肆 SEVEN WONDERS OF 神奈備高校(四)

「――七不思議の三つ目〝鬼の映る鏡〟だ」


 三番目に向ったのは、音楽室から南校舎を西に行った所の、一階廊下の突き当りである。


 そこには、人の全身像を写せるくらいに背が高く大きな鏡が一枚、その大きさの割にはあまり存在感を主張せずにひっそりと壁に掛かっていた。


 鏡の縁を覆う木製の厚い枠には、嫌味にならぬ程よさで瀟洒な飾り彫りが施されており、その上に残る傷や色褪せ具合からして、ずいぶんと古くからある代物のようだ。


「なんでも午前0時にこの鏡の前に立つと、鏡には自分の姿が映らず、鬼のように恐ろしい形相をした魔物が写るとのことだ」


「なんか、骨董屋さんに置いてあるような鏡ですね」


「ええ。いつからあるのか知りませんが、よく今まで誰も壊さなかったものです」


 そんなことを言いながら、梨莉花、真奈、清彦の三人は鏡の前に並んで立ち、その中に写る世界をまじまじと覗いてみる……しかし、どう目を凝らしてみても、そこに見えるのは見慣れた男女三人の姿だけである。


「……よそう。これ以上、自分達のアホ面を眺めていても仕方がない」


 代わり映えのしない景色に堪りかねて梨莉花が呟く。


「そうですね……特に何の変哲もない鏡みたいですから……」


 古めかしい鏡ではあるが、これといって変わった所はどこにも見当たらない。古くて大きいこと以外は、銀かアルミニウムをガラス板に蒸着させた、ごくごく普通の鏡である。


 それでも夜、暗い中でこの鏡の前に立ったりなんかしたら、ちょっとは恐いと感じるかも知れないが、生憎、今はまだ明るい時間帯である。


 おまけにここはけっこう日当たりもよかったりするので、不気味な雰囲気など何一つとして感じられないのだ。


「でも、ここも七不思議の一つではある以上、きっと前の二つ同様、梵字がどこかにあるはずです。今までのパターンからすると…」


「鏡の裏か!」


 清彦が言い終わるよりも早く、梨莉花はその考えに思い至ると、壁に鏡を固定している金具の部分を調べ始めた。


 鏡の四隅にはL字型をした金具があり、それをネジで壁に固定している。


「やっぱりだ。最近外した形跡がある」


「どうです? 外せそうですか?」


 しゃがんで左下隅の金具を調べている梨莉花に、インテリジェンスなメガネをかけ直しながら清彦が尋ねる。


「ああ、任せておけ」


 シャキン!


 梨莉花は自信満々な顔でそう答えると、懐からドライバーやら小型スパナやらの一式揃った工具セットを平然と取り出す。


「え? ……なんでそんなもの持ってるんですか?」


 さも当り前のように工具なんか携帯してる珍しい女子高生に、真奈は唖然とした顔で問い質す。


「なーに、こんなこともあろうかと思ってな。常日頃からちゃんと用意しているのだ。ま、乙女の嗜みだな」


 いや、こんなことそうそうないと思うんだけど……そして、絶対、乙女の嗜みじゃないし……。


「よし、外してみるぞ。二人ともちょっと鏡を支えていてくれ」


 密かにツッコむ真奈の視線もまるで気にかけることなく、梨々花は床に広げた工具セットの中から大サイズのマイナスドライバーをすぐさま選び出し、早々、金具を壁に固定しているネジを端から順に回し始めた。


 真奈と清彦は慌ててその左右に立ち、鏡が落ちないよう添えた手に力を込めて押さえる。


 1つの金具に付き2つ×四隅の、計8つもネジはあったが、やけに慣れた手つきの梨莉花によって、3分と経たずにそのすべてが床の上に転がされる。


「じゃあ、まーなさん、床に降ろしましょう。ゆっくりですよ」


 金具が外れると、清彦は真奈に合図をして、鏡を押さえる腕を徐々に下方へと下ろしてゆく……と同時に、真奈のか細い腕にもずっしりと厚いガラス板の重みがのしかかる。


「フーっ……」


 無事、重たい鏡がリノリウムを張った床の上へ着地すると、真奈と清彦は大きな溜息とともに額の汗を拭った。さすがにこれだけ大きい鏡となると、思った以上にけっこうな重労働である。


「さてと、読みが当たっていればいいんだが……」


 さっそく、梨莉花が床に降ろされた鏡の裏側を覗き込む……。 


「ビンゴだ。苦労して鏡を外した甲斐があったな」


 そこには、先程のベートーベンの肖像画の時と同じように、頑丈に貼られた紙を何者かが剥がした痕跡が残っていた。


「これも梵字が書いてあったとみて間違いないようですね」


 やはりこちらもギザギザに破れて剥げ残った紙片がまだ張り付いており、そこに残る墨跡からは、何か解読不能な梵字が一字書かれていたであろうことがかろうじて読み取れる。


「これも相浄君行きですね。部長、写真お願いします」


「うむ……だが、これではっきりしたな。七不思議が起こるとされている場所には、どういうわけか、必ずなんらかの梵字の記された物が存在する。そして、これまでの状況から鑑みるに、入院した例の三人組はどうやらその梵字の書かれた物を取り去って廻っていたらしい……あるいは、それが七つ目の不思議を解き明かすことに関係しているのかもしれんな……これは、予想以上におもしろい成果が得られそうだ」


 そう言って不敵な笑みをその美しい顔に浮かべながら、梨莉花は清彦の支える鏡の裏側をスマホのカメラに収めた。


「それじゃ、これも誰か来ない内にもとに戻しますかね」


「ああ。さっきの絵と違って面倒だが、戻さんわけにはいかんしな」


 そうだ! こんなとこを先生にでも見られたりしたら、それこそ悪いイタズラをしている生徒か何かに誤解されてしまうだろう。早くもとに戻しておかなくては!


