第10話 柚葉デート 1


 一ノ瀬さんとの顔合わせを終えた。

 夕焼けが沈みかけ、熱を帯びたアスファルトは微かに冷たい。

 ジャケットを脱いだYシャツ姿のサラリーマンや、部活帰りの学生たちとすれ違う。

 仕事を終えたサラリーマンの表情や、部活を終え買い食いする学生たちの表情、そのどれもが俺から見たら爽やかな雰囲気に感じられた。


 そんな街中を歩くたび、俺は小さくため息を漏らす。



「なんで、あんなこと言ったんだろう……」



 一ノ瀬さんに告げた言葉。


 ──子供の俺なんかが好きになっても、その人を困らせるだけですから。


 別に本音を言わなかくてもよかっただろう。

 というより、初対面の相手からこんなことを話されても困るだけだ。

 これから数日とはいえバイトをさせてもらう雇用者と従業員。ただそれだけなのに、つい漏らしてしまった。


 それに一ノ瀬さんは七海さんの友人だ。それもただの友人ではなく、親友といっても過言ではない。

 そんな相手に……あれでは、俺が七海さんを意識していると言っているようなものだ。



「はあ……。もう少し大人にならないと」



 そんなことを考えていたときだった。



「あれ、りっくん?」



 ふと、声をかけられた。

 駅のホームへ入ろうとしていた俺が振り返ると、声の主は俺を見て、猫のような笑顔を浮かべながら手を振った。



「やっぱり、りっくんだ。もう面接は終わり?」

「柚葉さん。はい、さっき終わりました」



 手を振りながらこちらへ走ってくる七海さん。

 黒色のパーカーと、ぴっちりとしたジーパンに使い古されたスニーカー。バイトが無くて大学に通うときは決まってこの服装だって前に言っていた。



「柚葉さんは大学の帰りですか?」

「そうそう、これから帰り……って、なんかテンション低くない?」



 柚葉さんは前に立つと俺の顔を覗いてくる。

 まるでキスするような距離感に、俺は慌てて右足を一歩下げた。



「えっ、そ、そうですか?」

「うん、いつもとなんか違う」

「なんかって……」



 こういったときの柚葉さんは勘が鋭い。というよりも、隠し事や悩み事があると、柚葉さんは俺の顔の変化ですぐに気付く。

 そんなわかりやすいか……って思うけど、今の沈んだ気持ちなら誰でも気付くか。


 柚葉さんは得意げな笑みを浮かべる。



「ふふん、りっくんのことならなんでもお見通しよ!」



 胸に手を当てた柚葉さんはどこか得意げな表情を浮かべる。

 なんというか、喜ぶべきなんだけど、顔に出して喜ぶのは恥ずかしい。



「まあ、別に大したことじゃないですよ。初めての顔合わせで緊張して」

「あー、バイトとかの面接っていうか、やっぱり初対面だから緊張するよね。でも、働けることは問題ないんでしょ?」

「ええ、そこは問題ないんですが」



 問題ないです、ではなく、問題ないんですか、と含みを持った返事をしてしまった。それで、柚葉さんはまた心配そうに俺を見る。



「本当に大丈夫? なんかあったんなら話は聞くよ?」

「えっ、なんもないですよ」

「そっか」



 疑っているようだったけど、柚葉さんは笑った。



「じゃあ、これ以上は聞かない。それより、もう家に帰ろうとしていたの?」

「まあ、やることないですから」



 本当はもっと前に顔合わせは終わっていて、本屋に寄ったりして時間は経過していたので、ここでやりたいことはなかった。



「ふーん、じゃあさ、今からデートしよっか?」

「……はい?」

「だから、デート。わたしと、これから」



 首を傾げていると、柚葉さんは笑っていた。



「それとも、早く帰らないといけないとか?」

「いや、別にそういうわけでは……」



 何時まで顔合わせを行うのか、というより、そのまま研修があるかもしれないと思っていたから、母さんに帰りは遅くなるかもとだけ伝えているので、そこまで帰り時間を気にしていたわけじゃない。



「じゃあいいでしょ? デート、しよっ?」

「えっ、ちょっと?」



 柚葉さんは俺の腕を組んで、駅から遠ざかっていくように歩き出した。



「柚葉さん!?」

「なに、もしかしてりっくん照れてんの?」



 俺の腕を組んだまま柚葉さんはニヤリとした笑みを浮かべる。

 密着しているから、微かに柚葉さんが付けた香水の匂いも、肌の温もりも感じる。それに、この歩き方は端から見れば本当にデートしているカップルだ。



「あの、どこへ行くんですか?」

「ふふん、行けばわかるよ」



 柚葉さんはそれ以上のことは言わず、俺も付いて行くばかりだった。










 ♢










 駅から歩いて数分。

 何十店舗ものお店が建ち並ぶ大型ショッピングモールビル。

 そこを、俺と柚葉さんはエスカレーターで上へ向かっていた。



「りっくんって、こういうところあんま来ないでしょ」

「えっ、まあ。でも何でわかるんですか?」

「んー、なんとなく? さっきから周りキョロキョロしてるから」



 地下一階には食品売り場があり上へと向かっていくと、雑貨屋、服屋、家具や電気量販店、飲食店と、ここのビルに来れば目的の物はなんでも買えそうなほど多種多様なお店が並んでいる。

 お買い物するお客さんも子供から大人まで、18時を過ぎようとしたこの時間でもまだまだ賑わっている。



「それで、どこへ向かっているんですか?」

「ん、それはね……」



 エスカレーターで七階を過ぎると、左右の壁には映画のポスターが飾られていた。

 洋画、邦画、アニメ。様々なジャンルのポスターを眺めていると、ふと前方が薄暗いライトに変わったことに気付く。

 どこか幻想的な、不思議な場所だった。



「ここって……」

「そう、映画館。りっくん、ここに来たの初めてなんだ」



 エスカレーターを降りた柚葉さんは、その幻想的な光景をバックに手を広げた。

 周囲にはこの時間でも多くのお客さんで賑わっていて、匂いに誘われると、ポップコーンのあの独特な香りが漂ってくる。

 微かに眩しく感じるライトで照らされたオススメの映画のポスターには、嫌でも目がいく。



「映画館自体は、子供のころ……まだ妹菜が生まれる前に、父さんと母さんと三人で来た以来ですね。なのでここに来るのは初めてです」

「そっか」



 すると、柚葉さんは俺の腕に自分の腕を絡め、



「じゃあ久しぶりの映画、楽しもう!」



 楽しそうな表情を浮かべながら、チケット売り場へと連れて行かれた。

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