弐 ドジっ娘 MEETS 奇人変人達(一)

 入学式より二日後、明けて翌週の月曜日……。


 まだ、ひんやりとした朝の空気が漂う急な坂道を、今日も大勢の生徒達が蟻のように行列をなして登って行く。


 ここ、神奈備高校は神奈備町の中心に位置する神奈備山かみなびやまという小高い山の麓にある。


 町のどこからでも目に留まるこの山は神の宿る神域として古代より崇められてきた聖なる山であり、今でももう少し坂を上がった所には神奈備神社があって、二千年以上も変らずにこの山の神が祀られている。


 そんな聖なる山の麓にあるこの高校も、いうなれば神奈備山の神に護られているということになるのだろうが、そうした地理的条件のために毎日キツい坂道を登って登校せねばならず、そこがまあ、ナビ高生達が共通して感じているこの高校の難点である。


 その傾斜度の高い坂道をいつものように登校する着慣れた制服の生徒達に混じって、真新しい制服に身を包む入学したばかりの新入生達の姿も見受けられる。


 もちろん、その中には真奈と朋絵の二人の姿もあった。


「ハァ……憂鬱だ」


 まだ今日も始まったばかりだというのに……そして、高校生活もまだ2日目を迎えたばかりだというにも関わらず、真奈はガックリと肩を落とし、周囲の空間を負のオーラで満たしている。


「もう、なんで部室を間違えるかなあ……」


 朋絵は先日より引き続き、相変わらずの呆れ顔である。


「だって、名前が一字しか違ってないし、字が擦れてて読みにくかったんだもん……」


 真奈はフグのように口を尖がらせ、項垂れたままブツブツと小声で言い訳をする。


「だとしても、となりにはっきり美術部って書いてあるんだから普通わかるでしょう!」


「だってぇ……ブツブツ…」


「それも、よりによって呪術部だなんて……まーな、幽霊とかオカルトって〝アレ〟なのにさ」


「そうなんだよ。よりにもよって、そっち系の部になんだよ……」


「ハァ…で、どうするの? 嫌ならちゃんと謝って辞めさせてもらいなさい」


「それができたら苦労しないよ……だって、あたしが辞めようとすると〝あ、起請文の誓約破って部を辞めたら、血反吐吐いてそのまま死ぬから〟とか言って脅すんだよ! あの人達のことだから嘘や冗談じゃなくてガチだよガチ! あたし、こんな若い身空でまだ死にたくないよお~……」


 溜息混じりにお説教する母親のような朋絵に、真奈は途中、梨莉花のものまねを無駄に織り交ぜながら自分の恐怖と苦悩を切実に訴えた。


「……た、確かに呪術部の人にそう言われたら、辞めるの少し考え直すわな」


 なぜか入部届けごときで命の遣り取りをすることになっちゃっている稀有な友人に、朋絵は冷や汗を額に浮かべながら、ただただ苦笑する。


「じゃ、もうこうなったらいっそのこと、腹をくくって呪術部入るしかないね」


「うぅぅぅ……」


 そのまるで他人事な、にべもない朋絵のアドバイスに、真奈はますますネガティブオーラ一色に染まっていった。


「それで、今日は部活あるの? 呪術部」


「うぅ……なんか、あたしの歓迎会のためにカラオケ行くとか言ってた」


「へえ、歓迎会開いてくれるなんて、意外といい人達じゃない? それに歓迎会、カラオケってとこはけっこう普通の人の発想だし。わたし、先輩達から呪術部の噂いろいろ聞いて、もっと危ない人達かと思ってたけど……」


「そ、そうかな? ……けっこう、普通かな?」


 感心する朋絵のその言葉を聞き、少しだけ真奈の顔色も明るくなる。


「うん。きっと、普通の人達だよ」


「そ、そだよね! 別に危ない人達じゃないよね! うん。きっとそうだ。呪術の研究してるからって危ない人達とは限らないもんね。うん。そんな偏見は表現と信仰の自由を認めている文明国の人間としてよくない考えだよ。部員になったってぜんぜん平気だ」


 そう言ってなんとか自分を納得させると、真奈はやっといつもの笑顔を取り戻した。


「……で、ちょっと気になったんだけど、その噂っていうのは?」


 そして、笑顔とともに明るさを取り戻した真奈は、朋絵に一応そのことを確かめてみる。


「えっ? ……え~と確か、呪術部を廃部にしようとした生徒会の人間に呪いをかけて廃人にしただとか、化学部を乗っ取って錬金術部に換えようと画策しただとか、悪魔の召喚に失敗して教室一つ吹っ飛ばしただとか、それから…」


