幕間 お姉さんホイホイな息子

 陸斗は学校へ。

 妹菜は幼稚園へ。


 普段の生活に戻った宇野家。

 そんなとある平日、妹菜が乗った幼稚園バスが来るころのこと。



「……そろそろかしら」

「ですね。家の近くまで送ってくれるんですよね?」

「……ええ、まあ」

「じゃあ、わたしが迎えに行ってきますね。──お母様」

「……」



 家のソファーに座っていた佐代子に、彼女は立ち上がり言う。

 その表情はにっこりとした笑顔だった。

 佐代子は彼女に視線を向け、苦笑いを浮かべる。



「いえ、お客さんにそんなこと頼めません。なので私が迎えに」

「いいえ、まだ退院したばかりなんですから、無理しないでください。──お母様」



 美鏡柚葉は、当然のようにこの家にいた。

 そして当たり前のように、佐代子のことを【お母様】と呼ぶようになった。


 それに対して佐代子が思うのは『娘が一人増えた』という喜びではなく、『陸斗ともう結婚したの!?』という驚きだ。



「えっと、柚葉さん。その、お母様って呼び方は……」

「ダメ、ですか……?」



 子犬のように潤んだ瞳で見つめられ、佐代子は口を閉じる。


 退院した日のパーティーは楽しかった。

 陸斗も妹菜も、佐代子だって、七海と柚葉がいてくれるのが嬉しかった。


『またいつでも遊びにきてくださいね』


 佐代子は二人に伝えた。

 社交辞令ではなく、たまにであれば良いと思ったから。


 そう、たまにであればだ。


 すると次の日も、また次の日も、柚葉は宇野家を大学の空き時間を見つけてはやってくるようになった。


 それについて迷惑ではない。

 むしろ、彼女の優しさが嬉しかった。

 なにせ彼女は、佐代子を気遣って家事などを率先して手伝ってくれるのだから。


 それでも、いつからか佐代子のことを【お母様】と呼ぶようになり、困惑はしていた。 



「駄目とかじゃないの。ただね、その……お母様って呼ぶのは、少し変かなって」

「そうですか? でも、いつかはそう呼ぶ時が来るかもしれないなって思うんです!」

「いつか……」

「はい! それなら今から呼んで慣れた方がいいかなって」



 えへへ、と笑う柚葉。

 彼女に悪気はない。ただ単純に、柚葉は陸斗を愛しすぎているだけ。


 ──愛が重い。

 なんてことを佐代子の口からは言えない。


 彼女は素直で優しい子。

 ただ単純に、陸斗の近くにもっといたい、男女の関係になりたい──いずれ結婚したい、いや、する!

 それしか考えてないだろう。

 そして、その愛の重さを、おそらく彼女は自覚していない。


 柚葉がこれまでの人生で交際関係があるかないか、佐代子は知らない。

 同じ女性でもわかるほどに綺麗なんだから、きっと今まで大勢いたのだろう。

 そう思っていたが、接していくうちに違うと気付いた。


 ──彼女は恋愛経験がない。

 そして、初めて異性を好きになったに違いない。


 だからこその暴走なのかもしれない。


 そんな柚葉がこうして毎日のように家へ来てくれることに、陸斗も妹菜も嫌がってない。むしろ、喜んでいる。

 それは佐代子も同じ。

 けれど距離が縮まるごとに妙な危機感に襲われる。



「そ、それじゃあ、二人で行きましょうか」



 このままでは陸斗が高校を卒業する前に、柚葉は暴走してしまいそうな気がした。

 佐代子は二人で迎えに行こうと提案する。



「そうですね、お母様」



 柚葉は嬉しそうに屈託のない笑顔を浮かべた。









 ♦









「ママー! ゆずはおねえちゃん!」



 幼稚園バスが近くの公園前に止まると、バスから降りた妹菜は、勢いよく二人へと駆け出した。



「おかえり、妹菜」

「ただいま!」

「おかえりなさい、妹菜ちゃん!」

「ゆずはおねえちゃんも、ただいま!」



 母親と姉(柚葉)に頭を撫でられ、妹菜はニコニコとした笑顔を浮かべた。



「……」



 そんな美しい光景を、幼稚園バスから降りてきた彼女は、どこか不機嫌そうに見つめていた。

 佐代子は彼女へ頭を下げる。



「椎名先生、こんにちは」

「……こんにちは。それより宇野さん、どうして今日も彼女がいるんですか?」



 不機嫌そうにしている理由は、当たり前のように佐代子の隣にいる柚葉が原因だった。

 なぜ、陸斗の母親と二人でいるのか?

 それに対して文句を言いたげだが、柚葉は当然のように答える。



「なんでって、今日は大学講義ないんだもん」

「それと、ここにいる理由は別だと思うんですが?」

「そう? それに【お母様】が心配だったしさ」

「お母様……?」



 眉をピクリと反応させた七海。

 彼女の視線は佐代子に向けられた。


 どういうことですか?


 無言で訴えてきてるようだった。

 佐代子は返事に困り、七海の視線から逃げるように苦笑いを浮かべた。



「そう、ですか……」



 七海は幼稚園バスへと振り返り、



「仕事が終わりましたら、お家へお伺いしてもよろしいでしょうか?」



 美しいほど整った笑顔が逆に不気味だ。

 佐代子はそんな七海に見つめられ、引きつった笑顔を浮かべながら、

「はい、大歓迎です……」

 そう答えるしかなかった。



「えー、なんで来るのさー」

「わーい、しいなせんせー」



 柚葉は不満そうに、妹菜は嬉しそうに。

 そして、佐代子はこれから起きるであろう陸斗争奪戦の未来が見え、胸が苦しくなった。



「お姉さんホイホイ……」



 佐代子は思ったことを口に出した。

 すると、母親の手を握った妹菜が首を傾げる。



「おねえさんホイホイって、なに?」



 聞こえてしまったのか。

 佐代子は慌てて、適当な言葉を返す。



「えっ、あの……陸斗は、年上のお姉さんにモテるってことなの」

「おにいちゃん、モテモテ!」

「うん、そうね……。陸斗も、嫌がってないから良かった、のかな?」

「おにいちゃん、おねえちゃんがいえにあそびにくると、うれしい?」



 そう聞かれ、佐代子は唸りながら笑顔で言葉を返す。



「そう、かもね」



 その瞬間、妹菜の表情がぱあっと明るくなった。



「そっか、おにいちゃん、よろこぶんだ!」



 何か勘違いしてるようだったが、すぐに忘れるだろう。


 ──その時の佐代子は、深く考えてなかった。


 そして、幼稚園バスを見送ると、三人は家へと戻っていくのだった。

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