1枚目

 恥の多い生涯でした。


 人間、気づいた時には手遅れというお話を良く耳にします。かく言う私も、もうどうしようにもならないくらい、手遅れとなってしまいました。


 偉大なる文豪の作品の一節を文字って語り尽くそうにも、とても手をつけられません。


 知性というのは恐ろしいもので、普段はなんの意識もなく従われるフリをしているのですが、実のところ、従わされているのは私達だったのです。


 その考えはある日唐突にもたらされました。何を考えるでもなく、いつも通り顔だけは笑みを浮かべている時でした。


 その日、私は留年の危機にあり、その補填をどうにかしようと頭を下げて回ったのでした。不真面目な態度ばかりしていたので、当然の如くお怒りになる先生ばかりでした。


 中にはそれでも頷いてくれる方も居ましたが、頷いて貰えない方もいました。


 絶望などという表現が正しいわけがありませんが、それに似た感情を抱いていました。


 怒るには日々の行いが足りず、補填によっては回避できるという可能性があるのが、本当に心にキました。


 その時、自分の心というのが、どうしようもなく明確に邪魔に思えたのです。そしてそれは、昔のある記憶を思い出させました。


 私は、なんの業を背負ったのかわからないのですが、どうも小学生時代から勉強をしていたようです。当然、中学受験も体験しました。


 昔はこれでも出来る子と認識されており、その勉強へなんの疑問もなく取り組んでいたのでした。


 だからでしょうか、本番直前で調子を崩し、訳もわからず焦燥を抱え、結果として滑り止めの学校へ通うことになりました。


 その時初めて、私はなぜこんなことをしているのか、疑問を持つことになったのです。


 考えはじめれば怖いもので、次第に勉強というものが億劫になっており、気づけば一切をやめていました。


 親には何度となく、お叱りを受けた記憶はあるのですが、それも歯牙にもかけておらず、ただひたすらにやめた習慣から逃亡をしていました。


 ただ滑り止めに通うという意識があったのか、私は常に傲慢でした。


 毎日律儀に勉強をするクラスメイトを見ては哀れみ、自分の体験する娯楽がいかに楽しいかを演説し、あまつさえそれに賛同せぬ者を馬鹿と決めつけたのです。


 一度自分の過去を否定し始めたら止まらないもので、勉学に励む者はまるで機械のようだとなじり、より一層堕落することに集中したのでした。


 ですが、それは違うと誰でも分かることです。あの有名なる夏目の(呼び捨てだと一部の方が怒るでしょうが、小説家とはほとんどもれなくヒトではないと思うのです)『こころ』の一節は、まさに正しいことを述べているのでしょう。


 次第に私は、いつまでも堕落し続ける道化の役に着いており、それを自己と思ってただただ一切の勉強を行わないのでした。


 そこまでを回想したとき、一つのことに気づくのです。嗚呼、勉強とは、まさしく人間の発明した最大の叡智なのでした。


 それは、いとも簡単にヒトの心を殺害する、素晴らしいものでした。


 獣と人間の優劣など、それこそ神のみぞ知る事なのでしょうが、私たちは人間が上であると思うのです。


 それは、飼い慣らせるからでしょうか。言葉を操れるからでしょうか。


 答えはそう、ヒトという獣から心を殺し、人間になるからだと思うのです。しかし心側もやられてなるモノかと、何度も何度も起き上がります。それを、我々は何度も何度も刺し続けるのです。


 結果、それは複雑怪奇なグチャグチャドロドロとしたものになり、やがて人間の血肉となります。


 そんな妄想が、突如として鮮明に、されどゆっくりとのし掛かるように、私の思考を支配しました。


 その時、ガラスに、いや鉄のポールだったかも知れません。何にせよ、映り込んだ私の姿は酷く、奇妙に、悍ましさとともに現れたのです。


 アァ、もし最初から勉学など知る事もなく、または疑問を感じる事なく、生きていたのなら。そうであれば、こんな奇天烈極まる姿になっていないのでしょう。


 そう思った時、私はこのヘンテコな自分をどうにか、どうにか隠してイかねばならないということに気づいたのです。


 その日、私は悩んだ末に、もう一度己の心に刃を、勉強をしてみようということになりました。


 やりたくない、無意味だという自分を殺します。

 楽をしたい、寝たいという自分を殺します。

 卑猥なモノを見たい、快楽を得たいという自分を殺します。

 遊びたい、泣きたいという自分を殺します。


 やがてそれに、快楽を覚えている自分を殺します。


 感情とはそれ即ち、無価値極まりないモノだと決めつけ、ただゼンマイ仕掛けのカラクリ人形のように在ろうとしました。


 殺して、殺して、殺して、殺して、殺し続けました。


 それでもなお、心は俺が、私が間違っているのだと言うように起伏を持ちました。


 延々と終わりがないかのように、手鏡を持ち込んでは映る奇怪な姿を確認しました。


 1週間、いや1ヶ月ほどそうして篭っていました。親達の目が変わり、留年のお叱りを受けるまでもなく、その手続き一切が気づいたら終わっていました。


 そして、新学期をまた迎える頃には、手鏡には随分とマシな、人間の姿に戻っていました。


 ついにこころを殺せた、などという感慨もありませんでした。油断したらまた、あの姿を晒してしまうのではないか、という不安もありませんでした。


 それが、自分の目標を達せられていたことだと気づいたのは、ずいぶんと先のお話でした。

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