壱 美術部 NEXT TO THE DOOR(三)

 一方、その頃……。


 朋絵はというと、〝美術部〟の部室で先輩達とガールズトークに花を咲かせていた。


「――アハハハハハ、そうなんですか?」


「そうそう。あの教頭がよ? マジウケるでしょ?」


 ……ふう。それにしても遅いな、まーな。どうしちゃったんだろ?


「アハハ…ん? どうかしたの? 桜井さん」


 先程から何か落ち着かない様子でいる朋絵に気付いた一人の先輩が、訝しげな顔で声をかける。


「あ、いえ。まーな…その一緒に来るはずだった友達なんですけど、ちょっと遅すぎるなと思いまして……もしかして、間違えてどっか他の部のとこ行っちゃったのかな?」


「まっさかぁ。その子、美術部の部室が一階の一番奥にあるって知ってるんでしょう? だったら、学生棟に入って廊下を真っ直ぐなんだから、どう間違えようったって間違うことなんて…」


「はっ! もしかしたら……」


 心配性にも程がある朋絵に手をひらひらと振り、そのありえない間違えを笑い飛ばす先輩だったが、彼女の言いかけた言葉を遮り、突然、別の先輩が何かを思い出したかのように顔を強張らせる。


「もしかしたら……何?」


「となりだよ。と・な・り……」


「となり? ……ああっ!」


 すると、笑っていた先輩もすぐに言わんとしていることを理解したらしく、すっかり忘れていたというように声を上げる。


「……となりって、なんのことですか?」


 ただ独り、朋絵だけは何を言っているのかさっぱりわからず、小首を傾げて先輩達の顔を交互に見回すことしかできなかった。


「ああ、となりの部屋を使ってる部なんだけどね。うちの部と名前が一字違いなのよ――」




 再び戻って〝こちら〟の部室でも、真奈と先輩達は親交を深めるべく大いに語り合っていた。


「――あの、金剛寺先輩はその、なんというか、前衛アートか何かをやられてるんですか?」


「ん? 前衛?」


「い、いえ。とってもアーティスティックな格好をされてるんで、そうなんじゃないかなあと……」


「前衛ねえ……んま、この業界じゃ前衛的といえば前衛的かもしんねえなあ」


 やっぱり。あたしの思った通りだ。こう見えてもあたしはけっこう、人を見る目があったりするんだぞ?


 真奈は相浄のパンクな服装を見つめ、自分の観察眼に自信を強める。


「李先輩…なんか言いづらいな。あの、先輩はやっぱり山水画とかをやられるんですか?」


梅香メイシャンでいいヨ。それニ、ワタシやってるのハ〝山水〟じゃなくて〝風水〟だヨ」


 次に真奈は梅香へ質問するが、彼女が答えたのはなんだか聞き慣れぬ美術用語である。


 風水? ……というと、あの家具の配置とかで運気を上げたりするやつしか思い浮かばないんだけど……風水画なんてのがあるのかな? 初めて聞いた。日本じゃ聞かないけど、台湾にはそういう絵があるのかもしれない。


