第10話.マッチョとフェイ・アスァーナ
……セルファ様とはぐれてしまった。
移動の際に時間軸の捻れが発生したようだわ。
それに巻き込まれたと考えるならば、セルファ様より先に到着したのか、遅れて到着したのか……どちらかしら。
この世界についてはそれなりには勉強したつもりだけど一人じゃ不安ね。
今は夕暮れ時かしら。
空気はあまりよくない、すごい勢いで悪臭を放ちながら走るあの箱が勇者様の言っていた車というやつね。
うぅん……これからどうすればいいのかしら。
服の違いからか周りにはじろじろと見られている、こっちの世界の人達は皆肌を露出しがちなのね。着替えたほうがいいかもしれない。
「あ、君か!」
「えっ、なんですか?」
何この無駄にムキムキな巨漢は。
すっごい輝かしい笑顔で向かってくるんですけど。
「いやー目立つ格好でいるって言ってたからわかりやすくて助かったよ!」
「は、はあ……」
屈託の無い笑顔、悪意は感じられない。
誰かと間違えてる?
「じゃあ行こう!」
「ど、どこに!?」
「どこって今日から厨房に入ってくれるんでしょ? 聞いたよ、料理は得意って」
このマッチョは一体何の話をしてるの?
頭の中まで筋肉で出来てるのかしら。
「周りも士気が高まるだろう! さ、頑張ろう!」
「えっ、ちょっと、何故私を持ち上げるのです!?」
よくわからないけど肩に乗せられてしまった。
先ほどよりも視線を集めてしまっている、これほど罰と思えるものなどない。
しかし考えてもみよう。
――もしかしたらこれは、セルファ様がはぐれた私と合流するための仕込み、かもしれない。
彼もこの世界にやってきた私達と同じ側?
その可能性もあるわ、周りを見ても彼以上のマッチョはいないし魔力を筋肉に変えているのかもしれないわね、相当なやり手ね。
思考を働かせている内に、気がついたら妙な店の前に着いてしまった。
「居酒屋マッチョだ!」
「居酒屋マッチョ」
失礼だけど普通に入りたくない。
看板に描かれている筋肉は居酒屋感が皆無だ。
「さあ、レッツマッチョ!」
「えっ」
用意された服に着替えて、厨房に。
……セルファ様は店内にいるのかしら。会いに来る気配はないのだけれど。
それにしてもこの世界、厨房は私達の世界とは比べ物にならないわね。
フライパンも様々な種類にすごい数。
包丁も素晴らしい出来ね、一つ一つ手入れが行き届いていて切れ味は問題なさそう。
火もすぐに出せる、周りの真似をしてつまみをひねってみたら、それはもう容易く。
この世界の技術というのは、恐ろしいわね。
魔力は必要としないのならば、どうやって火を作り出してるのかしら。
「レシピは一つ一つ教えるから心配しないでくれ! 筋肉のつけ方に関しても一つ一つ教えるぞ!」
「それはいいです」
……この人の勢いに圧されてどうしてか私は今厨房でフライパンを振っている。
確かに料理は得意だけれど。
……だけれど、右も左もわからぬままずぶずぶと泥沼にはまっていってしまっているような気がしてならない。
もしや、これは……セルファ様とは関係がない?
「聞いていた通り、やはり君の料理技術は素晴らしいな! 上腕二頭筋が優秀なのかな!」
「言っている意味がよくわかりません」
なんだか抜け出すにも抜け出せない状況だ、ここは黙ってフライパンを振っておこう。
この人、すごい勢いで野菜を千切りするわ簡単に肉や魚を捌いていくわで料理技術は私よりもすごいわね。
筋肉のくせにやるじゃない。
けど私だって、異世界ではセルファ様の舌を唸らせたのだ、闘争心が沸いてくるわね。
「うむ! やる気も素晴らしい! ここは任せていいかな! 私は接客に移ろう!」
「はあ」
接客はいいけどどうして上着を脱いでるのかしら。
てか私以外厨房の人達みんなマッチョなのはなんなの? そういう種族なの? この世界には筋肉族がいるの?
