第二章 良い大人になりたくて

第1話 七海は相談する


 ──誰しも恋愛は自由だ。

 他人に良い悪いを判断されるものでも、他人の意見も関係ない。


 愛。愛さえあればいい。

 そう、一ノ瀬華凛いちのせかりんは思っていた。

 ただし、それは過去形であって今は少し違う。

 ランチ時に、近所のカフェで笑顔を浮かべながら男の話をする彼女──椎名七海の惚気話を聞くまでは。



「……それで彼ね、私が料理のコツを教えたら、すぐ上達してね」



 一ノ瀬華凛いちのせかりんは困惑していた。というよりも完全に放心状態に近い。



「それで……って、聞いてる?」

「いや、いやいや……ごめん。一つだけ言わせてもらっていい?」

「うん、いいけど」



 華凛は息を吐き、はっきりと伝えた。



「……七海、大丈夫か?」

「はい……?」



 コーヒーの注がれたマグカップを両手に持つ七海は首を傾げる。


 今はランチ時で周囲に他のお客がいる。

 できる限りの配慮として小さな声で伝えたのだが、どうも、目の前に座る七海には響いていないようだった。



「つまり、正式に高校生を好きになったってことよね?」

「ま、まあ、その……」



 顔を赤らめながら頷く親友を見て、華凛は小さく舌打ちをした。



「……はあ。前に話してくれた時は、別に好きじゃないって言ってなかった?」

「そうなんだけどね。なんだか、そうなのかなって、気付いちゃったのよ」

「まあ、薄々あたしもそうかなーとは思ってたけどさ」

「そうなの?」

「あたしとあんた、どんだけ長い付き合いだと思ってるのよ。男の話なんて興味なかったあんたが、その彼のことを話す時は無駄に明るくへらへらしてる。そんなの、すぐわかるに決まってるでしょ」

「そんなに、かな?」

「バレバレよ、バレバレ。まあ、別にいいんじゃないの?」



 華凛はマグカップを置いて腕を組む。

 相手が誰であれ、親友が生まれて初めて恋をしたのは喜ばしかった。



「恋愛は自由だって言うんだし、法に触れなければ問題なしでしょ」

「法律にって……」

「当たり前でしょ。まあ、それに、向こうの母親だって駄目って感じじゃないんでしょ?」

「うん、むしろ、頑張ってくださいって……」

「公認……だったら良いじゃない。まあ、高校生相手ならちゃんとお付き合いするのは卒業してからになるだろうけど」

「で、でもね、心配事があって」

「心配事?」



 向こうの母親に挨拶してるのなら心配事なんて無いのではないか。

 そもそも健全な男子高校生が、美人でお淑やかな雰囲気のある七海に迫られて断れるわけがない。


 自分なら絶対に無理。

 むしろ、高校卒業まで堪えられるかの方が心配になる。


 華凛はそう思いながら、マグカップに口を付ける。



「実は、彼のことが好きなのは、私だけじゃなくて……」

「ん、ああ、同級生とかね。まあ、あんたなら大丈夫でしょ」



 そこら辺の女子高校生よりも大人の魅力があるんだから、まず負けないだろう。

 華凛はそこまで心配していなかった。


 だが、



「ううん、その子──大学生なの」

「──ブッ!?」



 華凛は驚きのあまり、口に含んだコーヒーを吹き出してしまった。



「ちょ、大丈夫、華凛!?」

「エホッ、エホッ……はあ……だ、だいじょうぶ、じゃ、ない……っ!」



 口元を拭った華凛は、ゆっくりと深呼吸をする。



「大学生が、その高校生を狙ってるの……?」

「う、うん」

「なんで!?」

「なんでって、どういう意味?」

「いや、つまり……」



 なぜ大学生である大人の女性が、まだ高校生である男子を狙ってるのかということを聞きたいのだが、目の前に座る24才保育士も現在進行形で高校生を狙ってるので、質問の意図を理解させるのは難しいだろう。



