第22話 病室でナースは…… 2
──美鏡柚葉の父親は名医と名の知れた医者で、そんな夫を母親は支えてきた。
そんな二人の間に生まれた柚葉は、両親から褒められたことが一度としてない。甘えたことも一度としてない。
厳格な父親と、それに従う母親は、娘を立派に育てるために厳しく育てようとしたのだろう。
それに従うように柚葉も生きてきた。
世間では優秀と呼ばれる子供たちが、この二人の両親にしてみれば平凡な子供と同義だ。
ただの優秀では意味がない。誰もが賞賛するような子供でないと、両親は褒めてはくれない。
そう思った幼いころの柚葉は、誰よりも努力してきた。
全ての自由を犠牲にして、全ての幸せを捨てて。
なのに、なのになのになのに。
両親が褒めてくれることはなかった。
それどころか、もっと努力しろと強要する。
なにを? なにをもっと頑張るの?
そう聞ければ良かった。だけど聞けなかった。聞いたとこで返ってくる言葉なんて「自分で考えろ」だと理解してるから。
そんな人生がとても息苦しい。
こんな人生がとても生きにくい。
柚葉はそう感じていた。
努力してきた者、頑張ってきた者、そんな人々がご褒美を貰えない人生なんて、残酷すぎる人生だ。
「──だからりっくんには、ご褒美をあげないと、ね……」
食事を終え、先に一人で風呂に入っている陸斗のことを考えながら、柚葉は膝に座る妹菜の頭を撫でていた。
「ゆずはおねえちゃん、どしたの?」
「ううん、なんでもないの。それより、お兄ちゃんと一緒にお風呂に入りたい?」
「うん! さんにんで!」
「そっかそっか。じゃあ入ろうか」
わーい、と言って着替えを取りに行った妹菜の背中を見つめる柚葉。
その表情はどこか寂しそうに映る。
──ここで止まれない。
陸斗に好意を寄せてることは伝えた。
けれどそれを、彼はきっとからかってるだけだと思ってるだろう。
それは当然だ。
いきなりあんなことをしても、誰も信じない、信じようとしても何かあるのではと疑う。
その思考こそが彼の生まれてから培った、悪い大人の部分なのだから。
大人になろうと背伸びするのは悪いことではない。そうしなければ、妹も母親も安心できないのだから。
だけどそんなの悲しすぎる。そんなの、苦しすぎる。
まるでいつかの自分のように、何かに縛られ生きていくようなものだった。
どこかで安らぎやご褒美が必要だ。
でなければ頑張っても頑張っても、報われやしない。
だったら柚葉自身がご褒美になろう。
それがどんなに歪んだ気持ちであったとしても、彼が少しでも、幸せになれるのであれば。
「ゆずはおねえちゃん、いこっ!」
「うん、いこっか」
柚葉の手を引っ張る妹菜を見て、柚葉は、こんな風に純粋に生きられたらどれほど良かっただろうか、なんて考える。
柚葉は、自分は、綺麗で色気のある大人の女性、そう自覚している。
それは他者の視線を少しでも気にしていたらわかる。
ナース服を着れば男の視線がこちらに向く。
海で水着になれば、周囲の男たちが興奮する。
そんな姿を見れば理解できた。
だから柚葉は、自分の顔と身体が一つ一つの武器だと思った。
それを誰かが馬鹿にするかもしれない。
周りに媚びを売って生きて、馬鹿なんじゃないのか? 女性が外見で勝負するのがはしたないと。
だが柚葉は思わない。
中身だって良くなろうと努力してきた。
それと同時に、綺麗に、美しく、そうなろうと努力もしてきた。
自分を馬鹿にする者がいるのであれば、柚葉は言いたい。
だったらお前たちは、その努力をしてきたのか?
もしも自分が同じように生まれて、その手にした武器を捨てるのか? と。
就職活動のとき、持ってる資格を履歴書に書かないのか?
婚活パーティーで、自分のアピールポイントを前面に押し出さないのか?
自分の良さを知って、それを出すことが悪なのか? 隠すのが正義なのか?
ふざけるな!