「期待の筋肉、いや、期待の新人が入ったね」
「やはり女子は筋肉量がどうしても男には劣るけど、あの料理技術は素晴らしいね」
「そこの君! 実に筋肉がキレてるよ!」
「料理を振る腕は筋肉の富嶽三十六景かい!」
筋肉の……何? 褒め方が本当によくわからないわ。
周りも筋肉筋肉うるさいわね。
「私も彼女に今度教えてもらおうかな!」
「おかえしに良い筋肉との付き合い方でも教えるのはどうだろうか!」
筋肉との付き合い方は知りたくもない。
厨房での私の印象は悪くないようだがさて、私はセルファ様と合流するのが最初の目的なのだが、どうすればいいのか。
今は……折角料理を任せられたのだから責任を持ってやりとげよう。
料理しながら考えるとしましょうか。
今の時間帯が丁度客入れ時らしく、私は終始フライパンを振った。
見慣れない野菜や肉などの扱いは難しいけど、見た目が似ているものは捌き方も同じだ。
慣れれば問題ないわね。この世界の料理も私の料理知識で応用が効くわ、今日だけである程度作れるようになった。
我ながらこの人生で培ってきた技術を褒めたい。
「お疲れ、プロテインはどう?」
「水ください」
どうやら忙しい時間帯も無事に乗り切ったようね。
妙なものを出してきたけれど、これは断っておこう。
この世界の筋肉もりもりマッチョマンな人達はプロテインなるものを飲んでいるけれど……飲んだらこの人達のようになってしまう気がしてならないわ。
「やあ君! お疲れ様! 今日は大活躍だったね! 教えたことはすぐに覚えるしなんでも作ってしまうなんて君は料理の天才なんじゃないか!?」
「いえ、それほどでも」
「明日もよろしく頼むよ!」
「えっ」
どうしてこうなったのだろう。
その笑顔、本当に断りづらい……。
「そういえば、君上京してきたらしいけど、住む場所は?」
「ないですけど……」
「ふむ、着替えなどもないようだ、よし! ついてきなさい!」
「えっ」
何この人。
てかどうして私と一緒に行動するたびに私を肩に乗せるのかしら。
「着替えなど一通り買ってくるといい! なあに金は心配いらない! 私が全部出すから!」
あら、太っ腹ね。
ならば遠慮なく服を選ばせてもらうわ。
お店に案内されると……なんか袖のないこの人と同じ服ばかりがあった。これを選ぶのはやめておこう。
あと端に例のプロテインとやらがやけに多く置いてあるのだけれど。
この店は何なのかしら、人をマッチョにしようとする沼か何かなの?
「プロテインは買ったかい?」
「買ってませんけど」
でもそれなりに服装はマシになったわ。
この半そでパーカーというのはいい、頭を覆うものもあるし通気性のいい材質を使っているのか着心地はいい。
服だけでもこれほどまでに私達の世界とは違う……何から何まで、この世界には驚かされるわね。
「では次は住む場所だ!」
また私を肩へ乗せるマッチョ。
この人、本当になんなのかしら。
「ここだ!」
「ふわ……た、高い!」
まるで天を穿つような高さ。
私の世界ではこんな高い建物は魔王の塔以外知らない。
この人、この世界では魔王級の権力を持っているのかしら。
ただの筋肉馬鹿にしか見えないけど、見た目では判断しないほうがよさそうね。
「部屋は十二階だ! 私のほかに二人ほど従業員が住んでいるが広いし空き部屋もある! 住むには十分だぞ!」
「そ、そうですか……」
……どうしよう。
ついていくのは危険ではあるけれど、先ほどから奉仕してもらってばかりで悪者には見えない。
彼についていくとしよう……何かあったら逃げればいい。
しかしこのエレベーターというのはどういう原理で動いているのかしら。
それに廊下から何までいくつも光が使われている、この世界の光は無限に湧き出るものなのだとしたら便利なものね。
部屋まで案内されるや、室内では厨房で見た人らが二人、妙なものを持って体を鍛えていた。
「やあどうも!」
「今日はいい筋肉日和だったね!」
「筋肉日和とは?」
この世界の人達の鍛える道具は、なんだか妙に鉄っぽくて、私の世界でのマッチョ達のように砂袋は使わないらしい。
一室一室が広く、住み心地はよさそうだ。
「この部屋は自由に使ってくれたまえ!」
個室も十分に広い。
自由に使ってくれですって? いいの? 本当に?
