第20話 どんな大人になりたいか
「もうすぐでこのバイトも終わりだが、体調とかに異変はないか?」
このバイトも、あと二日で終わりとなった日の夜。
綾香さんに誘われて食事をすることに。
「大丈夫ですよ。綾香さんは、疲れてますか……?」
少しだけ表情に疲れが残っているような、そんな気がした。
「まあ、少しだけな。やはり私には、こういうのは向いていないんだろうな」
「婚活が、ですか?」
「……そもそも、他の参加者たちとの結婚願望への熱が違うから。なんというか、申し訳なく思ってな」
それはずっと綾香さんを見ていて、なんとなく思っていた。
この婚活パーティーに参加している人は、誰もかれもが将来の相手を本気で探している。
たぶんだけど、他の婚活パーティーよりも多い。
その理由は、何日もかけて行うからだろう。泊まり込みで、その間、参加者は仕事を休んで参加している。
それだけ長い時間をかけているのだから、他の一日で終わる婚活パーティーとは参加者の熱量が違う。
だけど、綾香さんは急いで結婚相手を探しているわけではない。両親の勧めで参加しているだけで、いい人がいれば、ということらしい。
「だけど、他の参加者の方たちも『良い人がいれば』って考えるって人もいましたから。そこまで気にしなくていいかもしれませんよ?」
「まあ、そうなんだが……」
綾香さんは何か言いたげな様子だった。
だけどそれがなんなのかわからなくて、綾香さんからの言葉の続きを待っていた。
「相手から向けられる好意にはある程度だが気付けるんだ。だからこの婚活パーティーに本気で、尚且つ私を人生のパートナーと考えてくれる男性もいて、その人には、やんわりと断りを入れているんだ」
「断り?」
「自分はそこまでこの婚活パーティーに本気じゃない、すぐに結婚とかは考えてはいないと。そう告げると、大抵の相手はお友達からということで納得してくれるんだが……」
綾香さんは、苦笑しながらため息をつく。
「もしかして、それでもアプローチを受ける相手がいるんですか?」
「まあ、そうだな……。真面目な方、なんだと思うんだ。まあ、私も私でいけないんだ。私の為に時間を作ってくれるのを申し訳ないと思いながらも、もしかしたら、この人と友達から仲良くなればいずれそういう未来もあるのかもしれないと思って、はっきりと断れないでいる。結局のところ、相手に気を使ってはっきり言えないでいるんだ」
婚活パーティーに参加する人が、必ずパートナーを見つけなければいけないというわけではないと思う。
まずはお友達から、それでもいいと。
綾香さんの対応は間違っていないと思うし、優しい綾香さんが相手の人にはっきりと断れるタイプじゃないから仕方ないとも思ってしまう。
だけどそれは、俺が参加者じゃないからの考えなのだろうか。
「もうすぐこの婚活パーティーも終わりですから、その時に友達からと言って理解してもらうしかないですね」
「そうだな。……少し考えすぎなのかもしれない。すまないな、暗い話から始まってしまって」
「いえ、大丈夫ですよ」
「じゃあ、話を変えて陸斗の近況を聞こうかな」
「えっ、俺ですか!?」
「いつもの二人じゃなく、他の年上女性に囲まれた生活はどうだ? もしかして、もう誰か落としたのか?」
「なっ、そ、そんなことするわけないじゃないですか!」
慌てながらそう言葉を返すと、綾香さんは優しく微笑んだ。
良かった。俺と話すことで、少しは悩みが薄れてくれたのかもしれない。
俺はそう思い、綾香さんと談笑を続けた。
あと二日、綾香さんが笑っていてくれたらいいな。
…………
……
だけど、その願いは最終日に打ち砕かれた。
全ての予定を終え、最後に参加者全員でのパーティーが行われた。
夜景と海をバックに、ホテルの高層では明るい声が響いていた。
男女の付き合いを始める参加者のところにはお祝いの言葉が。
友人関係からスタートする男女には、仕事の話や趣味の話といった、踏み入った話を。
誰も彼もが、この婚活パーティーが終わったことで緊張の糸がほどけた感じだった。
後は帰るだけ、だったのに……。
