第13話 夏休み前のひと時
次の日の朝。
「妹菜……ご飯だよ」
新聞配達のバイトを終え帰ってくると、いつも通り妹菜を起こしに行った。
『おはよう、おにいちゃん!』
普段通りならこうやって、起きたら笑顔で挨拶してくれるのに。
「……」
むくりと起き上がった妹菜は無言で洗面所へと向かった。
昨夜の一件から、妹菜の機嫌が悪い。
りんごのようなふっくらとした頬を、いつも以上に膨らませている。
映画を一緒に見に行く前に、俺が先に見てしまったことを根に持っているのだろう。
「どうしよう……」
こんなことは初めてかもしれない。
今まで、妹菜とずっと一緒にいて、妹菜を第一に考えていたから、喧嘩なんてしたことなかった。
食卓を三人で囲う朝食。
妹菜はムスッとしたまま、母さんは不安そうな表情を浮かべていた。
「妹菜、美味しい?」
「……うん」
母さんの問いに答えた妹菜の声は小さい。
重い空気のまま食事を終える。
毎年のように訪れる夏休みの始まりの日。なのに気分は憂鬱のまま、俺はこれからしばらくは着ないであろう制服に袖を通す。
すると、部屋へ母さんが入ってきて、小さな声を漏らす。
「陸斗、椎名先生から教えてもらったバイトは明日から?」
「うん、そうだけど」
「そう。……それじゃあ、今日は真っ直ぐ帰ってくるのね」
俺が頷くと、母さんは優しく微笑む。
「じゃあ、夕食は家族三人で外食しましょうか」
「えっ、三人で?」
家族で外食なんていつ以来だろう……。
前まではバイトばかりしていた俺に気を使っていて、母さんは極力だが生活を切り詰めていた。外食なんてもってのほかだ。
俺としてはしたかったけど、生活費を出している割合が俺の方が多いから、そういったことを言わなかったのだと思う。
「そのバイトは泊まりなんでしょう? だったら妹菜と仲直りしてから行かないと」
確かに、このまま離れるのは嫌だ。
「妹菜も陸斗のことを嫌いになったとかではないと思うの……ただ、楽しみにしていたから少し寂しかったんだと思うの」
「まあ、そうだよね」
「陸斗と例の映画を見に行きたいと言ったのは妹菜で、昨日急にだから、こればっかりは仕方ないことなのだけどね」
クスッと笑う母さん。
子供の……まあ、俺も子供だけど、妹菜ぐらいの年であれば気分や考えがころころ変わってしまうのは仕方ない。
それで俺が怒ることも、妹菜を嫌いになることもない。子供らしい反応なのだから。
「じゃあ、どうやったら仲直りしてくれるか考えておくよ」
「ええ。私からも上手く言っておくわね」
そこまで話して俺は、バッグを持つ。
「あと、このことは柚葉さんには内緒で」
「柚葉さん? どうして?」
「柚葉さんと一緒に映画を見に行ったからさ……妹菜が、柚葉さんに怒ったら申し訳なくて」
柚葉さんは俺のテンションが低いことを気にして、映画に誘ってくれた。それで気が晴れたのも、楽しかったのも確かだ。
だけど万が一、昨日のことが原因で妹菜が怒っていると知ったら、柚葉さんが悲しむと思った。
「そういうこと。ええ、わかったわ」
「助かるよ。まあ、だからなんとか今日中に仲直りしないとね」
「そうね……あら?」
玄関で靴を履きながらそんな会話をしていると、ふと視線を感じた。
妹菜がリビングから顔を出して、ジーッとこちらを、というよりも俺を見ていた。
その表情は怒っているというより、どこか拗ねた、年相応の子供な表情だった。
「いってくるね、妹菜」
そう声をかけると、ぷいっとそっぽを向いて隠れるが、すぐに顔を出す。
──いってらっしゃい。
その言葉は返ってこないけど、その可愛い顔を見れただけで嬉しかった。
「じゃあ、いってくるね、母さん」
「はい、いってらっしゃい」
玄関の扉を開ける。
