第9話 母親に憧れて
陸斗が華凛と面接という名の顔合わせをしていた時間。
夕焼け空の下、黒色のスラックスに白のYシャツを着た冴草綾香は、自らが経営する書店を後にした。
このお店は彼女の母が営むお店であり、元は手伝いとして働いていた。けれど母親の体調が悪くなり、気付くと引き継ぐ形で店長を務めている。
元店長代理だった、ということを知る者は綾香の両親と本人しか知らない。
そんな彼女は普段からOLのような恰好をしている。
その理由は子供のようで、ただ周囲の目が気になるからだった。
小さな書店で店長という立場の綾香だが、本職は自由な仕事である小説家だ。
書店で働かなくても困りはしない収入を得ているため、家で引きこもってずっと執筆をしていればいいのだが──外に出なくていい仕事というのは、どうしても周囲の目が気になってしまう。
周りから働いていないと思われたくない。
だから書店の仕事を手伝い、そのまま店長代理をしている。
レディーススーツを着ていればもっと周囲の目が気にならない。
だから書店へ行くにも、近くのスーパーへ行くにも、綾香はいつもOLを装う。
綾香はいってしまえば、周りの目を気にするタイプだった。
「もう、27か……」
書店の近くにあるスーパーから出て来た親子を見て、綾香は羨ましそうに、微かにため息をついた。
それはきっと、つい先日、今年で27歳になる綾香は、両親から「いい人はいないのか?」と言われたことが理由だろう。
遠回しに結婚はいつか迫られ、綾香は愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
婚活パーティーだって、綾香自身が決めたことではなく、両親の勧めだった。
結婚したくないわけではない。ただ、そういう機会に巡り合わなかっただけ。
そんな周囲の目を気にして今回、綾香は婚活パーティーへ行くことを決めたのだが──やはり、気乗りしなかった。
「あら、あなたは……」
二度目のため息を漏らしそうになっていたとき、綾香へ向かって声をかける者がいた。
振り返ると、そこには自分よりも十歳以上は上の年齢の女性が立っていた。
「どうも……」
誰かはわからなかったが、向こうは自分を知っているようなので合わせた。
すると、彼女は笑顔を浮かべたままこちらへと歩み寄り、頭を下げた。
「いつも陸斗がお世話になっております」
その言葉を聞いて、すぐに誰かわかった。
「あっ、陸斗のお母さん。いえ、こちらこそお世話になっております」
綾香も会釈する。
彼女とは数回ではあるが会ったことがあった。
陸斗の母親。退院したということは聞いていたが、前に会ったときよりも顔色は良くなっているように見えた。
彼女は買い物の帰りなのだろう。少量の食材が入った手提げを持っている。
「お仕事のお帰りですか?」
「はい。宇野さんはお買い物の帰りですか?」
「少し食材を切らしてしまって」
ニコリと優しい笑みを浮かべる陸斗の母親──宇野佐代子。
母親という母性溢れる笑顔が綾香にとって眩しかった。
「今日は陸斗、バイトが休みだったと思うのですが宇野さん一人ですか?」
そう問いかけると、佐代子は苦笑いを浮かべながらスーパーの入口に目を向ける。
「実は……」
その視線の先には、スーパーの前に並べられたガチャガチャの前に座って、こっちに視線を向ける少女がいた。
それが佐代子の娘であり陸斗の妹である宇野妹菜だとわかった。
「あのガチャガチャがやりたいって、言う事を聞かなくて……」
「ああ、なるほど」
目が合うと妹菜はガチャガチャに視線を向ける。
欲しい欲しいオーラが全身から湧き出てるように綾香には感じられた。
「普段は駄目って言えば諦めるのですが、どうしてか今日は折れてくれないんです」
佐代子はそう言いながら妹菜へと近付く。
その瞬間、一瞬だけ妹菜の表情が明るくなったが、すぐに頬を膨らませて拗ねてみせた。
「妹菜、いい加減に帰るわよ?」
「いーやー! これほしいのっ!」
「もう、我が儘を言わないの」
妹菜が欲しがっているのは、様々な種類のウサギが文字の書かれたプラカードを持ってるストラップだった。
「ゆずはおねえちゃんと、おにいちゃんに、これみせて、じまんするのっ!」
聞き慣れた名前が出て、なぜかドキッとした。
「そう言って、柚葉さんからいっぱい買ってもらったでしょ?」
「え……」
もしかして柚葉は、陸斗と親密な関係になりたくて妹を餌付け?してるのか?