「ちょ、ちょっと、前原さん、少し落ち着いて……」
「うるせえ、部外者は黙ってろ!」
酒に酔った男性が大声を発すると、他の男性が必死にそれを止める。
その様子は周囲の視線を引き付ける。それは俺も同じだった。だけどそれだけじゃない。
「この女が、友達からでとかふざけたこと言いやがるから!」
男性は、綾香さんとずっと話しかけていた男性だった。
長身で、いかにも真面目な印象を受ける男性。だけど今は、顔を真っ赤にさせながら苛立ちを露わにさせている。
「前原さん、飲みすぎですって……あんた、お酒強くないって自分で言っていたじゃないか」
「うるせえ、うるせえ!」
周囲の制止も聞かず、前原さんは──綾香さんを指差す。
「俺はお前に、ずっと話しかけてたんだ。他の男共が違う女に乗り換えてもだ! なのに、なあ!?」
「それは……」
「思わせぶりな態度で僕を騙しやがって……何が、お友達からだ!」
綾香さんに詰め寄る前原さんを見て、俺は駆け足で向かう。
「ちょっと止めてください!」
前原さんは相当酔っぱらっている。
このままだと、綾香さんに掴みかかるかもしれない。そう思って前原さんと綾香さんの間に割って入ったが、
「うるせえ、バイトは黙ってろ!」
瘦せ型だけど長身の前原さんに掴まれ、勢いよく振り払われる。お尻から床に転んでしまった。
「陸斗、大丈夫!?」
綾香さんが俺に掛け寄ってくる。
「そういえばお前ら、最初から仲良かったよな。……はあ、そういうこと」
前原さんは鼻で笑う。
「本命は最初から、このガキだったわけか」
「何を言っているんですか? それよりも彼に謝ってください。彼は──」
「──だが、このガキ確か高校生だったよな……ああ、あなた高校生が好きなんですか。なるほどなるほど」
「だから何を言っているんですか!? 彼は今回のことで一切関係ないですよね!?」
ずっと堪えてきた綾香さんが、感情を露わにして告げる。
だがそれすらも、前原さんを刺激する。
「みなさん聞いてください! この女性は、どうやら高校生と関係を持っているようです!」
「な、何を」
「だから大人の僕には振り向かなかったんでしょう!? 高校生の彼氏くんがいたから!」
酔っているからなのか、それとも綾香さんに振られたからなのか、それはわからない。
ただ前原さんの話は飛躍しすぎている。喋れば喋るほど、否定すれば否定するほど、彼の妄想が形を大きく変えて周囲に届けられる。
そんな人の言うことなんて誰も信じない。
そんなことわかっているのに、周囲の視線にさらされた綾香さんは辛そうな表情をする。
どうして綾香さんが。
前原さんに、怒りが込み上げる。
いつも助けてもらっている綾香さんを、悲しませるなと。
「ッ!」
拳を強く握る。だけど体が動かない。
俺にこのバイトを紹介してくれた七海さんと、そのお願いを聞き入れて俺を雇ってくれた一ノ瀬さん。
もしもここで俺がこの男を殴ったらどうなる?
どれだけの迷惑を、二人にかけてしまうんだ?
それに二人だけじゃない。
体調は少し良くなったけどまだ支えないといけない母さんや、そんな母さんを時間があれば手助けしてくれる柚葉さん。
そして、何も知らずに俺の帰りを待ってくれている妹菜。
みんなのことを考えた瞬間、俺の手が止まった。
──陸斗くんって、大人になりすぎてるね。
だけど、相良さんの言った言葉を思い出した。
大人になりすぎている。確かに、そうかもしれない。
「陸斗……」
綾香さんの悲し気な表情を見たら、頭の中のモヤモヤが全て消えた。
「──いい加減に、しろよッ!」
「ああ? ──うぐッ!?」
演説のように周囲を見渡すように回りながら大声を発する前原さんの頬を、俺は力一杯ぶん殴った。
生まれて初めて人を殴った。
拳と手首が痛い。勢いよく吹き飛んだ前原さんは地面に伏せたまま。
だけど、この自分のした行動に後悔はない。
「俺は、大切な人を馬鹿にされたまま我慢するような、そんな大人にだけはなりたくない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます