肆 SEVEN WONDERS OF 神奈備高校(二)

「――ここが神奈備高校七不思議の一つ目、〝踊る二宮金次郎像〟だ」


 最初に梨莉花、清彦、真奈の三人が訪れたのは、校門を入ったすぐ横、北側に建てられた二宮金次郎の銅像だった。


 薪を担いで歩きながら、本を読んで勉強する二宮金次郎像――江戸時代の農政家・二宮尊徳の少年時代の姿を象ったものであり、昨今はほとんど見かけられなくなったものの、貧しくとも勉学に励んで立派な大人になった彼に見習えと、昔はどこの学校でもよく見かけられたポピュラーな像である。


「夜な夜なこの金次郎像が踊るという話だが……今は別段変わった様子はないようだな」


 梨莉花は腰に手を当てて、そんながんばり屋さんな子供の像を真正面から見据える。


 古典的な学校の七不思議において、動く二宮金次郎の像といえば定番中の定番である。


 ただ、歩くとかではなく〝踊る〟というのは、あまり聞かないパターンではないだろうか?

 

 いや、それ以前に小学校とかならともかく、高校に二宮金次郎像があるというのからして珍しい。

 

 とはいえ、金次郎像自体は背中に薪を背負い、手に持った本に視線を落としているという、どこにでもある典型的なありふれたデザインのものだ。


 大きさは1メートルくらいで、同じく1メートル程のコンクリートでできた台の上に載っている。本体は銅でできているため、その身体の表面は長い間の雨風で緑青色に変化していた。


「でも、なんかこの像、違和感があるんですよねぇ……」


 腕を組み、金次郎を見上げる清彦が、どこか腑に落ちない様子で呟いた。


「そういえば、あたしもさっきからそんな気が……」


「私もだ」


 それには、真奈と梨莉花も同意見である。


「う~ん…………」×3


 三人は並んで小首を傾げ、しばらく金次郎像を眺めた。


 その脇を、時折、ランニング中の運動部連中が何か珍妙な生き物でも見るかのような視線を彼女らに向けて通り過ぎて行く。


「……ああっ!?」


 沈黙を破り、突然、大声を上げたのは真奈であった。


「どうした? 何かわかったのか?」


「本ですよ、本! この金次郎さん、本を持ってないんですよ!」


「本? ……ああっ!」


「……ほんとだ。どうして気付かなかったんだろ?」


 なんと、三人が見上げるこの二宮金次郎像は、その手に持っているはずの本をなぜだか持っていなかったのである。


 両手は胸の前で本を開いているような格好をしているのに、その手の中にあるはずの本がどういうわけか見当たらないのだ。


 三人がこの二宮金次郎像に感じた違和感――それは、この本の喪失だったのである。


「人間、思い込みというのは恐ろしいものだな。本を持っているのは当たり前だと思っていたので、これだけ眺めていてもぜんぜん気付かなかった」


「いまだに騒ぎにならないのも、おそらくは僕らと同じように、みんな気付いていないんでしょうね」


 梨莉花と清彦は本のない金次郎像を眺めながら、納得したように頷き合う。


 確かに、日頃から見慣れている金次郎像の本がなくなっていれば、もっと大騒ぎになっていてもおかしくはない。それなのになんの騒ぎにもなっていないということは、まだ彼女達3人以外には誰も気が付いていないということなのだろう。


「……なるほど。この像は全部一鋳で造られてるんじゃなく、胴体と本の部分は別パーツだったようだな」


 梨莉花はコンクリートの台の上に〝絶対領域〟も眩しく長い美脚をかけ、丈の短いスカートながらも中が見えそで見えないよう器用に乗り上がると、本来ならば本を持っているはずの像の手の部分を丹念に調べ始めた。


「じゃあ、やろうと思えば人の力でも本を取ることは可能ですね?」


 台の上で金次郎像にしがみ付く梨莉花に、下から見上げる清彦が尋ねる。


「本を強引に抜き取ったらしき形跡があるが、まだ新しいな……本がなくなったことに誰も気付いていないことからしても、どうやら最近取られたもののようだ」


「いったい誰がこんなことしたんでしょうか?」


 銅像の表面すれすれまで顔を近付けて調る梨莉花に、今度は真奈が思ったことを素直に尋ねる。


「取られたのが最近だということから考えると、おそらくは例の入院している三人組の仕業だろう。やつらが七つ目の不思議を突き止めると言って、その翌日、原因不明の高熱を出して入院したのが一週間前だからな。三人がやったと考えるのが妥当な線だ。それに……これはまだ推測の域を出ないが、ひょっとすると、このことが七つ目の不思議を知る方法と何か関係あるのやもしれん」


 確かに、ここ最近でそんなことをわざわざしそうな人物となると、現時点ではその3人の男子生徒以外には考えられないだろう。


「もしかしたら、まだその辺に本が転がってる可能性もある。みんなで手分けして探そう」


 そう言って梨莉花は台の上から飛び降りると、まるでジャパニーズ・ニンジャか何かのように音もなく優雅に着地し、ちょっとカッコイイなとか思いながら眺める真奈や清彦を引き連れて、三人で像の周りを探索することとなった。