そんなの無い者の僻みだ。
ないないないで言い逃れするな。
自分の武器は出せ。どんなに欲しくて欲しくて仕方ないものがあるのなら、それを手にしようと思うなら、使えるものは全て使え。
どんなに努力しても両親から愛情は貰えなかった。
だったらせめて、彼からの愛情や甘えを欲してもいいだろう。
「りっくん、入るね……」
「え、ちょ、柚葉さん!?」
着ていたナース服を脱ぎ、下着を外していく。
肌と衣服が擦れ合う音が発せられると、向こうで湯船に浸かっていた彼は、バシャバシャと水音を響かせ慌てる。
きっと、動揺してるのだろう。
その姿を、その表情を、柚葉は早く見たい。
自分の裸を見て、どう反応して、どこを反応させるのか、それが早く見たい。
──歪んだ心だと自覚してる。
だけどだけどだけど、もう止まれない。
同じく陸斗を自分に甘えさせようとする敵はいる。その者はきっと、今までは誤魔化そうとしていただろう。
けれど少し前。
その彼女は覚悟を決めていた。まるで自分のように、覚悟を決めている。
あれほどまでに清楚な見た目の女性が本気を出せば、きっと、世の男性は向こうに傾くだろう。
それは彼も同じこと。
そんな彼女に対抗するのであれば、先に武器を使うしかない。
そうしなければ彼の心は、間違いなく自分ではなく彼女に向く。
そんな予感がする。怖いんだ。
思春期の男子高校生が知らない、大人の女性がこうであると、先に彼の中に植え付けなければいけない。
彼の心が彼女ではなく自分に向く。
自分しか見られないほどに興奮し、自分を欲してくれる。
その姿を早く見たい。
柚葉という湖の中へ引きずり込んで、どっぷりと堕として、どっぷり溺れさせたい。
自分だけが彼を甘えさせられる。
彼だけが自分を求め、欲望をぶつけてくれる。
そんな存在になりたい。
幼いころの自分のように、どれだけ頑張っても報われない人生じゃなく、頑張れば報われる、頑張ればご褒美が待ってる、そんな人生にしてあげたい。
──それが歪んでしまった柚葉の、たった一つできる甘えさせ方なんだ。
「……私はチャンスは逃さない。絶対に」
欲した愛情を貰えないなら、自分が愛情を捧げる。
欲した愛情を貰えないなら、彼から愛情を貰う。
それが周りからズルい方法だと言われても、
「……りっくん、おまたせ」
大切な何かを、誰にも奪わせやしない。
♦
柚葉さんは綺麗な人だ。
誰もが認めるほど美人で大人っぽい女性。
そんな人がどうして俺なんかに、あんなこと……。
もしもあのまま自分の欲望に忠実に行動してたら、柚葉さんは受け入れてくれただろうか、それとも冗談だと笑われていただろうか。
それはわからない。
ただ柚葉さんの言葉が、俺の心を温かく染めてくれる。
頑張っても頑張っても、誰も自分を認めてなんてくれなかった。
学校で、バイトばっかしてる俺を同級生たちは「そんなに稼いで何すんの?」と聞いてきた。
それどころか「何かのゲームに使うんだろ?」とか言ってくる。
ゲーム?
ふざけるな。
お前らの遊んでるゲームなんて、今まで一度として与えられたことないんだ。
ずっとずっと、妹が欲しがったお人形を買ってあげるだけで、俺は今まで何も買ってもらってない。
買ってあげると言われても、それを断ってきた。
ゲームより生活品。
そんな人生をしてる奴に、親からお小遣いを貰ってる奴らの気持ちなんてわからないだろ。
──今月のお小遣い1万円だけとか最悪なんだけど。
そう口にしてる同級生。
ふざけるな。
その両親から貰った1万円を得るために、俺がどれだけ汗水垂らして新聞配達をしなきゃいけないのかわかってるのか?
俺はバイト代を生活費に回してるんだぞ。
ずっとずっと、我慢してきたんだ。
それなのに。それなのに周りの連中は……。
──そんな世間との違いに嫌気がさす俺に、柚葉さんの言葉は嬉しく感じていた。
母さんに甘えたら、弱音を吐いたら、きっと悲しむだろう。
こんな生活をさせてごめんねって、泣きながら謝られる。もしかしたら、俺たちを心配して孤児院に入れられる可能性だって。
そんなの嫌だ。
俺は妹菜と母さんと、三人で暮らしたいんだ。
そんな時。
あんな魅力的な誘いを受けたら、心が揺らぐに決まってる。
やめてくれ。
そう声に出せない自分が悲しい。
心のどこかで誰かに救いを求めてるんだろう。
♦
「りっくん入るよ……」
お風呂場の扉が開かれて、勢いよく全裸の妹菜が走ってくる。
その姿は見慣れてるけど、その後ろから入ってくる女性の姿は初めて見る。
俺は慌てて背中を向く。
狭い湯船の中で、横向きに体育座りする。
「おにいちゃん、どしたの?」
「べ、別に、なんでも……」
「ほら、妹菜ちゃん。まずは体洗うよ」
「はーい!」
妹菜が椅子に座り、柚葉さんがその後ろに座る。
姿は見れないけど、たぶんこんな感じだと思う。
そして風呂桶が横を通る。
柚葉さんの細い腕が、真横にある。
それは二の腕まで見え、もう少し視線を横に向けても、身体を隠すタオルを着けてるのは見えない。
もしかして、隠してない?
いや、そんなわけない。
だって俺は男だ。誰も来ないと思って隠せるタオルを持ってきてない俺とは違う。
着けてるはず。タオルで首から下を──。
「ゆずはおねえちゃんの、やわらかいー!」
「んっ、もう……そんなとこ揉んだら駄目でしょ?」
「ふふふっ、だってやわらかいんだもん! おもちみたい!」
「お餅は、こんなに大きくないでしょ?」
「うん!」
柔らかい? お餅? 大きい?
なに? なになになに? 妹菜はどこを触ったんだ?
脳内に疑問が飛び交う。
だけどその場所はわかる。柔らかい、お餅、大きい、そんなの一カ所しかない。
それを想像するだけで──。
──バシャアン!
だが、その思考が大きな音で吹き飛ぶ。
たぶん妹菜の頭に、風呂桶でお湯を流したのだろう。髪を濡らすために。
変な想像をしてる。
駄目だ。何も考えず、何も想像せず、何も──。
「……おっきぃって、私の」
「──ッ!?」
耳元で囁かれる。
その声が柚葉さんだとわかっても、俺は顔も身体も動かせなかった。
そして、柚葉さんの手が、背中から伸びてくる。
「妄想しちゃったのかな、りっくん……? 大きいって。りっくんのも?」
どこを見て言われたのかわからないが、確実に、柚葉さんは俺の身体のどこかを見て言ってるのだと理解した。
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