第4話 もっと……
──夏休みまで、あと一週間。
今年の夏休みは、どうしてもバイトしなくちゃいけない理由があった。
だから、いくつもある求人雑誌から、夏休みの間だけ働けるバイトを探していたんだけど、今からというのは無理だった。
そんな時、
「えっ、七海さんの知り合いの人が働く会社で、夏休み中のバイトを募集してるんですか?」
時刻は夕方頃。
母さんはスーパーへ買い物に行き、バイトが休みの俺は、妹菜が帰ってくる幼稚園バスを一人で待っていた。
すると幼稚園バスではなく、妹菜の手を握って一緒に家へやって来た七海さんから、その話を聞かされた。
「陸斗くんが、夏休み中のバイトを探してると柚葉さんから聞いたので」
「柚葉さんからですか?」
「陸斗くんが予定していた海の家のバイトが急遽できなくなったから、何かいい方法はないかと」
「柚葉さんが……」
たしかに海の家のオーナーである田中さんから電話が来た時、柚葉さんも一緒にいた。それから一緒に求人雑誌を見ていた。
──まだ夏休みは一週間あるんだから大丈夫!
そう柚葉さんは言っていた。
ということは、その日のうちに柚葉さんが七海さんに相談したということだろう。
「もしかして、もう見つけてしまいましたか?」
「いえ、まだです。ほ、本当に、いいんですか!?」
少し興奮気味で聞くと、七海さんは口元に手を当てながらクスクスと笑う。
「はい、陸斗くんの為になれればと思ってたので」
「そう、ですか。迷惑とかじゃないですか? 無理してもらったとか」
「いえいえ。むしろ、喜んでくれて良かったです」
七海さんにソファーへ座ってもらって、俺は絨毯で正座をする。
「ありがとうございます、助かりました」
「もう、大丈夫ですって。気にしないでください」
「でも」
七海さんに相談してくれた柚葉さんにも感謝しないといけないけど、それを聞いて、友人に頼んでくれた七海さんにも感謝しないといけない。
「そこまで感謝されることでも……」
だが、七海さんは何かを思い出したかのように、
「……あっ、それじゃあ、お願い聞いてもらってもいいですか?」
そう聞かれた。
俺は何度も頷いた。
「はい、何でも言ってください! 何でもしますので!」
それぐらい嬉しかった。
だからそう伝えた。
「何でも、ですか……」
だけどすぐに不穏な空気を察した。
いつもの優しい笑顔とは少し違った、どこか妖艶な笑みを七海さんが浮かべたから。
「それでは、ここに座ってください……」
ぽんぽんと、七海さんが座ってるソファーの隣を優しく叩く。
「えっと……」
「何でもと言いましたよね? はい、こっちに来てください」
何も言い返せないほどの圧が、その笑顔から感じられた。
俺は七海さんの隣に座る。
「妹菜ちゃんも、ここに座って」
「はい!」
妹菜はソファーに座ると、七海さんは自分の膝を撫で、
「妹菜ちゃん、膝枕してあげる」
「ひざまくら! するー!」
嬉しそうにしながら、妹菜は七海さんの膝に頭を乗せ、ごろんごろんとしていた。
そんな妹菜の頭を撫でながら、
「気持ちよさそうですね」
たしかに妹菜は気持ちよさそうだ。
だけど七海さんが、それだけのために俺を隣に座らせたわけがない。
……膝枕させてくれると思った。
という心の声を漏らさないよう、俺は平然を装い「そうですね」と返した。
「膝枕をされると落ち着くそうです。なので……」
目の前に七海さんの綺麗な髪がふわりと舞う。
そしてそのまま、七海さんの小さな頭が、俺の膝の上に置かれた。
「な、七海さん!?」
「シーっ、静かにしてください」
妹菜に膝枕をさせながら、七海さんが俺の膝に顔を乗せる。
その体勢、辛くないのか?
