第13話 筋道たてて考えるように
ベルグリフォン・アッシュはガールバリン王国のはるか東にある不毛の台地の生まれだ。不毛の台地はどこまでも赤茶けた岩のような土地が広がる何もない場所だが、僅かな可能性をかけて近くにあった国が少しでも作物が取れるようにと、多少の金を握らせ自国の民を移住させた。それが開拓農民の始まりだ。
そもそもベルグリフォンという名前ではなく、単なるベルという名前だった。ベル・アッシュが幼い頃の名前だ。祖父の代で移り、親兄弟一丸となって来る日も来る日も不毛の台地を耕す。土は硬く、水を与えても柔らかくはならない。ベルグリフォンの剣術が神速と呼ばれるのは幼い頃から土地を耕し続けた賜物だと思っているが、当時はそれが当たり前だったので周囲ができないことが不思議でしかたない。
その土地では唯一ガルモというイモだけが育てることができたが、もちろん生活は貧しかった。泥水のような汁と僅かな芋を齧り、ひたすらに土を砕く。
父は傭兵だったが、戦いに膿んで東の地に流れ着き母と子供をもうけた。傭兵時代の詳しい話も剣の扱い方すら教わらなかったが、ただ1つだけ、自身の行いに恥じることはするなと教訓めいた言葉だけは言われ続けた。
いわく、かっこ悪いことだけはするな、と。
家には一本だけ鞘に入った剣があり、入り口近くの壁に立て掛けてあった。それだけが父の傭兵時代の名残だった。
だが、毎日見ていたからかもしれない。
六人兄弟の一番上だったベルは、一番下の妹とそのすぐ上の弟が流行り病で死んだときに、その剣を掴んで家を飛び出した。これ以上家族が死なないように金が欲しかったからだ。
父ができたのだから自分もできるのではないかという根拠のない自信もあった。
ここにいてもただ死を待つだけで未来も何もないと知っていたからかもしれない。
それが8歳の頃の話だ。
年齢を偽って数々の戦場に参加した。もちろん、初めから上手くいくわけもなく何度も死にかけたし、戦争とは関係ない夜盗や魔物とも死闘を繰り広げる羽目になった。父の剣はなかなかの業物だったらしく長い間相棒となったが、とある魔物と戦った時に魔物の体に刺さったまま逃げ出されたので行方知れずになってしまった。
武器も防具も買いなおすとなると相当の出費だ。生活するために金を稼ぐ日々の繰り返しになった。
それでも13歳で参加した戦争で僅かだけれど、当時の自分にとってはそれなりの金額を手にした時、これで胸を張って帰れると意気揚々と故郷へ向かった。
―――全てが遅かったのだとも知らずに。
故郷でベルグリフォンを出迎えたのは物言わぬ石だった。
2年ほど前に突如現れた魔物の群れが開拓農民の村を襲ったらしい。
ほとんどが殺されて、その中にベルグリフォンの家族も入っていた。父は率先して魔物の群れに立ち向かい、畑を耕す鍬で何匹かの魔物を屠ったのだと言われたが、最後は魔物に食い散らかされたようだった。
どれ程の腕があったのかはわからなかったが、長年傭兵をしていた父のことだ。魔物が襲ってくるのを想定して家の入り口に剣を立て掛けていたのかもしれないと、考えてからはまるで自分が家族を殺したような気持ちになった。
自分が家を飛び出した時に剣を置いていけば、家族は助かったのではないか。
父はどこまでも魔物を斃せたのではないか。
寡黙な父も優しい母も賑やかな弟妹も。
ただ家族の誰にも死んでほしくなかっただけだ。
それがどうしてこんなことになったんだ。
途方に暮れた迷子のように、ただ石の前で佇むことしかできなかった。
それからはただ父の教訓を胸に、生きた。
懺悔と償い。
何をすれば許されるのか、何を行えば救われるのか。
初めの頃はよく自問自答していたが、次第にそれもなくなった。
人を殺して金を手に入れて、人を助けて金を手に入れる。
意味のあること、その境界が曖昧になっていく。
それでも、父の言葉だけは揺るがなかった。
死ぬことは怖くなかったベルはいつの間にか傭兵の間で有名になっていた。ベルグリフォンという名前がついたのもその頃だ。ベルなんて優しい名前じゃ舐められるぞと誰かが話していたような気がする。
『死神』『屍食鬼』『悪鬼』
色々な二つ名で呼ばれたけれど、どれもベルグリフォンの本質とはかけ離れていた。
ただ、悔いを胸に抱きながら死に方を見つけられなかっただけだ。
家族につながりそうなものから逃げて、生きていた臆病者だ。女はいらない。抱けば子供ができるかもしれないと思えば、やる気すら起きなかった。
もう一度、家族を亡くす現実など弱い自分には耐えられるはずがない。
ただひたすらに息絶える日を夢見た。
そんな愚かな男のもとにきたのがフィリオだ。
最初はさっさと子供が逃げていくと思ったし、愛想をつかされると思っていた。
家族との縁の薄い自分には、誰かを育てることが難しいと信じてもいた。
だが、フィリオは基本的には自分のことはできたし、迷惑をかけられるどころか世話をされる始末だった。
優しい声でお父さんと呼ばれると信じられないくらいに幸福になった。
幸せになっていいはずがない。
許されるはずがない。
死んだ家族に詫びない日はなく、一日でも早くフィリオを手放すはずだった。
それが、隊舎を出るまで、私塾を出るまで、学園を卒業するまで、期限が知らず知らず延びていく。今では成人するまで、だ。
成人したら言い訳はできない。
とにかく、彼女が成人したらフィリオとは離れようと決めた。決めたが、なかなか言い出せなかったのも事実だ。
死別するわけじゃない。ただ離れて暮らすだけ。
フィリオがろくでもない男の世話を焼く現実から解放するだけ。
何度も己に言い聞かせてみても、言い出すことができない。
だからこそ、国王からの王命めいた第四王子の求婚はありがたい話だった。
今度こそ、フィリオを手放さなければならない。
強迫観念のように胸に誓う。
先のない、未来のない、悔いばかりある、懺悔を抱えた男に縛り付けるにはあまりに憐れで。自分は過ぎる幸福をもらった。愛しい日々の想い出がある。少女が女になるまでの成長を傍で見守れた。それだけで十分だ。
抱きかかえたぬくもりも、重さも、柔らかさも、甘い匂いも、手触りも。
全部、覚えているのだから。
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