第一話
それは見たこともない様な美しい宝物のように思えた。目の前に浮かんでいる輝く光の玉は八つの光の筋を放っていた。きっとこれは誰も見つけたことのない宝物なんだ。まだ幼かった僕は抑えきれない好奇心に駆られ、宝玉に手を伸ばした。この時僕は知る由もなかった。
この宝玉には触れてはいけなかったんだ。
僕はこの宝玉に触れたことを今でも後悔している。
手を出してしまった罰は今でも僕の体を縛り上げている。
平成三十二年、夏。
記念すべき東京オリンピックで賑わう都心をよそに、意外にも地方の田舎ではいつも通りのゆっくりとした時間が流れていた。
喧騒にまみれた都会から逃げるようにやってきたこの町もまた穏やかな雰囲気に包まれていた。ここでの暮らしも悪くない。ゆっくりのんびり生きていけばいいんだ。そう思った…のは何だったのか。僕はこの町に潜む黒い影に気づいてしまった。いや、気づかざるを得なかった。
風呂桶をひっくり返したような大雨に流されるように六月が過ぎた。それは忌まわしいジメジメとした梅雨明けを知らせるとともに、ジワジワと灼熱の夏が顔を出す合図でもある。
七月も半ばな今、雲一つない青い空は真っ赤なお天道様の独壇場となっている。遮るものも邪魔するものもいない中、梅雨の間に雲の中で大人しく隠れていたと思ったら、ここぞとばかりに本気を出してきた。邪魔者が消えた喜びが嫌でも伝わってくる。
これが八月の半ばへかけて長ったらしく続くかと思うと気が遠くなりそうだ。
「暑い…」
僕の右目に移る太陽はギラギラと、もう鬱陶しいほどに輝いている。
そこら中で騒いでいる蝉たちにはどうやら近所迷惑と云う言葉はないらしい。本来ならばご近所さんからクレームが来てもおかしくない筈だ。
近隣住民がこんな迷惑住人だなんて田舎の人の気が知れない。
これは嫌がらせなのか?僕に対する何らかのストレスによる当てつけなのだろうか?何かしら抗議の意味こ込めて引っ越しを叫んでいるのか??
「ああっ。うるさいぃ…」
クーラーの効いた列車に乗って山陰本線の
あの小一時間はまさに天国だった。
そもそも昨日時点で天気予報は曇り。そこまで暑くない予報だった。それに今朝家を出るときも曇ってて涼しかった。僕は意外と曇りの天気は好きだ。ジメジメしていなければ涼しくて最高じゃないかと思う。
それが何だ?列車を降りた途端、空を覆っていた雲は川の流れのようにさぁっとどこかへ流れていき、歩き出した僕に真夏の直射日光が容赦なく襲いかかる。どうやらこいつは加減と云うものを知らないらしい。
燃えているかのように熱いアスファルトは卵を落とせば目玉焼きができそうだった。
母なるクーラーの元を離れ、目的地まで徒歩で一時間は余裕でかかりそうな道のりを歩きはじめた。まるで砂漠で遭難したかの様だ。引き返そうにもここまで来るまで意外と高かったし、又来るのも大変だったので引き返す選択肢は既に残っていなかった。
でも帰りたい!そんな僕の横ををカラフルなヘルメットを被った子供達は暑さも気にせず、半袖シャツからのぞく赤みを帯びた肌を出してキャッキャと騒ぎながら自転車で通り過ぎて行く。
「今からプールか…」
楽しそうだ。それに涼しそう。こんな暑い日だからプールもさぞかし気持ちいいんだろうなぁ…
どうやら今日は今年一番の真夏日のようだ。きっとどこかのニュースで40度越え見たいに報道されてるんだ。知らんけど。
しかし本当に靴底も自転車のタイヤも溶けてしまうのではないかと思うくらい暑い。暑い。暑い。暑い。暑すぎる!!