と思ったけど、どうやら大丈夫そうだ。
俺の太股に手を乗せたまま、七海さんは幸せそうに微笑んだ。
「うん、膝枕はいいですね。重くないですか?」
「重くは、ないです……。でも、なんで?」
「今日はお仕事が疲れたので。陸斗くんも、バイトが辛かった時とかないですか?」
「それは、まあ」
「そういう時は膝枕がいいと雑誌に書いていたので。んー、本当に落ち着きますね。でも」
すると、七海さんに右手を握られ、
「頭を撫でられると、もっと落ち着くそうですよ」
七海さんの頭へと移動される。
暗い茶色の髪は一切の痛みもなく、撫でていて不思議な心地よさがあった。
それに、たまに触れてしまう七海さんの肌が、少しだけど熱があるのがわかる。
「七海さん、熱とか、ないですか?」
「どうしてですか?」
横目で見上げるようにジッと見つめられ、俺は唾を飲む。
長い睫毛、整った鼻筋、柔らかそうな唇。
保育士として普段から派手ではない服装をしてる七海さん。だけど今の俺との位置関係からは、はっきりと首筋が見える。
色気たっぷりの、その肌が。
「ちょっと、頬が熱かったので……」
「どうして熱いか、わかります……?」
「ど、どうしてって、それは……」
口ごもっていると、七海さんはクスッと笑い、俺の手を握る。
見つめられる瞳には、吸い込まれるような魅力があった。
沈黙も、俺に緊張感と期待感を持たせる。
──この体勢で、何も期待しない男はいない。
俺だって男だ。
七海さんが無意識でしてるのか、それは知らない。
ただ太股に頭を乗せ、内股や膝を撫でられて、その誘惑にずっと抗えるわけがない。
だけどグッと堪え、抗い、必死に我慢する。
ここで暴走して嫌われたくないという気持ちと、この関係を壊したくないという気持ち。
──そして、七海さんに上目遣いで見つめられるこの体勢を止めたくない、このままでいたい、という俺の醜く邪な気持ち。
そんな俺の葛藤を見透かすように、七海さんはSっ気のある笑みを浮かべた。
「陸斗くんに膝枕してもらうのが嬉しくて。それに、頭を撫でられると、とても気持ちいいんです……」
「七海さん──」
何か言葉を返さないと。
そう思った時だった。
──ピンポーン。
家のチャイムが鳴った。
母さんは鍵を持ってるから違う。
「柚葉さんが、来たみたいですね」
おそらく柚葉さんだと思う。
鍵を開けようと立ち上がろうとするが、
「陸斗くん、止めちゃうんですか?」
膝の上で首を傾げる七海さん。
後頭部が太股を撫で、背筋がぞわっとする。
それに七海さんの今の表情が、どこか甘えん坊みたいで可愛い。
「で、でも、柚葉さんが……」
「じゃあ、立ち上がる前に十回、頭を撫でてください」
「十回、ですか?」
「十回です。気持ちを込めてくださいね」
どう気持ちを込めればいいのかわからないけど、俺は言われた通り、七海さんの頭を撫でる。
「一回……二回……」
回数に合わせて撫でるから、ゆっくりとしてしまう。
無視してすぐに撫でればいいのに、俺はそれをしない。それができない。もっとしたい。もっと撫でたい。
もっと、もっと、もっと。
この俺に頭を撫でられて幸せそうに微笑む七海さんを、まだ見ていたかった。
「陸斗くんの手、とても温かいですね……」
七海さんも同じ気持ちなのか、そこを指摘することなく、ゆっくり秒数を数える。
そして七海さんの手が俺の膝に触れられ、指先で何か文字を書いているように感じた。
「七海さん、何を……?」
「三回。ん、なんでもないですよ。はい、四回」
頭を撫でられながら、俺は膝に書かれた文字を考える。
だけどわからない。
考えても考えても、右手に感じる七海さんの髪の感触が考えを邪魔する。
そのままわからず、十回を終えてしまった。
「はい、終わり」
七海さんはニコリと微笑みながら顔を上げる。
結局のところ何を書いていたのかわからなかったけど、今は、玄関前で待たしてしまってる柚葉さんが先だ。
俺は玄関へと向かった。
「……もっと私だけを見て、なんて言えませんよね」
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