「それで、その大学生、柚葉さんっていうんだけどね」

「う、うん……」

「最近、アプローチが凄くなってきてるの」

「アプローチが、凄く……そ、それって」



 華凛は自分の胸や全身を撫でるジェスチャーをする。


『それは身体を使って彼へアプローチしてるってこと?』

 という、無言の質問だった。

 それに対して七海は、苦笑いを浮かべる。



「それもあるんだけど……。問題は、彼の母親へのアプローチかな」

「母親へのアプローチ!?」



 驚きのあまり机を叩きつけながら立ち上がってしまった華凛。

 周囲からの視線を浴び、彼女は咳払いしてから座る。



「そ、それって……。なんだか、戦略的なのね」

「う、うーん、彼女はあまり考えてない気がするんだけどね」

「だけど母親へのアプローチって。それ、周りから固めるって感じよね。お母さんを手中に収めてから彼を、みたいなのでしょ」

「そう、なるのかな……?」



 コクコクと華凛は頷く。

 話を聞いただけでも、七海のライバルであろうその大学生は手強い。



「その大学生の子、可愛いの?」

「うん、すっごく。なんか、今時のゆるふわ系タイプ、みたいな感じかな」

「うわー、遊んでそうなタイプだ」

「ううん、それが違うみたいなの。誰かを好きになったことも、交際経験もないって」

「えー、絶対に嘘。そんなわけないでしょ」

「たぶん、本当に無いと思うよ。だって、見た感じ男性経験無さそうなんだもん」



 男性経験無いあんたが言うか?

 華凛は喉元まで出掛かっていた言葉を飲み込む。



「ふーん、なんでそう思ったの?」

「だって彼女、なんだか危険な感じがするんだもん……」

「危険って、いきなり物騒ね……」

「うん。なんか彼を目の前にしたから急に壊れるというか。彼を好き過ぎて……みたいな」



 顔を赤らめる七海を見て、華凛はなんとなく察した。



「あー、まあ、なんとなく言いたいことはわかったわ。つまり、好き過ぎて愛が重いタイプってことね」

「そんな感じかな」

「だけど、そんな女性を相手にするのは難しいわよ」

「やっぱり?」

「うん。だって相手は男子高校生、性に飢えた獣よ。そんな男子高校生に、いくら愛が重い女であっても、迫られて靡かないわけないもの」



 目の前に魅力的な誘惑があれば一般的な男子高校生なら飛び付くだろう、華凛はそう思う。

 ただ、七海には七海の魅力があるのを知ってる。



「だけど、今の関係性がまだ均衡状態にあるなら大丈夫でしょ」

「そうかな?」

「あんたが泊まり込みで色々と教えても襲ってこなかったんでしょ?」

「まあ、彼は大丈夫だったかな……あはは」



 彼は大丈夫だったけど自分が危険だったのか? と華凛は質問したかった。



「まあいいや。それで、七海と一緒にいて彼は堪えられたんなら、その大学生からの誘惑にも簡単に引っかからないでしょ」

「そうだけど。それって、単純に私に魅力が無い、ってだけじゃないのかな……?」



 首を傾げる清楚系彼女を見て、華凛は内心で舌打ちをした。



「それは大丈夫。むしろ彼が気になるわよ」

「彼が気になる……? もしかして、華凛も──」

「──ないから」



 右手を前に出して、七海の考えを止める。



「あたしに年下趣味はないから。気になるってのは、あんたと同じ家で何もしなかった彼に、アレが付いてるのか気になるって意味よ」

「付いてる? 何が……?」



 首を傾げる清楚系ムッツリ彼女を前に、今度ははっきりと舌打ちをした。



「なんでもないわよ」



 大きくため息をついた華凛。


 恋愛に無頓着な七海を落とし。

 恋愛に興味がなかった大学生を虜にした。

 そんな高校生に男として興味はなかったが、どんな感じなのか、華凛は噂の彼に少しだけ会ってみたいと思ったのだった。

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