第21話.水と油

「なぁんで布団が二つあるわけえ? 同棲でもしてるの?」


 飛鳥がやってきた、学校からそのまま来たようで制服姿だった。

 遠回りになるというに、何が心配でわざわざ俺のとこに来るんだか。


「これには深い事情が」

「――布団は」


 そこへ、苑崎さんがそっと口を開いた。

 やはり飛鳥が絡むとすぐに話をしてくれるな、嬉しいけれど何だか複雑な気分。


「……布団は?」

「一つでも」

「一つでも?」

「私はかまわうぐぐ」


 やはり彼女の口は塞いでおこう。

 火に油を容赦なく注ぐ行為に等しいのだ、今の彼女の発言は。


「どういう事情よ!」

「苑崎さんは、その……ちょっとストーカー被害に遭って俺の部屋に避難してるんだ」

「へえー……ストーカーねえ?」


 苑崎さんが耳打ちをしてくる。

 何々?


「犯人、この人、では」

「それはないさ、安心して」

「なんか失礼な容疑をかけてない?」


 睨みつけてくる、次には拳でも飛んできそうで怖い。

 ここはお茶を出して、と。

 飛鳥を座らせた、苑崎さんとは反対側に。


「あんたが隣の部屋にいるんだし、わざわざ避難する必要ないじゃない。ここって噂じゃこの街で一番安全なアパートでしょ?」


 管理人さんの事を考えると安全を通り越して物騒ともいえるけれどね。


「念には、念を、入れて」

「苑崎さんさー、浩介の部屋にいたいだけとかなんじゃないの?」

「……」


 無言。

 飛鳥の尋問は続く。


「あとはご飯目的とかじゃ? 浩介が便利だから利用してるんでしょ!」

「……ご飯は確かに、美味い」

「ありがとう」


 彼女と固い握手。

 今晩はまた美味しいものを作ってやろうじゃないの。


「浩介! あんた利用されてるのよ、なんとも思わないの?」

「え、俺は……別に」


 頼られるのが大好きなもので。

 それに今は彼女の身の安全を考えるならば一緒にいるべきだから、この状況も仕方がないわけで。


「利用はしていない」

「へー、そう?」


「恩は返す、食材も、提供する、家事から、何でも、する」

「そんな気を遣わなくても」


 彼女が持ってきていたバッグの中からどうしてかメイド服が出てきた。

 ……それを着るというのか?

 それを着て、俺にメイドとして仕えてくれるというのか?

 ……悪くない!


