第8話 少女と大人


 恋愛相談所で勤務する華凛は、これまでいくつもの女性を──大人の恋愛を目にしてきた。

 それら全てを、なんて言わないが、それでも彼女らが重要視している共通点は似ている。


 高学歴、高収入、年齢、容姿──そして性格。


 妥協するならどこだろうか?

 なんて考えれば、最初に切り捨てられるのは決まって容姿や中身ばかりだった。

 これから結婚して、夫婦となって、何年何十年と隣を歩いていく相手に求めるモノにしては、なんとも寂しいものだ。


 とはいえ大人になれば変わってしまうのを、華凛だって理解している。


 社会人となって初任給を頂いた給料日。

 何に使おうか、何を買おうか。そう悩んで、両親に何かをプレゼントして、残ったお金で好きなモノを買った人も多いだろう。


 学生では高価で買えなかったモノも、働けば手に入るモノが多い。


 1000円でも貴重だった学生は──大人になると、たった1000円と平気で使うようになる。

 そうやって子供と大人の間には大きな壁があり、生活していくとそれが当たり前の感覚になってしまう。


 大人はお金をいっぱい使えていいな。

 そう思った子供が大人になり、次に辿り着くのは『もっとたくさんのお金が欲しい』を求める生活だろう。

 今よりもっと良い生活を。

 それを手に入れられたら、次はもっと良い生活を。


 もっと、もっと、もっと。


 社会人となった者がそう思うのは当然だろう。

 学生が良い学校に進学したい、部活で良い成績を上げたい、そう考えるように──大人もまた、もっと給料の良い会社へ、もっと出世をしたいと思うのは必然だ。


 そうして大人になると価値観も変わる。


 学生時代に付き合ってる相手から貰うプレゼント、それがバイトを頑張って買った安物でも貰った方は喜ぶだろう。

 けれど大人になってそれを、付き合ってる相手から貰っても何も響かない。それどころか幻滅するかもしれない。

 大人になるとよりお金が大切になってくる。

 それは自立すると生きていく難しさを知るからだ。


 男性も、女性も。

 それを普通と捉えるか、汚れてしまったと捉えるか、どう感じるかは本人次第だ。けれど、学生のときと大人では、持っている感覚は違う。


 それは、恋愛で相手に求める部分でも同じだ。


 ──だが、七海は違う。


 彼女は少女だ。夢見る大人の少女だ。

 相手に求めるのは愛だと、他には何もいらないと染まらずはっきりと言えるだろう。


 それが普通なのか、それが間違いなのか。

 理想を重んじるのか、現実を重んじるのか。

 どちらが正しいのかなんて、華凛にはわからない。

 なにせ自分は、たくさん見てきた大人と同じく現実を重んじる人間なのだから。


 七海のように、年収の無い高校生なんて好きにはなれない。


 彼を自分が養う?

 馬鹿を言うな。こっちが養ってほしいのだわ。

 彼が高校を卒業するまで待つ?

 馬鹿を言うな。それまで待てるわけがない。


 きっと、七海の好きな陸斗は、そういう女性を集めるのが上手いのだろう。

 だけど、当の本人である陸斗は、どちらかというと華凛こっち側だ。少ししか話してないがすぐにわかった。

 なにせ彼はあの時、苦笑いを浮かべながら華凛にこう言ったのだから。


『子供の俺なんかが好きになっても、その人を困らせるだけですから』


 現実主義者リアリストであり、周りをよく見えすぎている彼は、自分が好きになったら相手に申し訳ないと思っているのだろう。

 父親はおらず、病気がちな母親と小さな妹を育て、時間があればバイトを行う。


 周囲の者が彼のエピソードを聞けば、誰だって「大人だね」と「偉いね」と口にするだろう。

 だがもしも彼が「あなたが好きです。だから助けてください」と言っても、誰も手を差し伸べてはくれない。

 もしかしたらどこぞの金持ちなら可能かもしれないが、華凛と同じく自分一人生きていくのがやっとの者は、彼と交際はしない。


 愛があっても食ってはいけない。

 金がなければ食ってはいけないんだから。


 だから陸斗は、迷惑をかけると思って誰も好きにならないように、もしも好きになっても想いを伝えようとしないのだろう。気持ちを伝え、もしも受け入れてくれても、自分には返せるものが何もないのを理解しているから。