部屋は特に物はおいていなかったが、筋肉さんが奥から敷きものやテーブルを軽々と持ち込んできてくれた。
何も無い部屋に続々と生活用品が運び込まれていく。
どさくさに紛れて体を鍛える道具も持ち運ばれている、それはいらないのだけど。
「これ、何かしら」
壁側に置かれた、細長く黒い箱っぽい。
リモコン、というものも一緒に渡されたがこれはなんなのかしら。
ためしに一つを押してみると、薄い箱が光を帯びて音を出し始めた。
「ひぁ!? こ、この箱、中に人がいる!」
「おや、テレビは見た事ないのかい!?」
「て、てれび……?」
「珍しいね! しかし最近はテレビを必要としない世代もいると聞くし、君もそんな感じかな!」
「え、ええ……まあ、そんな、感じです……」
あっ……勇者様が言っていたものはこれね……?
なるほど、妙な力を使って状況を保存、再生をするものなのね。
こうして見ると、すごいわ……。
「ボディビル大会のDVDは見るかい?」
「ボディビル……?」
「己の筋肉の筋肉具合を評価してもらう大会だ」
「結構です」
何が筋肉具合だ。
私はこの世界に筋肉をつけにきたのではない。
でも……。
「うふ、ふかふか」
この世界での就寝に関する道具はどれも素晴らしい。
何もかもがふかふか、これは落ち着いて眠っていられる。
「何か欲しいものがあったら言ってくれ。あとこれは君用の歯磨きと入浴用品一式! それとプロテイン!」
「プロテインはいらないです」
ちょくちょくと勧めてくるわね。
「そういえばだが、
「フェイ・アスァーナです」
「うむ、布栄さん!」
「フェイです」
「うむ!」
どうしてかしら、ものすごくすれ違いを感じるわ。
「実はね、今日布栄と名乗る女性から連絡があったんだが、君が不栄さんで間違いないよね?」
「フェイです」
「間違いないようだな!」
またすれ違いを感じるわ。
「どうやら相手の方も思い違いをしていたようだ、確認できてよかった! また明日から頑張ろう! 風呂に入るならすぐに沸かそう!」
「あ、ではお願いします」
この世界って高層の建物であっても室内に風呂があるのね。
しかもすぐ沸かせられるなんて、語彙力が欠如してしまうくらいに、すごい……すごいとしか言えないわ。
「了解だ! 入浴後の水分補給も欠かせない、冷蔵庫の中には飲み物がたくさんあるから好きに飲んでくれ!」
「あ、はい」
「女性の君は何かとケアもあるだろうし我々はお邪魔しないよう別室にいるので何かあったらお気軽に声を掛けてくれ!」
「はい。ありがとうございます」
勇者様は日本人は皆親切と言っていたけどその通りだ。
ご好意に甘んじよう、なんだか私の世界よりもこの世界、すごく優遇されて過ごしやすい。
結局彼らはセルファ様とは関係ないようだが、受け入れてくれるのならば暫くここで過ごすのもいいかもしれない。
そのうちセルファ様も私を見つけてくれるはず……。
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