 金次郎像の背後には、敷地の縁に沿って壁を作るかのように背の高いイチョウの木が植えられている。その木々の枝葉が濃い影を像の周りに作り、また薄暗い地面の上には雑草もかなり茂っているため、そこに何か落ちていたとしても簡単にはわからりそうにない。


 それでも、梨莉花と清彦は七不思議解明への知的好奇心からやる気を振い起し……真奈は突き刺すような梨莉花の鋭い視線が怖いので……三人は深い草を掻き分けて、本が落ちてないか懸命に探し回った。


 と、真奈が像から少し離れた場所の木の根元を覗いた時である。


「……ん?」


 見ると、何やら金次郎と同じ緑色をした四角い物体が落っこちている。


 真奈はそれをおそるおそる手に取ってみる……すると、それは分厚い本をちょうど真ん中ぐらいのところで開いた形をしていた。


「あ、ありましたーっ!」


 真奈の発した大声に、各々別の場所を探していた梨莉花と清彦もそちらへと急いで向う。


「おお、そんなところにあったか。で、どうだ? 何か変わったところはあるか?」


 真奈の持つ銅でできた本を覗き込みながら、急かすように梨莉花が訊いた。


「それが……この本、なんか字みたいのが書いてあるんですけど……」


「何を当然のことを言っている。そりゃあ、本を摸造しているんだから、字が書いてあるのは当たりま……ん? いや、そんなんじゃないな、これは」


 真奈の返事に眉をひそめる梨莉花だったが、すぐにその言葉の意味を取り違えていたことに気付く。


開かれた頁には、何やら字のようなものが凸状に鋳出されているのだ。


 といっても、本物の本のように書いてある文章が精巧に鋳出されているというわけではない。


 漢字でも、仮名文字でも、アルファベットでもない「●※画像参照」というものが一つ、本の真ん中に大きく鋳出されているのだ。


「梵字ですね」


 梨莉花に少し遅れてそれを見た清彦が、即座にそう答えた。


「ぼんじ?」


「古いインドの文字でサンスクリットとも言います。本来、仏教のお経はこの文字で書かれていたんですよ。それを中国で漢訳したものが日本にもたらされたので、現在、日本のお経は漢字で書かれたものになっていますが、密教では今でもこの梵字を使っています。この文字は音を表す文字としても使われますが、一字一字が特定の仏尊を表してもいるんですよ」


「へ~梵字ですか。そういえば、仏教美術でこんなような字を見たような気が……」


「どうだ、清彦? なんという字かわかるか?」


 清彦の講義に感心する真奈を他所に、梨莉花が目だけを清彦の方へ向けて尋ねる。


「さあ? 道教霊符とかなら一目でわかるんですが、不勉強でまことにお恥ずかしながら、梵字はあまり得意じゃないんで……」


「そうか……確か『ウン』という文字だったように思うんだが、私も密教専門ではないので梵字はうろ憶えでな。フッ…我ながらこんな一般常識すら身に付けていないとは……こっちこそ、穴があったら入りたいくらいだ。しかたない。後で相浄に見てもらおう」


 いやいや、お二人とも。普通、高校生は梵字読めないから。ぜんぜん一般常識でも、お恥ずかしくも、ましてや穴があっても入るような必要ないって……。


 自嘲の苦笑いを浮かべる清彦と梨莉花にそんなツッコミを心の中で入れつつ、真奈は自己紹介の時に聞いた相浄の出自を思い出す。


 あんななりしてるけど、相浄さんって天台宗だかの寺の息子さんで、密教の呪法に長けてるとか言ってたな。そんな相浄さんなら密教で使われてる梵字もわかるってことか……。


「よし。それじゃあ、この本は写真を撮ってから銅像の手に戻して置こう。騒ぎになって、我らにあらぬ濡れ衣をかけられても困るからな」


 ……確かに。もうかなりの人々に、あたし達が金次郎像の回りをうろうろしているとこを目撃されている……これで金次郎の本がなくなったなんて騒ぎになったら、あたし達が真っ先に疑われるのは明らかだ……ってか、いつの間にやら、あたしも共犯?


 ふと気付けば道連れフラグが立ってることにショックを受ける真奈のとなりで、梨莉花はブレザーのポケットからおもむろに黒いスマートフォンを取り出す。


 もともとは市販されている某有名どこのスマホだったらしいが、そうとは思えないくらい魔法陣やら魔術的な記号のようなものやらがデコされた、特異なオリジナリティー溢れる至極の一品となり果てている。


 梨莉花はその呪術部モデルのスマホを対象に向けてシャッターを押し、そして、液晶画面で撮れ具合を確認すると、青銅製の本を金次郎の手に返して次の目的地へと向った――。

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