第25話 ダメ
柚葉と七海は場所を変えた。
誰かに聞かれたくない会話、というのは、七海も理解してるのだろう。
園長に許可を得た七海は、あくまで笑顔で、柚葉に視線を向ける。
「それで、お話とはなんでしょう?」
幼稚園から少し離れた公園からは、登校する学生や会社へ向かうのであろうサラリーマンが見える。
こちらの様子など気にしてすらいないのは、二人があくまで、心の内を表面上には出さないからだろう。
「……七海さん、覚悟は決めたんですよね?」
そう尋ねると、七海はコクリと頷く。
「はい、柚葉さんに言われて」
「やっぱり。いいんですか? 世間的にも、保育士的にも」
「どうでしょう。誰かに知られたら、きっと問題になるかもしれません」
「だったら」
「それでも。自分の気持ちに嘘は付きたくありませんから」
ハッキリと断言する七海の表情からは一切の笑顔が消えた。
それはまるで、宣戦布告するような、清楚で優しそうな印象など皆無な真剣な眼差しだった。
「そうですか」
「それを聞きに来ただけですか? だったらもう戻りますが」
「……違います」
柚葉は喉元まで出掛かった言葉を、出すか、出さないか、まるで迷っているかのように視線をキョロキョロと右往左往させる。
「なんですか?」
「……七海さん」
そして覚悟を決めたのか。
柚葉は七海の目を見て伝えた。
「……協力、してくれませんか」
「協力、ですか……?」
柚葉のこの言葉は予想していなかったのだろう。
七海は目を大きく開く。そして柚葉は、大きく頷いた。
「はい、協力です。私は……りっくんが好きです。それは男性として、異性としてです。ただ今は、男女の関係になるよりも、彼の助けになりたいんです」
柚葉は心の中にある本音をさらけ出すように、自分の胸に手を当てた。
「だけど私一人だと、彼の全てを助けることができないんです……私は料理とか……うまく、できませんから」
その言葉を聞いて何かを察したのか。
七海は短く息を吐いた。
「……それで?」
「七海さんも彼を大切で心配に思ってるなら……手を貸してほしいんです」
「……それはつまり、自分ができないことを私がするということでしょうか?」
「そう、なります」
柚葉は料理ができない。
できるよう努力したこともあったが、あまり上手くならず、今朝のように失敗してしまった。
何度も何度も作って失敗してしまったということは、自分には料理の才能がないのかもしれない。
本来であれば練習すればできるのに、柚葉は一向に上達しない。
だけど彼女は違う。
妹菜は言っていた。
七海が陸斗の家でローストビーフを作ったと。
スマートフォンで調べて作ったのならそれなりに料理は作れるかもしれない。それでも失敗なく、ローストビーフという定番の料理をちゃんと作れるということは、柚葉とは違う、日頃から料理をしているのだろう。
今の陸斗とは、おそらく、付き合うという男女の関係になることはない。
それならば彼の手助けをしたい。柚葉は昨夜、彼の寝顔を見て思った。
そしてそうするならば、自分一人でよりも、目の前の七海に頼るのが最もだろう。
自分で助けられないことを彼女であれば──。
「どうして、私がアナタの手伝いをしなくてはならないのでしょう? 私は私の手で、彼の手助けをしたいと思ってます。別に、アナタのお手伝いをしたいわけではありません」
「それは」
「それにです。アナタが彼のことを好きというのであれば、なおさら、私がアナタに手を貸す理由がありませんから」
七海の言う通りだ。
なにせ彼女も彼を大切に想っているのだから。
一種の恋敵のような相手に手を貸すなんて意味のないこと。
「……そう、ですよね」
俯く柚葉に、七海は「どうして急にこんなことを言ってきたのですか?」と質問した。
どうして。それは自分で口にしても、気持ちの部分ではまだ決まっておらず、曖昧な感情だった。
「りっくんの手助けになれればいいかなって」
「それだけですか?」
「あとは……同じ人を好きになった七海さんと、少しだけ、仲良くなってみたかったから、ですかね」
「……どういうことですか?」
「なんていうのかな。私は、あんま恋愛とかわからなくて。りっくん以外を好きになったことも、その、付き合ったこともなくて……だから、ライバル? みたいなのって、少しだけいいなって……」