「うぅぅ~やっぱり入りたくないよお~! 朋絵、今日の歓迎会一緒に行ってよお~!」


「えっ? ……い、いやよ、わたしだって!」


「そんな殺生な~!」


「殺生って……も、もとはと言えば、あなたの自業自得でしょ!」


「うぅ~心の友なら一緒に行ってよぉ~!」


「だから、わたしはジャ●アニズミストじゃありません! ――」




 そして、その日の放課後……。


 今度は間違えたわけではなく、自分の意志で訪れた呪術部の部室で、真奈は他の部員達と一緒に円卓を囲んでいた。


 今日は入学式の日に来た時と違って窓のカーテンが開け放たれている。あの日は照明が蝋燭の明かりだけだったためによくわからなかったが、明るくなってみると、この部室の中には色々と珍しいものがそこここに溢れているようだ。


 壁には曼荼羅や何か西洋魔術のものらしき図形を描いた壁掛け《タペストリー》なんかがかけられており、他方、窓際には黄色い八角形の鏡みたいなものが吊るされ、他にも赤い紙に金字で書かれたお札やらコウモリを象った飾り物やらと、風水関連と思しき中国趣味シノワズリーな品物があちらこちらに見受けられる。


 また、部屋の奥に並べられた角机の一つには、小さな紫色の座布団を敷いた上におそらくは仏教法具であろう、歴史の教科書に載る空海の肖像画が手に持ってるような金色の武器らしき物体が置かれている。


「さて、先日いなかった者もいるので改めて自己紹介をしたいと思う」


 部屋を彩る珍しい装飾品に真奈が気を取られていると、おもむろに梨莉花部長がそう切り出した。


 現在、円卓を囲んでいるのは真奈を含めて6人。


 その中には前回見えなかった顔も二つほど見える。たぶん、あの時話に出ていた〝清彦〟と〝飯綱〟とかいう人物であろう。


「まず、すでに言ったと思うが、私が現在、この部の部長をやってる神埼梨莉花だ」


 改めて明るい所で見ても、この梨莉花という部長は超絶的な美人である。おそらくこの学校内美少女ランキング…否、県内ランキング…いやいや、国民的美少女グランプリでも1、2を争うレベルではないだろうか?


「まあ、私のことはもう充分承知のことと思うので、続いて飯綱君から始めてくれ」


 そう告げて自身の紹介は簡単にすませると、梨莉花は右どなりの席に座る男子の方へとその切れ長の涼やかな眼を向けた。


 その男子生徒はがっしりとした体格の大男で、頭は短目のスポーツ刈りである。


「えー…俺は3年B組の飯綱登いいづなのぼるというもんだ。一応、この部の副部長をやっている。昨日まで北陸の白山はくさんに登っていて今日帰って来たばっかりだ。ハッハー!」


 飯縄は声も野太く、副部長に相応しい堂々とした風格である。しかし、その威圧感ある大柄な体格とは相反して、クリクリとした二つの目はとても優しそうな眼差しをしている。


 例えるならば、『ハイジ』でいうところのオンジって感じだ。


「俺は山が好きだ。だから、もとは山岳部に所属していた。だが、1年の終わりに吉野の大峯山山上ヶ岳おおみねさんさんじょうがたけに登った折、山頂で修験道の祖である役行者えんのぎょうじゃが感得したという金剛蔵王権現こんごうざおうごんげんからの啓示を受けたのだ。〝おまえは修験の道を修めるのだ〟と。それから俺はそのお告げに従って、修験道の修行を始めたのだ。そして、より修験の勉強をするために山岳部を辞め、この呪術部の厄介になるようになったというわけだ。山のことで何かわからないことがあったら、なんでも遠慮なく俺に訊いてくれ。ガハハハ!」


 ……なるほど。確かに風貌や態度などからしても山ボーイ…というか、山男っていう言葉がぴったりの人だ。


 でも話の後半の、えっと…ざおーごんげん…だっけ? その神さまから啓示を受けた云々という下りはオカルト色満載だ。一見、ワイルドなアウトドア系だけど、やっぱりこの呪術部にいるだけのことはあるな……。