 真奈は急いで鏡に取り付き、清彦と一緒にえいやっと持ち上げた。


 金具がもとの場所にピタリと合わさるよう、二人の手によって鏡が壁に押し当てられると、梨莉花が再び、先程とは逆回しにネジを回し始める。


 急いではいるが非常に落ち着き払った様子で、彼女は着々と作業を進めてゆく。


 この馴れた手付きと妙に堂々とした態度……この人達、絶対、今までにも何かよからぬことをいろいろとやらかしてきたに違いない。


 いったい、どんなことをしでかしてきたんだろうか? ……いや、恐いので、これ以上考えるのはよそう。


 恐ろしい想像をしてしまいそうなので、しかも、真実はその想像をもはるかに凌駕していそうなので、真奈はあれこれ推察するのを途中でやめた。


「よし。あと一つだ」


 その間にも鏡の金具は次々と壁に固定されてゆき、ふと気づけば、梨莉花の手馴れたドライバー捌きのおかげで残すネジも最後の一つとなった。


 と、その時である!


「君たち、そこで何をやっているのかね?」


「…?」


 突然の声に振り返った三人の大きく見開かれた目に映ったものは、こちらへ向かって歩いて来る、ツイードのジャケットを着た中年男性の姿だった。


 その印象深い男の風体は真奈も入学式の折に見て知っている。


 白髪交じりの髪を横に撫でつけ、太い黒縁のメガネをかけたやつれ気味の顔……神奈備高校教頭・折口信雄おりくちのぶおである。


 ヤ…ヤバイ……!


 三人の脳裏に、そんな言葉が同時に浮ぶ。


 が、その悪い予感を現実のものとするかのように、風紀に厳しいことで評判の教頭はつかつかと鏡の前まで歩み寄り、順々に3人の顔を舐め回すかのように見定めてゆく。


「古くから本校に伝わる、この由緒正しい鏡に何をするつもりかね?」


 そして、疑わしげな深い皺をその眉間に寄せて、さらに三人の目と鼻の先へぬっと詰め寄る。


 あと少しというところで、よりにもよって悪名高きあの教頭に見付かってしまうとは……このままでは入学4日目にしてもう前科一犯だ! 嗚呼、あたしの夢にまで見た理想の高校生活があぁぁぁ~!


「誤解ですよ、教頭先生。この鏡がぐらついていたので、今、金具を直していたところなんです」


「そうなんです! この神奈備高校を愛してやまない僕達は、どこか校舎が痛んでるところはないかと、常に見回っているんですよ」


 自らの不運を真奈が嘆いている傍らで、梨莉花と清彦は苦し紛れにありえない言い訳を口にし始めた。


 ダメ押しとばかりに梨莉花はそう嘘を吐いてから、最後のネジを回してアピールをしてみせたりなんかもする。


「本当かぁ~?」


 だが、教頭はまだ疑念の目を向けたままである。というより、こんな絶対ありえない言い訳、騙される方がどうかしている。


 …ガタガタ……ギシギシ……。


 教頭は鏡の枠に手をかけると、左右に揺すったり、手前に引っ張ってみたりもして、完全に信用のない様子で丹念に調べ始めた。


「う~ん……どうやら鏡に異常はないようだな」


「でしょう? ほら、以前よりも頑丈になりましたよ?」


 負けじと梨莉花も鏡の縁をわざとらしくバシバシと叩いて見せる。


「……まあ、どこにも異常はないようだし、非常に疑わしいところではあるが……とりあえず今回だけは信じておくことにしよう」


「もう、いやですねえ、教頭先生。少しは我々のことを信用してくださいよ」


 まだまだ納得したという様子ではなかったが、確たる悪事の証拠を得ることのできなかった教頭は、横目で三人を見つめながら不服そうにその場を立ち去って行った。


「ふ~…なんとか切り抜けられたな」


「さすがに七不思議調べてるなんて説明できないですからね」


 冷静を装って芝居を打っていた梨莉花と清彦が、ホッと表情を緩める。


「ハァ……」


 よかったぁ~前科一犯にならなくて……人間、諦めずに足掻いてみるもんだな……。


 同じく真奈も安堵の溜息を吐き、また一つ人生の勉強をする。


「さっ、教頭の気が変わって戻って来ぬ内に、とっとと次へ進もう」


 からくも危機を脱することのできた三人は、次の七不思議の舞台へと歩を進めた――。

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