眩しい陽射しと熱。そして微かに温かい風が頬を撫でると、
「……いってらっしゃい、おにいちゃん」
妹菜の小さな声が聞こえた気がするけど、風に吹かれてすぐに消えた。
いってきます。
きっと返事をしてもまた同じ反応をされると思ったから、俺は心の中で返事をした。
♢
「それじゃあ、食べましょうか」
学校が終わって夕暮れ時。
家族揃って近所にあるチェーン店のレストランに来ていた。
妹菜はまだ口を聞いてくれない。
けれども、俺の隣には座ってくれた。
妹菜はハンバーグセットを。
俺はグラタンセットを頼んだ。
「陸斗、通知表の結果はどうだったの?」
「ん、まあ、普通かな」
「そう、陸斗なら問題ないと思っていたけど。帰ったら、妹菜も一緒にお兄ちゃんの成績を見ましょうか」
「……いい」
母さんはきっと、気遣って話題を振ってくれたのだろう。だけど妹菜の返事は素っ気ない。
ハンバーグに運ぶ手もどこか遅く、美味しそうにしていない。
暗い表情は、空気も暗くする。
「妹菜」
俺はスプーンを置いて妹菜を見る。
ビクッと震えた妹菜は、視線だけをこっちに向けた。
「美味しい?」
そう聞くと、妹菜は何も答えなかった。
反応だけ見ただけで、美味しそうにしていないのはわかった。
「俺はやっぱり、妹菜とお話しながら食べないと美味しくないかな」
笑いながらそう伝える。
妹菜と仲直りするにはどうすればいいか、それを今日ずっと考えていた。だけど結論は、ちゃんと謝って、普段通り話しかけて、仲直りすることぐらいしか思いつかなかった。
「昨日のことは、ごめんね。妹菜が一緒に見に行きたかったの知らなかったんだよ」
「……」
「だからもし良かったら、妹菜と一緒にもう一度、見に行きたいな」
少し、妹菜の表情がこっちを向いた。
どこか驚いているような、妹菜の表情には微かに明るさがあった。
「妹菜と見て、感想とか言い合いたいしさ」
そう伝えると、妹菜はコクリと頷いた。
「まいなも……」
短い言葉。だけど、返事をしてくれて嬉しかった。
それに表情は、普段の妹菜らしい明るさがあった。
「良かった。それじゃあ仲直りの印に、妹菜のハンバーグ食べたいな。ねえ、お兄ちゃんのグラタンと一口交換しよう?」
グラタンを差し出す。
そう伝えると、妹菜は大きく頷いた。
「うんっ! でも、あついから、フーフーしてっ?」
にっこりとした可愛い笑顔を浮かべた妹菜。
俺はグラタンを一口サイズにすくうと、ちゃんと冷ましてから妹菜の口にスプーンを持っていく。
大きく口を開けた妹菜は、もぐもぐとさせ、にっこりと笑った。
「おいちいっ!」
「良かった。熱くなかった?」
「うん! おにいちゃんも!」
お返しに一口を貰うと、
「おいしいっ?」
そう聞かれた。
「うん、美味しいよ」
「よかった! おにいちゃんの、もうひとくちっ!」
妹菜はそう言ってグラタンを指差した。
半分以上のグラタンを妹菜にあげて、代わりに、妹菜の頼んだハンバーグを半分以上を食べた。
結局のところ、食べさせたほうが美味しいのだと思う。
「ふふっ、お兄ちゃんと仲直りできて良かったわね」
母さんにそう聞かれると、妹菜は笑顔で「うん!」と答えた。
久しぶりの外食、家族三人の食卓は、ずっと明るく過ぎていった。
♢
「ここか……」
多くの海の家が建ち並ぶ海水浴場。
ここは老若男女問わず人気で、この時期になると多くの人で溢れかえっている。それは昼だけでなく、花火大会なども行われるので夜も同じだ。
そこが、俺が十日間お世話になるバイト先でもある。
「よしっ、頑張るか!」
バイトする者が寝泊まりする民宿へ俺は足を進ませた。
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