「次は梅香メイシャン、おまえだ。すでにおまえも会っているとは思うが、詳しい紹介はしていなかったからな」


 梨莉花は次に、飯綱のとなりに座る李梅香リメイシャンに自己紹介するよう促す。


「ハイ。ワタシは2年C組の李梅香デス。パパの仕事の都合デ家族そろって台湾から日本来ました。パパの仕事ハ風水コンサルタント会社(株)のサラリーマン風水師デス。日本営業所の社員指導のため来マシタ。ワタシもパパから風水習ったんだヨ。だから少しハ風水のコト、ワカル。マダマダ修行足りないけどネ」


 多少、アクセントや言葉遣いに変なところもあるが、彼女はかなり日本語が堪能のようである。


 見た目もそんなに変わらないし、日本人に混じっていてもぜんぜん外国人とは気付かれないだろう。


 だが、それでもよくよく顔を見てみると、やはり中華系の顔はしていて、うるうるとした円らな目がとてもカワイらしく、小柄だし、これは萌え萌えキュンになってしまう男子が続出すること間違いなしである。


 まあ、それはそうと、この部屋に飾られている風水グッズのレイアウトは彼女の仕業か……さすが風水が盛んな台湾出身。


 でも、風水コンサルタントの会社なんて始めて聞いたな。世の中にはそんなものもあるんだ。世界って広いな。しかも〝(株)〟だし……。


「次、相浄」


 続いて、梨莉花は自分の左どなりに座る金剛寺相浄を指名する。


「………………」


 が、返事がない。彼はいい度胸にも梨莉花の催促を無視し、腕組みをして俯いたままだ。


「…スー……スー……」


 さらに返事を待ちながら耳を澄ませると、どこからか穏かな息遣いも聞こえてくる。加えて、その規則正しい呼吸音に合わせて、彼の俯いた頭も上下しているではないか。


「ん? 相浄? 次はおまえの番だぞ…って、こら! 寝るなっ!」


 パカンっ!


 居眠りに気付くと、梨莉花は近くにあったノートを丸めて、相乗の頭を思いっ切り引っ叩いた。


「イテっ! ……な、何すんだよいきなり~」


「おまえ、今、寝てただろう!?」


「ね、寝てねえよ。……ちょっと瞑想してたんだよ」


「嘘付け!」


「嘘じゃねえよ」


 ……いや、嘘だ。


「ああ、ももいい。それより、次、自己紹介おまえの番だ」


「あ? ……あ、ああ、わかってるよ、そんなこと」


 ……いや、完全に寝ていて、今、初めて知ったに違いない。


 そうして真奈が心の中でツッコミを入れている内にも、相浄は覚醒して間もない頭で話し始める。


「あ、ああ……えっと、この前聞いたとは思うが、俺は2年A組の金剛寺相浄こんごうじそうじょうだ。見ての通りに俺の家は寺だ」


 えぇ? ……い、いや、ぜんぜん見ての通りじゃないって……髪の毛真っ赤だし、見てくれからじゃ、どこをどう見たってお寺の息子さんには見えないよ!


 「うちの寺は天台宗の金剛寺っつう寺で、俺も一応坊主のたまごだ。だから俺の専門は台密たいみつ――つまり天台密教の修法すほだな。東密とうみつ…ああ、真言密教の修法も多少ならわかるけどな」


 俄かに信じ難い事実ではあるが、どうやら本当にお寺の息子さんらしい……が、このどう見てもお坊さんとは結びつかないパンクななり……確かにお坊さんとしては前衛的である。


 その点からすれば、あたしの見解は一応当たっていたな、はは…。


 真奈は、微妙に的を射ていた自分の観察眼になんだか複雑な自信を抱いた。


「では、次は清彦」


「はい」


 梨莉花は残る一人、相浄のとなりに座る人物の名を呼ぶ。飯綱とともに、やはりこの前はいなかった人物である。


「どうも。2年B組の三善清彦みよしきよひこです」


 キラン☆


 真奈の方へ顔を向けた瞬間、かけていたインテリジェンスの香り漂う黒縁メガネがキラリと光る。


「僕の母方の家は代々民間陰陽師……正確に言うと、陰陽師というのは平安朝の官職名だから、太政官から官位をもらっていない者はいくら陰陽道に長けている者でも陰陽師とはいえないので、陰陽道を基礎とした民間の占い師、もしくは祈祷師と言った方が正しいんだろうけど、まあ、この場合は便宜上、民間陰陽師と呼ぶことにしよう。とにかく、母の家はその民間陰陽師を代々生業なりわいとしてきた家柄で、その影響で僕も陰陽道や陰陽・五行説について学ぶようになったのさ。だから僕は陰陽家ってところかな? 一人前の陰陽家というにはまだまだ知識も技術もたりないけどね」