「……」
七海は難しい表情をした。
呆れている、といってもいいような感じだった。
それはそうだ。
昨日は敵意向きだしだったのに、今日になって急に変わった。おかしな女だと思われて当然だ。
けれど誰にも話せないような相手を好きになってしまったから、少しだけ、誰か話せる相手が欲しかったのかもしれない。
それが目の前にいる、同じ相手を大切な存在だと想う相手だった。
「……ふふっ」
すると、七海は笑った。
「柚葉さんは、おかしな方ですね」
「そ、そう、ですか? まあ……そうなるか」
「はい。一つ、聞いてもいいですか?」
柚葉は頷いた。
「もし仲良くなったとして。私の恋を応援してくれますか?」
「それは無理です」
柚葉が即答すると、七海はまた笑った。
「やっぱり、おかしな人です」
「……」
「いいですよ。お手伝いします」
「本当ですか?」
「ええ、私は料理はできますが、陸斗くんを目の前にすると、少し素の部分が出てしまうので」
「素……?」
首を傾げると、七海は慌てた様子で手を振った。
「い、いえ、なんでもないです……。なので一人よりも、柚葉さんがいた方が安心します」
「じゃあ」
「ただし、あくまで彼のためです。そして、私はアナタを応援しません」
きっぱり言い切った七海を見て、柚葉は何度か頷いた。
「はい、それで大丈夫です」
「であれば。柚葉さん、よろしくお願いします」
頭を下げた七海につられ柚葉も頭を下げる。
すると頭を上げた七海は「ただし一つ条件があります」と言った。その表情は、不気味なほど笑顔だった。
「スマートフォンの中身、見せてくれますか?」
「え……なんで、ですか?」
「正確には、中の画像フォルダです。見せてくれますか?」
その言葉を受け、柚葉は動揺を隠せない。
「なんで、知ってるんですか……?」
「妹菜ちゃんが言ってましたから。見せて、くれますか?」
手を前に出した七海はにっこりと、少し不気味にもとれる笑顔を崩さない。
柚葉は迷っていたが、すぐに観念する。
自分のスマートフォンを操作すると七海へ、その暗証番号で閉ざされた秘密のフォルダを見せた。
「……これは」
七海は小さな声を漏らすも、視線を画面から逸らさなかった。
指を下から上へ。
次から次へと写真を見られていくと、柚葉は少し恥ずかしそうにする。
「……あんま、ジロジロ見ないでほしいんですけど」
「これは見ますよ。いったい、どれだけ撮ったんですか。陸斗くんの写真」
「……まあ、出会ってからずっと?」
食い入るように見てる七海に、柚葉は、どこか自慢気な表情を向ける。
「なんですかその表情。いいですか、これは盗撮です。陸斗くんは許可してるんですか?」
「……え、まあ、たぶん?」
「嘘ですね。陸斗くんに聞いていいですか?」
「ダメ! ダメダメ、絶対にダメ!」
「やっぱり盗撮じゃないですか。これは没収です」
七海はエプロンから自分のスマートフォンを取り出す。
「ちょ、何するつもりですか!?」
「これは危険な画像です。なので没収します」
「ダメです。というより、なにコピーしようとしてるんですか!? それ、七海さんが見るつもりでしょ!?」
「……いいえ、そんなことしません」
「嘘。じゃあなんで、自分のスマホ持ってるんですか」
明らかに画像を自分のスマートフォンに移そうとする七海を柚葉は必死に止める。
すると七海は手を前に出して逆に柚葉を止める。
「わかりました。ではこのことは二人の秘密にしましょう」
「え、はい……いいですけど」
「秘密を共有するということで、この画像は、念のため私のスマートフォンにコピーします」
「……それ、欲しいんですよね?」
「違います!」
「素直に欲しいって言えばいいのに……」
「ですから違いますって! 私はこんな盗撮写真、決して欲しくありません!」
そう言いながらも自分のスマートフォンに全てコピーした七海は、どこか幸せそうな表情をしていた。
そして二人は一時的な協定を結んだことによって、連絡先を交換することに。
陸斗の知らない場所で、出会ってはいけない、仲良くなってはいけない二人が、手を取り合った瞬間だった。
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