第15話 進む道は2つあるけれど結局は

「お父さん!」


蹴破った扉から部屋に踏み込んだ途端に、懐かしい温もりが飛び込んできた。

そっと抱き込んで無事を確かめる。

体中にようやく血が通いだしたような錯覚に陥った。すんなりと呼吸ができるような安堵が全身に広がる。


もういいんじゃないかな、と声がした。

そうだな、と思わず頷く。


失くすことにこれほどの恐怖を覚えるのであれば、離れることなど不可能だ。

自分の生きていく価値は見いだせないけれど、彼女の安全には変えられない。ずっと傍で見守ることは不可能だが、可能な限りは守りたい。

それが恋人という立場なのだとしたら、勝ち取りたいと思うほどには執着がある。


「どこも怪我ないか?」

「私は大丈夫だけど、ボルガさんが足を噛まれたの!」


フィリオが示した先にはボルガがベッドに腰掛けていた。


「フィリオになんかあったら、それ以上の目に合わせてたぞ。その程度で済んでよかったな」

「隊長は相変わらず鬼ですね…」

「もう! ボルガさんは私を庇って怪我したんだからね。ちゃんとお礼を言ってよ」

「そうか。民間人を護るのは当然の任務だが、一応礼は言っとく。ありがとう」

「あんた、どれだけ心が狭いんだ…」


呆れた様子のボルガはひとまず置いておいて、フィリオの顔を覗き込む。涙に濡れた菫色の瞳は夜空に輝く星のように煌めいてみえる。そこには安堵と親愛が浮かんでいるだけで、それ以外のほの暗い感情は見えない。


「怖かっただろ、遅くなってすまなかった」

「ううん、絶対来てくれるって思ってたから。この血ってお父さんのじゃないよね?」

「ああ、俺は怪我なんかしないよ。知ってるだろ」

「隊長、いい加減目のやり場に困るんで離れてもらっていいですか」


抱き合いながら額をくっつけて会話していたら、うんざりしたようなボルガの声が邪魔をする。


「親子の語らいの邪魔だ、壁でも向いて黙ってろ」

「普通の親子でもそんなベタベタしませんよ! とくにそんな年頃になったら尚更にね。いい加減自覚してください、公害なんですよ。この隊、独身ばっかりなんですからね?!」

「お前、モテるし彼女もいただろうが」

「この前、あまりに給金が低すぎて振られたばっかりですよ! 金なんて関係ない真実の愛に飢えてるんです…」

「それは俺に言われてもどうしようもないな」

「知ってますよ! ただもう少し同情してくれたっていいじゃないですか?!」


喚くボルガに短息するしかない。

足を噛まれたそうだが、元気そうで何よりだ。

魔狼は毒を持たないので、キレイに噛まれれば治りも早い。

仕事は山積みなので、ボルガには今すぐにでも復帰してもらいたいものだ。



#####


砦の中庭にある井戸の横までニクスを運び、頭や体についた灰をとにかくはたき落とす。粗方終わると井戸からくみ上げた桶で盛大に頭から水をかける。


「ぶふっ、な、にをする!」

「お目覚めですか?」

「は? あ、隊長…?」

「隊長、もう少し優しくしてあげてください」

「ばっか、灰なんてのはな払っても落ちない分は水で流すしかないんだ。水を含めば重くなるから力任せにぶっかけるしかないだろう」


きょとんと瞬きを繰り返すニクスに、マグワールがそっとタオルを差し出した。

礼を言って受け取ったニクスが頭をごしごし拭けば、部分的に残った黒い染料もタオルへと移る。一部、彼本来の金色も見えているので見る者が見ればすぐに正体がわかるだろう。

ニクスは気づいていないようだが、マグワールははっと息を飲んだ。

対応をどうするのか考えているのだろうが、ベルグリフォンは待つつもりはない。


「灰を頭から被るとか、どれだけドジなんですか」

「いや、あれは仕掛けられてたんだ。縄をひっかければ箱が落ちてくる仕掛けだった…って、隊長、言葉遣いが…」

「まあ正体を知ってるってことを明かすことも含めて、ちょっとあなたに話がありまして。今回の件、どこまでご存知でしたか?」

「いや、俺は何も聞かされてはいない。レイバスはどうだ?」


ニクスがマグワールに視線を向ければ、直立した彼はぴしりと敬礼して答える。


「は、私は殿下の婚約式典が近づいているため御身が危険になるかもしれないとの忠告は上からいただいていました。まさか、これほど直接的な手でくるとは思ってもみなかったのですが」

