や椅子の上といい、いたる所に分厚く埃が溜まっていた。


「やはり、何者かが……おそらくは例の三人組が中に入ったのは確かなようだ」


 刺激的な空気に目が慣れてくると、その溜まった埃で真っ白になった床の上には、あちこちに最近付けられたと思しき靴の跡が残っている。


 梨莉花はその上を慎重に進み、山積みにされた収納物の周りを調べ始める。


「おかしいな。ここに積まれている物には動かしたような形跡がない」


 その言葉に清彦と真奈も周囲の机や椅子を見回してみるが、確かに足跡の残る床の埃に対して、机や椅子に積もった埃はまったくと言っていいほど乱れてはいない。


「ということは、彼ら三人はこの机や椅子には触れていない……つまり、それ以外のところに梵字の書かれた物を見つけたってことですよね?」


 清彦の言う通り、机や椅子に動かされた形跡がないということは、三人は梵字の書かれた物を取り去る際に、それらには見向きもしなかったということであろう。


「そういうことになるな。ではどこだ? やはり何か壁に掛かっているような物か?」


 梨莉花達はこれまで見てきた絵や鏡のように、裏に梵字の紙を貼っておけるような物がないかと周囲の壁をぐるっと見渡してみた。


「…………ないな」


 しかし、倉庫内の壁には何一つとしてそのような物はない。


「壁に何か貼られていたような形跡もありませんね……」


 清彦は壁の表面も調べてみたが、壁自体にもそのような痕跡は見付けられなかった。


「だが、必ずやどこかに梵字があるはずだ。うーむ……これまでは銅像が手に持った本の上や廊下の大鏡の裏、壁に掛かる絵の裏など、そこにあっても普段は誰も見ないような場所を好んで仕掛けられていた。おそらくはここの場合も、そういうパターンできていると思うのだが……」


「そこにあっても誰も見ない場所……ですか」


「そこにあっても誰も見ない場所……ですよね」


「そう。そこにあっても誰も見ない場所……だ」


 三人はその場に突っ立ったまま同様に腕を組み、しばしの間、やはり同じ方向へ首を傾げて考え込んだ。


「……そこにあっても誰も見ない場所……ハッ! そうか!」


 どれくらい時間が経った後だろう……突然、梨莉花があることに思い至り、入口の方へ向って歩き出す。


 そして、何を思ったか倉庫の外にまで出ると、取り外して壁に立てかけてあった戸をおもむろにひっくり返した。


「……やっぱりそうか」


 飛び出していった梨莉花を追いかけ、清彦と真奈も急いで外へと出る。


「どうしたんですか? いきなり……」


「もしかして、梵字見付かったりとか?」


 戸の真ん中辺りを見つめる梨莉花に、追いついた清彦と真奈が尋ねる。


「ここを見てみろ。紙が貼ってあった跡だ」


 そこには、何か貼ってあったものを剥がしたと思しき跡が残っていた。


 色褪せた薄緑色の戸のその部分だけが、四角く鮮やかな本来の色を残している。


 一辺が15センチくらいの正方形で、その四角の四隅には古めかしい紙の切れ端がほんのわずかばかり剥がしきれずに残存している。


「たぶんこれでしょうね。でも、これだとさすがに何の字が書いてあったのかまではわかりませんね」


 これまでも剥がされてはいたものの、多くの部分が剥がしきれずに残っていたため、かろうじて書かれていた文字がなんなのかを判読できそうな状態にはあった。


 しかし、今回はほぼ全てが綺麗に剥がされてしまっているため、どこをどうしようと書かれていた文字を読むことは不可能なのだ。


「困ったな。見つけたはいいが、その文字がわからんのではな……」


 虚しく残る紙の痕跡だけを見つめ、梨莉花と清彦はそこで再び黙り込んでしまった。


 一方、悩む二人の傍らで、真奈は何気なく、体育館の周囲に設けられた水捌けのための側溝の中へ視線を落とす……。


 それは本当に何気ない無意識の行動だったのであるが、そのコンクリートで作られた側溝の底に、丸められた紙切れのようなものがあるのを彼女の目が偶然に捉えた。


「……ん?」


 なんとなくそれが気になった真奈は、目を細めてそちらの方へと近付いて行く……。


 そして、その丸められた紙を手に取ると、まさかとは思いつつも念のため開いてみた。


 大きさはちょうど戸に残っていた跡と同じ、一辺15センチぐらいの正方形である。


「あああーっ!」


「ど、どうした!?」


「どうかしたんですか!?」


 突然の頓狂な叫び声に、梨莉花と清彦は慌てて真奈の方を振り返る。


「ありましたぁぁーっ! こんなとこに落ちてたんですよ! 例のぼんじの紙!」


「何っ!?」


「本当ですか?」


 その重大ニュースを耳にするや、梨莉花と清彦は急いで真奈のもとへと駆け寄る。


「……本当だ」


 真奈の手に握られた、くしゃくしゃに皺の寄ったその紙には、確かに梵字らしき文字が記されていた。


 それは「●(※画像参照)」という文字である。


「これは『カーン』ですね」


 その文字を見た瞬間、清彦がすぐさまそう口にする。


「カーン?」


 当然、なんの知識もない真奈としては、その文字の発音を鸚鵡返しに聞き返す。


「カーンというのは不動明王を表す梵字です。これはよく御札とかにも使われてるんで、不勉強な僕でもわかりました」


「不動明王ときたか……不動といえば憤怒の形相で火焔の光背を背負い、その怒りの炎によって一切の魔障や悪心を焼き尽くすとされる尊格だ。なんのために七不思議の場所にこんなもんがあるのかは知らんが、これはますますもっておもしろいことになってきたな」


 梨莉花はその不動明王を表す呪術的な文字をしげしげと見つめ、再びその美しい口元を不敵な笑みに歪めた。


「しかし、金次郎の本といい、この紙といい、よくまあ見つけたな、まーな。なかなかによい感をしているぞ。それでこそ呪クラの新メンバーだ!」


「は、はあ……」


 別にこの部の一員として評価されても困るんだけど……なんか、あのいつもは厳しい梨莉花さんに思わず誉められてしまった……よろこんでいいのやら、悲しんでいいのやら……。


 予想外な梨莉花の賛辞に困惑しつつ、真奈は引きつった薄笑いのような、なんとも複雑な表情をその顔に浮かべた。


「この紙は貴重な資料ですから大切にしまっておきませんとね」


 そう言いながら清彦は、肩に下げたバックの中から透明なクリアファイルを取り出し、きれいに皺を伸ばして「カーン」という文字が記された紙を挟む。


「さてと。ここの梵字も見つけたことだし、いよいよ七不思議最後の現場へ参るとしよう。ああ、その前に戸は一応、直しておかんとな」


 そして、三人は無用ないざこざの起きぬよう倉庫の扉を元に戻すと、本日、最後の目的地となる場所を目指し、三つの長く伸びた影法師とともに歩き出した――。

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