「すみません。勉強不足で……じゃ、神崎先輩は何が専門なんですか? 絵ですか? それとも彫刻とか?」


「絵? ……いや、仏画や曼荼羅とかを描くのはあまり得意ではない。一応、私は洋の東西を問わず、あらゆる呪術・魔術を習得することに努めているがな」


「じゅじゅつ? ……何ですかそれは?」


「何って、呪術は呪術だ。深い意味はない」


「すみません。あたし、まだそんなに美術の知識とかなくてよくわかんないんですが、それは何かの絵の描き方ですか? それとも立体像の制作方法とか?」


「ん? ……いや、普通に〝おまじない〟のことだが?」


 自分の無知を謝る真奈だったが、梨莉花はひどく怪訝な表情を浮かべて、こちらもナニを言ってるのかよくわからない様子で真奈の方を見つめ返す。


「ああ、なんだ、おまじないのことかあ………え? おまじない?」


「さっきからどうも話が変だと思っていたが、何か勘違いをしてはいないか?」


「えっ? ……いや、だって、ここって美術部の部室ですよねえ?」


真奈は狐にでも抓まれたような、あるいは狸にでも化かされたような顔をして先輩達を見回す。


「何を言っている。ここは〝美〟術部ではなく〝呪〟術部の部室だ。〝呪術部〟の」


「じゅ…じゅつぶ? ……おまじない……呪術……呪術部……ええっ!? ――」




「――一字違いっていうと?」


「ほら、うちは美術部でしょ。んでもって、となりの部屋使ってるのが呪術部ってとこなの。何やってんだかよくわからない怪しいとこなんだけどね、これがよく見ると、うちと名前が〝美〟と〝呪〟の一文字違うだけなんだよねぇ。おまけにそれが、偶然にも部室がとなり同士だなんて。だからね、冗談でうちととなりを間違えて入っちゃう人もいるんじゃないかなんて言ってるの。まあ、まさか本当に間違える間抜けはいないと思うけどね」


「……まさか……まさかね………いや、まーなならありうる!」


「さ、桜井さん?」


 朋絵は慌てて席を立つと急いで背後のドアを開き、そのままの勢いで廊下へと走り出た。


その剣幕に、先輩達もお互いに顔を見合わせると朋絵の後を追う――。




「――えっ? で、でも、ドアにはちゃんと美術部って……字が擦れてて読み辛かったけど……って、まさかっ!」


 真奈はそこへきてようやくある可能性に気が付くと、そのことが真実かどうかを確認すべく、急いで廊下へと向った。


 バダン…!


 二つのとなり合った部屋のドアが大きな音を立てて開き、二人の人物が廊下へ飛び出して来るのは同時だった。


「まーな………」


「朋絵………」


 真奈と朋絵はそのままの格好で動きを止め、お互いに顔を見合わせる。


 朋絵は唖然とした表情で真奈のことを見つめている……真奈の方も、しばしじっと親友の顔に見入っていたが、ふと思い出したかのようにドアの表札へと視線を移す。


「うーん……」


やはり文字が擦れていて読みづらい……だが、よく見れば読めないほどのものでもない。


「…………あ、呪術部だ」


 目を細め、しばし表札を注視していた真奈が間の抜けた声で呟いた。と、時を同じくして二人の後を追い、各々の部室から先輩達もどやどやと廊下に姿を現す。


「桜井さん、その子がまさか………」


 ドアの前に立ち尽くす真奈の姿を見て、美術部の先輩がそのまさかの是非をおそるおそる朋絵に尋ねる。


「あ~まだやってない。梅香、表札の字を書き直しとくように言っておいただろう?」


 梨莉花は擦れて読みづらくなっている表札を目にすると顔をしかめ、同じく廊下に出て来た梅香に文句をつける。


「あ、ゴメンナサーイ。今日やろうと思てたとこだヨ」


「……何か、とっても勘違いをしてたみたいね……は、はは、ははは………」


 誠意のない謝罪をしている梅香の傍ら、真奈は再び朋絵の方を振り返ると、自分のお間抜けさを誤魔化すように苦笑いを見せる。


「ま~な~」


 朋絵は呆れ果ててものも言えないといわんばかりの感じで、カワイイ眉毛を悩ましげに「ハ」の字にしている。


「……いたんだ。ほんとに間違える間抜けが……」


 美術部の先輩達も驚愕と唖然のない交ぜになった複雑な表情で、まさか現実に存在するとは思ってもみなかったお間抜けの姿を眺めている。


「あ、あのう、とっても言いづらいことなんですがあ……」


 自分が美術部と呪術部の部室を間違えていたという恥ずかしい事実にようやく気付いた真奈は、申し訳なさそうに梨莉花の方を振り返った。


「あたし、部室を間違えてたみたいなんで、そのお……先程の入部の件はぁ…」


「あ、言っておくが、起請文の誓約をたがえたら血反吐を吐いて死ぬから」


 だが、梨莉花は真奈が言い終わるよりも早く、その恐ろしい内容の割にはひどくあっさりとした口調でさらりと釘を刺す。


「うっ? ……ガ…チ?」


「ああ、本当ガチだ」


 梨々花の背後で壁に持たれて腕組みをしている相浄も、そう答えて相槌を打つ。


「ううっ……朋絵~!」


「ハァ……」


 今にも泣き出しそうな顔でこちらを振り返る大間抜けな親友に、朋絵は大きく、深々と溜息を吐いた。

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