 そして、そんな彼だからこそ、この先──七海と結ばれる可能性は限りなく少ないと華凛は感じた。

 なにせ彼から七海にアプローチする可能性はないのだから。


 ……自分なんかと一緒に居てくれるわけない。

 そう思って、彼は七海から好きと言われても誤魔化して逃げるだろう。


 ……自分なんかと一緒に居たら七海さんを困らせる。

 そうして彼は、いつだって他人を優先して生きてきて、これからもそうやって生きていくだろう。

 悪い意味で大人になってしまった彼は、きっと。



「──ちょっと、華凛、さっきから聞いてる?」

「え? ああ、うん、聞いてる聞いてる」



 頬をほんのりと赤く染めた七海がムスッとした表情で華凛を見る。



「まったく。せっかく陸斗くんのことを話してるのに。それでそのとき陸斗くんの表情がもう、なんていうのかな、すっごく大人っぽくてね──」



 自慢話を聞いてほしいのだろうか。

 それとも、七海が彼を好きですというアピールを聞いてほしいのだろうか。


 それはわからない。

 というよりどちらでも構わない。


 それよりも、



「ねえ、七海」

「ん、なに?」



 親友である華凛としては、まだまだ少女である七海の初恋を実らせてあげたい、それ以外はどうでもよかったのだから。



「そんなに好きなら、彼を──押し倒して既成事実を作ってみたら?」

「──ブウゥゥッ!?」



 勢いよくレモンサワーを吐き出した七海を見て、華凛はすぐさまおしぼりを渡す。



「ちょっと、大丈夫?」

「大丈夫、なわけないでしょ!? 何を急に言うのよ……」

「別に急でもないでしょ。好きならいいじゃない」

「そ、それは……彼の気持ちとか、そ、それに、彼は高校生なのよ?」



 だからこそだ。



「知ってる。だけど男を堕とすには、それが一番手っとり早いでしょ?」

「な、なにを言ってるのよ……もしかして酔ってるの?」

「ううん。あんただって、セックスの仕方ぐらいわかるでしょ?」

「ブブゥゥッ!?」



 高校生である彼を七海は、卒業するまで待てると言うだろう。

 だけど彼が高校を卒業するまで、こちらが歳を取らないわけではない。


 16歳の高校生である彼が卒業するのが二年後。それを待てば、24歳の七海は26歳になる。それから交際できたとして、いったい何歳で結婚するのだろうか?

 同じく──いや、高校生である彼が重ねる年数よりも、成人して二十代という女性として大切な時間は違う。そして七海はそれを待てば待つほど、その大きな時間を失う。


 だからこそ、大人なら大人のやり方をしなくてはならない。

 どちらともが引いていたら扉は開かない。開けない、開けられない。だったら、第三者がその扉を壊してあげるしかないだろう。



「あんただって、彼としたくないわけじゃないんでしょ?」

「な、そ、それは……」



 じゃないと他の七海のような女性が、彼を奪うだろう。

 前に言っていた大学生の女性は、きっと、待っているだけじゃ駄目だってわかっているのだろう。恋は盲目。なるなとはいわないが、彼を相手にするならなるべきかもしれない。

 歩み寄ってくれないなら、こちらから強引でも走っていかないと距離は縮めらない。


 それができない七海を助けるには、この大人になれない少女を、意地悪く汚くでも前へ走らせることだけだ。


 周囲の目なんて気にならないほど好きというなら、その背中を押し──もしも傷付いたのなら、隣で肩を支えてあげることだけだ。



「ふふん、あたしの目は誤魔化せないわよぉ?」

「な、なによ、別に私は……」

「まっ、呑んで酔わせて、ちゃんと話は聞かせてもらうわよ。……お兄さん、こっちにウイスキーのロック二つ!」

「ちょ、そんな度数の高いお酒なんて飲めないんだけど!」

「文句は聞かないわよ。彼をうちで働かせてもらいたいならねぇ」

「ズルい!」

「ズルくて結構よ!」



 七海を手助けすると約束した親友ができることは、その重い背中を、強引にでも押してあげることぐらいだろうから。

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