第21話 色々な人に支えられて


 はあ、はあ、と息が荒くなる。



「……あれ?」



 乱れた呼吸を整えながら、俺は反撃がくると思って身構えていた。

 だけど前原さんは床に横になったまま、ピクリとも動かない。



「だ、大丈夫ですか!?」



 もしかして殺してしまったのか!?

 俺はそう思い慌てて前原さんに駆け寄るが、



「……ぐぅ、ぐぅう」



 前原さんから変な音が聞こえる。

 もしかして、



「寝ちゃった、のかな……?」



 周囲で見ていた人たちが、苦笑しながら言った。


 それからは、この場は相良さんの助けがあって大事にならず納まった。

 まあ、一人で騒いでいた前原さんが眠ってしまったことで、問題が起こるわけがなかった。



「いやー、陸斗くんがあんなに怒るなんてね」



 その日の夜は、いつも寝泊りしている元柳沢学生寮へと戻ってきた。

 というよりも、一ノ瀬さんから俺は帰れって。まあ、あんなことしてしまったから当然か。



「どうした、陸斗くん」

「いえ、やっちゃったなって思って」

「反省しているの?」

「反省はしています。ただ、後悔はしていないです」



 まだ参加者は食べたり飲んだり、歌ったり騒いだりしているが、相良さんは俺と一緒に帰ってきてくれた。

 一ノ瀬さんに頼まれてなのかな。



「そっか。まあ、それならいいんじゃない?」

「え?」

「いや実はさ、俺も殴りかかる準備はしていたのさ」



 狭い部屋の中で、相良さんはボクシングのポーズをとる。



「周囲の大人たちはさ、酔った相手が何するかわからないのを知ってるから、たぶん見てるだけで本気で止めたりしないだろうなって思ってたんだ」

「どうしてですか?」

「大人になると、いろんなしがらみができるからね。相手を殴ったら訴えられる。訴えられたら会社に迷惑をかける。近所の目、周囲の目。何をするにも、行動する前に頭の中にいろいろな考えが浮かぶんだよ」

「そういうことですか……」

「だったら、止められるのは僕だけかなって」

「相良さんだけ……?」



 首を傾げると、相良さんは床にあぐらをかく。

 そして少しだけ黙ると、はっきり見てわかるような困り顔を浮かべた。



「僕は陸斗くんは、絶対に殴らないと思っていたんだ」

「それは、どうしてですか?」

「きっと陸斗くんは、自分に良くしてくれる人のことが頭によぎって動けないと思ってね」



 相良さんはあの時に俺の考えていたことを的確に当ててみせた。

 そうか、そうだよな。少しだけど俺のことを見ていた相良さんなら、そう思うよな。



「そうですね……。相良さんの言う通り、いろんな人のことを考えました。このバイトを紹介してくれた人や、採用してくれた一ノ瀬さん。それに家族や俺を支えてくれる人」

「でも、君は違う行動をした。どうして?」

「綾香さんが、困っていたからですかね」



 俺があの時に動けたのは、その理由しかない。



「そっか。そうだよ。男ならやらないと!」



 相良さんは笑った。

 その笑顔は、どこか心から嬉しそうな表情に見えた。



「君の家庭事情のこと、少しは理解しているつもりだ。だけどさ、目の前で女性が困っているのに助けないのは、なんていうか、いい大人じゃないと思うんだ!」

「いい大人じゃない?」

「そうそう、正義のヒーローだって悪者がいたら殴るだろ? それと一緒だよ!」



 どう一緒なの? と疑問に思ったけど、興奮気味の相良さんは言葉を続けた。



「陸斗くんはよくできた子供だ。大人顔負けのね。だけどやっぱりまだ子供なんだ、子供でいいんだよ!」



 相良さんは饒舌に、それからも俺を褒めているのかは微妙だけど話を続けてくれた。


 たぶん、相良さんは「無理に大人面しなくていい、君はまだ子供なんだから」と言いたいんだろう。



「困ったときは助けを求めて、怒ったときは口に出して。大人になったら飲み込むことも、まだ子供なんだからいいじゃないか」



 まあ、そうなのかもな。



「ありがとうございます、相良さん」

「なんだいなんだい、礼を言われることは何も──」

「──相良くん、うるさいぞ!」



 ドンッ! と勢いよく部屋の扉が開かれる。

 そこにいたのは、萌木さんと綾香さんに肩を借りる一ノ瀬さんだった。

 両手には缶ビール。頬は赤く、はっきりと酔っぱらっているのが見てわかった。



「華凛さん!? どうしたんですか、そんなに酔って……」

「ああん!? 酔ってなんかないわよ!」



 三人は部屋に入ってくる。

 そして一ノ瀬さんを支えているのが付かれたのか、彼女の体はでろんと床に落とされた。


 そして、萌木さんと綾香さんは困り顔を浮かべる。



「あんたたちが帰ってから、華凛さん、色々と大変だったみたいでね」

「それで戻ってきてからは、お酒を浴びるように飲み続けてな」



 二人の話を聞いていると、床で横になっていた一ノ瀬さんと目が合う。



「どっかの誰かさんが、あのクソ前原さんを殴っちゃったから大変だったのよお!」

「クソって……」

「それは、すみません」

「ふんっ!」



 呆れる相良さんに、謝る俺。

 そして一ノ瀬さんは、ため息をつく。



「まあ、あそこで彼女を助けていなかったら見損なってたけど」



 そう小さく声を漏らす。



「だから、疲れた私のお酒に付き合いなさい、相良くんも、里香ちゃんも!」



 部屋の奥に場所を移動する一ノ瀬さんに、相良さんと萌木さんが連れて行かれる。

 そして解放された綾香さんは小さな声で、



「彼女、今はあんな感じだけど、陸斗が帰ってから色々と便宜を図ってくれたんだ」

「そうだったんですね。明日、酔いが覚めたら改めてお礼してから謝ります」

「私も付き添うよ。それから……」



 そっと耳打ちする。



「助けてくれて、ありがとう……」



 その言葉を聞けただけで、踏み出して良かったと思う。



「あ、そうそう陸斗くん」



 すると、ふと一ノ瀬さんに呼ばれた。



「七海が「帰ったらお話があります」だって。頑張ってね~」

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