「なぜ俺に伝えない!」

「フィリオの安全を優先させると思って言えなかったんでしょう、たぶん相手は殿下がここにいることを知らないと思われます。フィリオを直接狙ったんでしょうね。ところで婚約式典ってなんですか?」

「父が、とにかく時間を区切ったほうがいいと言い出して。崖っぷちのほうがやる気が出るだろうと決めてくださったんだが。彼女からはデートですら一向に色よい返事はもらえないし、隊長も話す気配がないし。時間ばかり迫って焦っていたのだが。だがこんな大がかりなことを仕込まれるほどだとは…」

「まあ、俺も一緒に亡き者にしたかったんでしょうね」

「隊長はよほど恨まれてるんだな」

「否定はしません。ただ、今回のことはこちらできちんと対処しますが、殿下のことは隊では俺と副隊長しか知らないので処分には含まれないことを伝えておきます」

「わかった。俺のことはいつから知っていたんだ?」

「隊に配属された時から説明は受けてました」

「なんだ、最初から知っていてあの態度だったのか。忌ま忌ましい。ただし、こちらも想い人を危険な目にあわされたのだから相応の報復はさせてもらう」

「結構ですよ、お好きにしてください。ところでフィリオへの求婚の件ですが、お断りさせてもらいます」


はっきりと告げれば、苦虫をかみつぶしたような顔で睨まれた。

せっかくの整った容姿が台無しになっているが、いいのだろうか。


「…ふてぶてしい面構えがますます増したようだが、どういう心境の変化があったか聞いてもいいだろうか」

「さすがに今回の件では随分と考えさせられました。もともと成人したら手放すつもりだったんです。だけどあなたが現れて、気づきました。一国の王子が相手でも手放せないなら、もう俺がもらうしかないって。できるかぎり傍にいて憂いを払って安全に囲いたい」

「随分と都合のいい考えだ、と言いたいところだが、アレは隊長がやったのか?」


ニクスの視線の先には、山と積まれた魔狼の死体がある。皆、きちんと首を刎ねられた姿で積み重なっているので同一人物の仕業だとわかるのだろう。数えれば56匹となった。我ながら斬りまくったものだ。

ニクスを部屋から連れ出す前に砦中を確認して、魔狼を殲滅した。死体をフィリオとマグワールが中庭に運んだ次第だ。ちなみにフィリオは今、これを燃やすための薪などを取りに行っている。ボルガは杖をつきながら、付き添っているはずだ。


「あんなもの見せられればさすがに自分が力量不足だったと認めざるを得ないな…俺は1匹も狩れずに逃げ出すしかなかった。結局、俺は恋敵に自信をつけさせただけだったのか。だが、彼女を口説くのはいいだろう?」

「フィリオが嫌がらない限りはどうぞ。俺もまだ本人には了承を得ていないので」

「だいたい、俺のほうが容姿も家柄も財力も勝っている。ついでに隊長よりも若いからな。長期戦では確実に有利だ」

「ぐっ…どうせ、俺はいい年したオッサンですよ。もうこの話は終わりです。最後に、地毛の色が見えてるんで、もう城へお戻りください。村まで戻ればフェンバックが護衛をしてくれるでしょう」

「染粉なら持ってきている! 俺を簡単に追い払えると思わないことだ」

「マグワールは負傷してあなたの警護はできません、事情を知っている代わりの騎士なんてここにはいませんし。あなた自身も魔香の灰の影響で一度は暴れたんでしょうが。戻って城の典医に診てもらってください。マグワール、連れていけ」

「はっ!」


殿下付きの護衛騎士だろうが、今の肩書きは警備隊の新人隊員だ。もちろん、隊長であるベルグリフォンの命令を最優先してもらう。ひょいっとニクスを抱えあげると、マグワールはすたすたと砦の外へと向かっていく。文句を言いながら怒鳴りちらす声はいつまでもこだましていた。


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