 キラン☆


 早口にそう語った後、片手でメガネを直した際に再びインテリジェンスな光が周囲に放たれる。


 パリっとした制服をきちんと着こなし、ちょっとショタ属性の入った顔に柔らかそうなサラサラヘアーのなかなかにいいメガネ男子ではあるが、何か小難しくてよくわからないことを一度も噛むことなく言ってる……典型的なインテリタイプといったところだろうか。


 ……しっかし、修験者に風水師に密教のお坊さんから陰陽師…いや、陰陽家? まで、ほんと、ここは多彩な人々の集まった活動範囲の広い部だな。その点でもあたしの見解は正しかったわけだ。


 ただし、やってる分野が〝美〟術じゃなくて〝呪〟術だったんだけど……(泣)。


 真奈は微妙に当を得ている自身の観察眼を再認識し、今度は天を仰いで涙目になった。


「さて、これで旧来の部員は全員終ったな。では最後に、新入部員の宮本さんに自己紹介をしてもらおう」


「は、はい! あたし、一年A組の宮本真奈と言います」


 物思いに耽っているところをいきなり呼ばれ、真奈は居住いを正すと、慌てて自分の名を告げる。


「あ、あの、昨日の騒動でお分かりのことと思いますが……あたしは…その……美術部と間違えてここに来てしまったわけでして、呪術とかぜんぜんわかりませんので、もし、お気に召しませんでしたら今すぐにでも退部処分にしていただいて…」


 真奈はそう語りつつ――




「呪術のことがわからないいぃ? 貴様ぁ、呪術部を舐めとんのか!」


「フン。これだから素人は……キラン(メガネ)☆」


「ワタシ、そんな人と部活したくないネ」


「ったく、ウゼーんだよ」


「そんな奴、うちの部にはいらん。今すぐ出て行けっ!」




 ――なんて言われるのではないかと仄かな期待を胸に抱き、ついでにその場面の脳内妄想劇まで描いてみたりする。


 ……しかし。


「何言ってるんだ! そんな人にこそ、呪術について教えてあげるのが我ら呪術部の役目ではないか!」


「そうですよ。わからないことがあったら何でも聞いてください。キラン☆」


「そだヨ。誰デモ最初ハ初心者なんだから」


「おう。いろいろ役に立つ呪法を教えてやるぜ」


「起請文のこと、お忘れなく」


 その期待は無駄であった……逆にありがた迷惑限りなくも、みんな諸手を上げて真奈の入部を歓迎してくれている。


 その上、梨莉花部長はまたしても起請文をチラつかせながら脅しをかけているし……。


「というわけで、宮本まーな。今日から君もこの呪術部、横文字でいえばしゅクラブ――通称、しゅクラの正式な部員だ」


「しゅ…しゅくら?」


「そう、呪クラだ。〝しゅ″とはノロイやマジナイのことをいう。なかなかオシャレな名前だろう? わたしもお気に入りだ」


「呪…クラ……」


 おしゃれ……だろうか?


「では、そうと決まれば、まーな…ああ、今日から親しみを込めて下の名で呼ばせてもらうが、君の歓迎会ということで今日は景気よくカラオケにでも繰り出すとするぞ」


「オーッ!」×5


「えっ? あ、あの、あたしはまだ、その…」


「さあ、主役が行かなきゃ始まんないんだから立った! 立った!」


 展開についてゆけず、いまだ椅子に座ったままの真奈の両脇を梅香と相浄が抱えて立ち上がらせると、そのまま他の部員達とともに部室を出て、廊下を学生棟の出口の方へと強引に引きずって行く。


「あ、いや、皆さん、わたしの話を……あのぉ……あのおぉぉぉぉ……!」


 こうして、あえなく辞める機会を逸した真奈の訴える声は、夕闇迫る薄暗い廊下の彼方へと消えていった――。

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