そんな不安が頭をよぎったが、恋に盲目な彼女ならやりかねないと思った。
「そうだけど……でもね、まだこの『がんばラッピー』もってないのっ!」
「お母さんには、どれも同じに見えるんだけどなぁ……」
「ちがうよ! ウサギさんが、がんばれっておうえんしてくれるの! ゆずはおねえちゃんも、これあてるまでがんばラッピーだね! っていってた」
両拳を握って「がんばラッピー!」と言う妹菜が、綾香の母性をくすぐる。
だが佐代子はこういうことに慣れているのか、ため息をついて駄目と言うばかりだった。
泣き出しそうな妹菜。
その視線が、綾香に向く。
それを無視できる母親スキルなんて、綾香には持ち合わせていない。
心の中で柚葉を怨みながら、
「妹菜ちゃんは、どれが欲しいの?」
隣で腰を下ろしながら聞く。
「これ!」
妹菜が指差したのは、?マークでシルエットが隠されている部分だった。
「これ、もしかしてレアなんじゃ……」
料金は200円と手軽だから、少しだけなら回して場を収めようと思った。だが、これは簡単には当てられないんじゃないだろうか。
そう思って妹菜を見ると、潤んだ瞳がこちらをジッと見つめる。
完全に狙いを定めた子ウサギが、獲物を逃がさんとしていた。
「あの、綾香さん。妹菜の言う事は聞かなくていいですからね」
察して佐代子が口を挟むが、綾香はお財布を取り出し、
「いえ、少しぐらいなら大丈夫ですから」
妹菜へ微笑みかけた。
「やったー!」
「だけど妹菜ちゃん、これをやってあげる代わりにお姉ちゃんと約束して?」
「やくそく? うん、わかった!」
「偉いね。じゃあ、次に柚葉お姉ちゃんと会ったら「お兄ちゃんはあんたなんかに絶対に渡さないんだから!」って、こう、腕を組んで、頬を膨らませて言うの」
綾香が腕を組んで伝えると、妹菜は不思議そうにしていたが、すぐに真似をして腕を組む。
「おにいちゃんは、あんたなんかに、ぜったいにわたさないんだから! ふんっ!」
アドリブまで加えた妹菜を見て、かわいい、と小さく声を漏らした綾香。
財布から小銭を取り出して入れると、妹菜を見る。
「頑張って」
妹菜は「うん!」と言いながら、ガチャガチャを回していく。
ガラガラ……。
何回も回していく。
けれど、妹菜の目的の『がんばラッピー』は出てこない。
だが続けること6回目ぐらいに、
「あっ!」
取り出し口に手を伸ばした妹菜は、出てきたモノを手に取って、太陽のような眩しい笑顔を浮かべる。
「がんばラッピー!」
開けてみると、白ウサギが『頑張れ!』と書かれたプラカードを持っている、かわいいストラップが出てきた。
どうやらお目当てのモノが出てくれたようだ。
綾香はダブりのガチャガチャの丸い玉を6個ほど持って安堵する。
「良かったね、妹菜ちゃん」
「うん、おねえちゃん、ありがと!」
ギュッと抱きしめられながら、綾香は佐代子に視線を向ける。
「綾香さん、本当にすみません」
「いえいえ、私も楽しかったですから」
それに、全てのお金を綾香が出したわけではなく、半分は母親である佐代子が出した。きっと、綾香だけに出すわけにはいかないと思ったのだろう。断ったものの、こうして二人の助けで念願の『がんばラッピー』は手に入った。
すると、綾香は腕時計に目を向け、
「もうこんな時間なんですね」
とくに予定はなかったが、これから家事をする佐代子に迷惑をかけられない。
「それじゃあ、私はこの辺で。陸斗によろしくお伝えください」
そう言って立ち去ろうとした綾香に、佐代子は伝えた。
「綾香さん、もし良かったら、家でご飯食べていきませんか?」
「えっ、私がですか?」
「ここまでしてもらったので、お礼を。あっ、迷惑でなければですが」
「えっと……」
返事に困っていると、妹菜は佐代子を見上げ、
「おねえちゃん、おにいちゃんのしりあい?」
「ええ、そうよ。綾香お姉ちゃんは、陸斗のお知り合いなの」
そう答えると、妹菜は綾香の手を握る。
「あやかおねえちゃん、おうちにきてほしいなっ!」
「でも……」
「……ダメ? あやかおねえちゃんがきてくれたら、おにいちゃん、よろこぶのっ!」
「陸斗が?」
どういう意味かと佐代子を見ると、彼女は苦笑いを浮かべる。
「えっと、まあ、たぶん喜ぶかと」
「あやかおねえちゃん!」
佐代子は何か理由を知っていそうだったが、それを聞かず、綾香は妹菜の手を握り返す。
「そうですね、お言葉に甘えさせてもらいます」
「やったー! あやかおねえちゃん、まいながあんないするねっ!」
妹菜に引っ張られながら宇野家へ向かう。
家庭を持ったら毎日が幸せなんだろうな……そんなことを綾香は思うのだった。
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