「浩介、あんた今もしも変なことを考えてるのだとしたら、ビンタするわよ」

「俺の心は今静かな無と化しています!」


 悟りの境地を今すぐに開かねばビンタがくる。

 けれども脳内ではメイド服の苑崎さんが手を振ってくれているよ、無理だ、悟りの境地さようなら。


「……てか絶対おかしいし! 引っ越してくるや転がり込んでくる時点で、絶対おかしいわよ!」

「おかしくない」

「いーやおかしい! あんた最初から浩介を狙ってたんじゃないの!? いいカモだとか考えてるんじゃ?」


 なんかこいつ、妙に突っかかっていくなあ。

 薄々感じていたけれど、苑崎さんとは相性が悪いようだ。


「いい人だと、私は思う」

「お人好し糞ニートよ!」

「糞ニートて」


 そんな酷い呼び名つけないで。

 そういえば、異世界でもお人好しだと時々言われては損をするときもあったなあ。

 よくセルファにそれで怒られた事があったっけ。


「修羅場なのー?」


 そこへチャイムも押さず中にやってきたのは姉ちゃん。

 手には買い物袋、ネギの青い部分が頭を出していた。

 袋のふくらみ具合から何か様々な食材が入っている模様、となればやる事は一つしかないな。腕が鳴るぜ。


「修羅場を見ながら一杯やるのも悪くないか」

「修羅場じゃありません!」


 まだまだ飛鳥の勢いは止まらない模様。

 ブレーキはどこにあるんだろう、猪突猛進してしまう前にブレーキをかけておきたい。


「いい肉が手に入ったから今夜はここですき焼きを食べる予定なの」

「すき焼き?」

「折角だから一緒に食べない? ほら浩介、準備準備」

「え、はい」


 そんな予定は立てた憶えはないのだが。

 みんな開いた口が塞がらず、しかし目線は買い物袋とは別の、何だか高級感ある木箱から取り出した神々しいほどの……霜降り肉。

 おおっ……と思わず三人で声を漏らした。


「得意先から頂いたすんごい肉! 美味しいわよ!」

「……い、頂きます」

「うんうん、じゃあお行儀よくしましょう! 怒ってちゃお肉の味もわからなくなるわよ」


 姉ちゃんになだめられてようやく飛鳥は落ち着きを取り戻していた。

 飛鳥のブレーキ役としては最適だね、アクセルとブレーキとして二人一組になってもらいたいぜ。

 早速鍋の準備に取り掛かる。

 ちゃぶ台で鍋を囲うにはちょいと窮屈だが、スペースの作りようでなんとかしよう。


「――んはー! 仕事終わりにこんな美味いすき焼き食べながらのビールは最高ね!」


 姉ちゃんは早くもアルコールを喉へと流し込んで既に頬が赤くなり始めていた。

 楽しそうで何よりだけど少しは手伝ってくれないかな。

 とはいえ期待はしていなかった、鍋奉行である俺がここはうまくやりくりするしかない。


「葵ちゃん聞いたわよぉ。ストーカー被害あったんだって? 私にも力になれることあったら協力するわ!」

「ありがたし」

「浩介はこの手の問題なら役に立つからこき使ってやって!」


 姉ちゃんは俺をなんだと思ってるんだ。


「す」

「利用してるの間違いでしょ」

「違う」

「違わない!」

「あーもうまた始まった」


 姉ちゃんが俺に囁いてくる。


「きっと嫉妬してんのよあの子、んははっ!」


 ものの数分で陽気になったね姉ちゃん、もう酔っ払ったのか?

 後数分もすればなんでもやりたい放題モードになりそうだ。


「嫉妬?」

「まあ、そこらはちゃんと理解してやんな。選ぶのはあんただけど」

「何の話?」


 言ってる意味がよくわからん。

 のんべえのたわごとだ、聞き流そう。


「浩介は馬鹿ねー」

「浩介が馬鹿なのは否定しません!」

「浩介、馬鹿?」

「世知辛い」


 みんなして馬鹿馬鹿言わないでくれよ、この場で号泣してすきやきを涙味に変えるぞ?

 姉ちゃんがいるとなんだかんだで飛鳥は苑崎さんに突っかかることは少なくなった。

 苑崎さんがいる時は飛鳥を入れないようにしなきゃそのうち飛鳥がぶち切れるんじゃないだろうか。

 飛鳥はすき焼きを食べ終えるまで苑崎さんに何かと突っかかってを繰り返し、姉ちゃんはそれを見て笑い、なんとも騒がしい夕食となった。


「じゃあ私達は帰るけど、あんたは変なこと考えずに後片付けしなさいよ!」

「後片付けはしてくれないのね」


「浩介ぇ、落ち着いたらおとーさん達に殴りこみしに行くわよぉ!」

「物騒な予定だなあ」


 飲みすぎたのか足元がふらついている。


「うぃ~……」

「ちょ、ちょっとお姉さん、大丈夫ですか? 一緒に帰りましょう」

「飛鳥ちゃんはいい子ねぇ、うんうんいい子いい子。そこの糞ニートとは全然違うわ」


 飛鳥がいるし帰りは心配ないな。

 苑崎さんと二人で見送るが、なんだろうねこの状況。

 飛鳥は何度か苑崎さんを睨んでいたが彼女の表情は変わらない。


「じゃあまたね、変な事考えないでよ!」

「変な事?」

「飛鳥、思考、エロい」

「なんですって!?」

「まあまあ」


 飛鳥をなだめて背中を押して退室させた。

 お前が来るとほんと騒がしくなるけど、楽しいよ。

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