そんな過酷な状況下で目的地までの道程を歩く僕の足取りは鉛のように重かった。滝のように流れる汗をぬぐいつつ、このまま目的地までペットボトルのスポーツドリンク一本で歩かなければならないのかと思うと気が遠くなる。
「もう帰ろうかな…」
そんな時僕の横を一台の軽トラックがギュイインンと云う、物凄い音を立てて走りすぎた。僕はまだ免許を持ってないけど、明らかに法定速度を超過していることだけはよくわかった。
かと思うと、数十メートル離れた急停車し、ガチャッと云うシフトチェンジの音がして、そのまま元来た道をバックして戻ってきた。
「えぇっ!何!?怖い怖い!」
そして僕の隣まで戻ってくると、助手席の窓が開いた。
「どげしたん?道にでも迷っちょうかや?」
運転席のおじさんが大きな声で僕に問いかけた。
ちょっ…ちょう?
運動部の監督のように声の大きいおじさんだ。なんて云ってるかさっぱりわからない…
訛りキツいなぁ…
迷ったのか?って聞きたいのかな?
僕はその声に少しだけびっくりしながらも質問に答える。
「迷ったと云うか…この先の神社行こうと思いまして」
「神社って大森神社か?大森神社はすぐそこだぞ?」
「いえ…その…八口神社です…」
「八口神社?」
おじさんは大声で驚いた様に僕に聞き返した。
鼓膜が破けるかと思った…
「はい…」
「アホか!こげな天気にあぎゃんとこまで歩いていくなんて、干からびる《ふかんぱちる》が!」
「ふ…ふかんぱち…?」
おじさんの大声に圧倒される。それ以上に何云ってるか全然わからない…
「きょーのひはわやくそに暑いけん、そんな中を歩いていきゃー死にに行くようなもんだけん。乗れ。お宮まで乗してっちゃる」
そう云うとおじさんは助手席のドアを開けた。
相変わらず訛りがキツい…外国に来たみたいだ。
「いいんですか?」
「ああ。俺も外仕事やめて帰ろうと思っちょった。どげんにせよ向こうへ帰らないかん」
「すみません…お願いしま…」
僕が助手席に乗るなり、おじさんはまだドアも閉めていないにも関わらず、思い切りアクセルを踏んだ。ガガッと云う音を立てながら車は急発進する。
シートベルトを着ける前の僕は思い切り座席に打ち付けられた。
「速っ!」
「ハハハ。どげだ?爽快だろ?」
暴走族かと思った。
「こぎゃん道は誰も居らんけん飛ばし放題だ」
「おっ、お巡りさんに叱られますよ!?」
「みんなこれぐらいは出しちょう」
「いや!人がいるかもしれないじゃないですか」
「出るのは動物だけだ」
そう云った時だった。猛スピードで駆け抜ける道路のど真ん中に一匹の猿が座り込んでいるではないか。
「さっ猿がいますよ!猿が!」
「おっと!」
おじさんはガッっとブレーキを踏んだ。
キキッと云う甲高い音とともにエンジンが止まり、前へ出ようとする圧力が僕の全身に伝わり、ムチ打ちになる。
ガタンと音を立てて止まったトラックは、猿のすぐ目と鼻の先だった。
「危なっ!だっ、だから云ったじゃないですか!」
「ハハハ。わりわり。マァ、田舎じゃそげなもんだ」
絶対嘘だ。
初めて間近で見る猿は動物園や図鑑で見たのに比べてなんだか違和感を感じた。あんなに目を赤く光らせ、黒い煙を吐いていたように見えたのは気のせいか。
「あの…猿ってあんな感じでしたっけ?動物って煙吐くんですか?」
するとおじさんは少し黙って考えて、静かに口を開いた。
「わやくそだ。訳が分からん。普通のヤツはきゃんもんじゃないがや」
「突然変異ですか?」
「さぁな。俺はシートンじゃないけんな」
僕が前を向いた時には既にあの猿の姿は無かった。
「名前を聞いちょらんかったな」
「
「都会小僧だとは思うちょったが、東京かや。大都会。クリスタルクイーン云うて知っちょーかや?」
「いっ、いえ…知りません」
QQクイーンズなら知ってるけど…
「あのなんちゃらの
北斗の拳のこと!?クリスタルキングのことか!!
「そいつがどげして又山の中に行こうと思うちょうかや?」
「神話に興味があるんです。あの神社が神話に関わる場所と聞いたので、行ってみたくなりました」
「そりゃ勉強熱心で結構結構」
おじさんはガハガハと笑った。
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